2017年1月16日月曜日

日米開戦のみならずソ連軍による日本人虐殺と北方領土占領は東郷茂徳こと朴茂徳の仕業

2017.1.12 12:16
【外交文書】「欧州戦終了後、対日参戦に転ずる確信を持った」ソ連参戦分析、生かされず 1945年6月、外相に報告

外務省が一般公開した外交文書のファイル

第2次大戦当時ドイツ領で、1945(昭和20)年4月にソ連の攻撃で陥落したケーニヒスベルク(現ロシア西端の飛び地・カリーニングラード)の日本総領事館職員が、同年6月1日付で東郷茂徳外相「ソ連は欧州戦終了後、対日攻勢に転じるとの確信を持った」とする報告書を提出していたことが、12日公開の外交文書で分かった。

ソ連は同年8月、日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻。対日参戦情報は、他にも寄せられていたとされるが日本は当時ソ連に和平交渉の仲介を要請しており、情報は生かされなかった。

報告書は(1)ソ連軍が極東に向け莫大な数の戦闘機や小型砲、軍用車を輸送している(2)対ドイツ戦用に生産した軍需品が余り、困っている(3)ソ連将校から「もし日本が満州の放棄などの要求を拒否すれば、ソ連は満州に大戦車隊で侵入するだろう」と冗談交じりに言われた-などと列記。「大東亜における勢力を拡大するため、必ずやその矛先を極東に向けると確信した」と指摘した。

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http://www.sankei.com/world/news/170112/wor1701120027-n1.html

昭和天皇もルーズベルト@米国も望んでなかった日米開戦のみならずソ連軍による日本人虐殺は東郷茂徳こと朴茂徳のせいだったわけで・・・(爆wwwww

ただ心は朝鮮人だった朴さんを日本を裏切ったA級売国奴といふのは間違いかもね。
彼は朝鮮人にとっては英雄でしょうから。(爆wwwwwwww

根本的問題は何故そんな香具師が外相なんぞしてたかですな。
そして誰が彼の後ろ盾だったか。そして何故外務省が戦後、そんな朴さんの末裔を雇ってたか?(爆wwwww








、、、(爆wwwwwwwwwww

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人(鬼塚英昭著P.44-47)によれば、
1941年9月6日の「御前会議」で、対米英戦争に入る事が決定されていた様です。
10月16日の近衛内閣の総辞職、同18日の東条内閣成立時の外相は東郷重徳でしたが、
その会議の席上で、東郷重徳外相は、対米英交渉を継続せよと迫ったとあります。
むしろ、戦争をしたがっていたのは、「瀬島龍三」ではなかったかと思います。
(瀬島龍三の著書の「大東亜戦争の実相」から鬼塚氏は引用文は省略するが・・・)
瀬島のこの文章を読むと、米国と戦争するぞ、その意気込みが感じられる。彼が12月初頭の
開戦に拘った理由も書かれている。(日本が南方で米英蘭と戦い、冬の間は満州の北で露との
戦いは避けられるため。との理由を瀬島は自分の著書で書いている)
真珠湾攻撃の直前に、ルーズベルト親書が届いたが、瀬島龍三が、その親書を昭和天皇に見せ
なかった。と書いてあります。但し、それは昭和天皇の意志でもあった様です。
昭和天皇自身は、戦後、この事に関して「黙殺できたのは、不幸中の幸いであった」と述べた。
との事でありますが・・・・(?)。どうなんでしょうかネ。