2013年3月8日金曜日

東郷茂徳こと朴茂德


が証明されてしまった件(爆w


ルーズベルト電、天皇に渡れば開戦回避…GHQ

1941年12月8日の日米開戦の直前、当時のルーズベルト米大統領から昭和天皇に送られた戦争回避を訴える親電(電報)の伝達が遅れた問題で、終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)が外務省に対し、「電報が天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることができたに違いない」との見解を示していたことが、7日公開の外交文書から明らかになった。

文書によると、GHQの見解は、国際検察局の担当官が46年8月1日、伝達遅れの経緯を調べるため外務省職員2人を尋問した際に示された。

問題の親電は41年12月7日正午、東京の中央電信局に入電。しかし、米大使館のグルー大使に配達されたのは同日午後10時半だった大使から東郷茂徳外相を経由し、昭和天皇に伝達された直後に、真珠湾奇襲が始まった。

(2013年3月7日14時52分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130307-OYT1T00772.htm

大使から東郷茂徳外相を経由

大使から東郷茂徳外相を経由

大使から東郷茂徳外相を経由







要するに日本を負け戦に導いたのは鹿児島系朝鮮人だったわけです。(爆w




→鹿児島






日本を負け戦に導いた東郷も東條も生粋の日本人じゃなかったってのはどうよ?(爆w


で、朝日新聞がふぁびょってベイテイガー!してるわけですな。(爆w





、、、(爆w





、、、(w

22 件のコメント:

ご近所 さんのコメント...

>要するに日本を負け戦に導いたのは鹿児島系朝鮮人だったわけです。(爆w


ちょっと前にネトウヨ界隈で
小泉元首相の父親は鹿児島の朝鮮部落の出身ニダ!
ってな話も流れてましたねそういえば

ちなみにこのマシンのメインドライブ見たらw

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Administrators

爆www

匿名 さんのコメント...

東郷茂徳 ドイツ嫁
>ドイツ
大島浩 駐ドイツ特命全権大使
大島は陸軍中央と提携、駐ドイツ大使であった東郷茂徳を退け、1938年(昭和13年)、自らが駐独大使に就任した。~大島は1945年(昭和20年)暮、日本に送還途中のアメリカ合衆国・ニューヨークのホテルにおいて、所持していた日記や機密文書を水洗便所に流した。

「ヒトラーやリッベントロップとは、ほとんど会わなかった」→ つべ
https://www.youtube.com/watch?v=GsqVq7rTAWY
Matsuoka Yōsuke , Ōshima Hiroshi
https://www.youtube.com/watch?v=JWLRBJyXLUo 

父・大島健一は枢密院。
1940年(昭和15年)4月17日 - 1946年(昭和21年)4月17日

大島健一 宮武外骨 朝日

ミネ さんのコメント...

東郷茂徳こと朴茂徳 に 陶郷か陶工゙ 追加したかぁ
でも東条英機はカンゲキくらいしか浮かばない
で、この人ら
出生日弄る根拠は?www

満州権益放棄
にっくき米国の手に渡るくらいならぁと率先垂範した感じが目に浮かぶ

親日反日問わず国外映画で日本の成人男子役の風貌がだいたいこの人らのコピーなのは
日本にいるこのヘンチクリンはなんだ?の風刺だったって事ですたね、あざーす。

匿名 さんのコメント...

1941年 外務省+海軍 対米のイロイロを勝手に抜粋
【第2次近衛文麿内閣】(-7月18日)
外務大臣・松岡洋右(同)海軍大臣・及川古志郎(同)
●1941年5月5日
2月着任の野村吉三郎米大使、東京に米政府が暗号文を読んでいることが判明と報告。
 この知らせはドイツ人から入手、日本の大島浩ドイツ大使によるもの。
 松岡外相は暗号と暗号カギの管理の徹底を指示。
●1941年6月6日
立花事件 情報活動 FBIに逮捕され国外追放処分を受ける。
ja.wikipedia.org/wiki/立花止
 ja.wikipedia.org/wiki/岡田貞外茂 岡田啓介の長男
●1941年7月18日
【第3次近衛文麿内閣】成立(-10月18日)
外務大臣・豊田貞次郎(同)海軍大臣・及川古志郎(同)
(ja.wikipedia.org/wiki/豊田貞次郎
 外交交渉の傍らで開戦準備を同時に進める日本の姿勢を警戒したアメリカ)
●1941年7月26日 
ja.wikipedia.org/wiki/ABCD包囲網
龍田丸 横浜正金銀行(頭取:大久保利賢)
www.combinedfleet.com/Tatsuta_t.htm
・ 26 July 1941
  横浜正金銀行 $9,621,100相当の日本の国債、龍田丸便で持出準備、FBIに阻止。
・6 December 1941
  12月6日、複数日系商社等閉鎖。16日に龍田丸にて帰国を予定。
●1941年10月18日
【東條英機内閣】成立(-1944年7月22日 )
 外務大臣・東郷茂徳(-1942年9月1日)海軍大臣・嶋田繁太郎(‐1944年7月17日)
●1941年11月15日
来栖三郎大使ワシントン入り
●1941年12月8日 ハワイ時間12月7日
 山本五十六の真珠湾攻撃構想を実行
 (及川古志郎と山本五十六 新潟古志郡出身)

>1941年=明治天皇即位~約72年後、現在から遡ること72年余。
1941 site:tokumei10.blogspot.com 

新旧大陸対峙論 後藤新平
ユーラシア枢軸構想 松岡洋右 リッベンドロップ 
東アジア共同体 鳩山由紀夫 小沢一郎 
負け戦 site:tokumei10.blogspot.com

匿名 さんのコメント...

「日本政府が共産主義者に降伏」 終戦間際、中国武官が「米の最高機密」として打電
2013.8.12 09:51

匿名 さんのコメント...

はじめアレなら、おわりもアレ

The Uncertain Summer of 1945

http://www.nsa.gov/public_info/_files/cryptologic_quarterly/The_Uncertain_Summer_of_1945.pdf.

On July 13, Sato urged Togo to accept the fact that Japan was facing defeat.

そして24日後に・・・

戦争から70年目の節目を迎える日も、だんだんと近づいてきましたが、戦争体験を風化させまい、ということ「だけに」重きが置かれると、「一億総玉砕」で国が根こそぎカラッポになるような未来が、どんな経緯で、誰がどのように設計し、あまりに悲しい地獄を許容してしまったのか、これが不鮮明になる。

国の抱えたジレンマを解決するために、なにを土台に、どんな手法で、着地点を見つけるのか、非常に冷徹な判断が必要なときに、精神勝利法が優先された末の、1945年8月15日の意味もまた、きちんと整理して検証することが必要で、その作業と認識が、なによりの供養、国の未来の礎。

左とか右とかでなく、日記や自伝や史料だけでもなく、事象の中の合理性、選択した現実の妥当性を、どう評価するかなのよ。

人は考えるから、ズルく賢くなる。

匿名 さんのコメント...

米帝様が限定1名の日本人に限り公開している情報ではござらぬ。

匿名 さんのコメント...

Wilkinson 3 December 1941 cable from Manila

匿名 さんのコメント...

Events leading to the attack on Pearl Harbor
http://en.wikipedia.org/wiki/Events_leading_to_the_attack_on_Pearl_Harbor

ひとつのサイトのひとつの見立てにすぎないが、にほんご版がない件

おにごっこ
かくれんぼ
スカートめくり

匿名 さんのコメント...

West Wind Clear: Cryptology and the Winds Message Controversy - A Documentary History
2008

https://www.nsa.gov/about/_files/cryptologic_heritage/publications/wwii/west_wind_clear.pdf

匿名 さんのコメント...

On 15 September 1939
http://en.wikipedia.org/wiki/Invasion_of_Poland#Phase_2:_after_Soviet_Union_invasion_from_the_east

匿名 さんのコメント...

2013.8.12 09:51
「日本政府が共産主義者に降伏」 終戦間際、中国武官が「米の最高機密」として打電
http://www.sankei.com/world/print/130812/wor1308120026-c.html

 ■ソ連の中枢浸透説を補強 英所蔵文書で判明

 終戦間際の昭和20(1945)年6月、スイスのベルン駐在の中国国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として、「日本政府が共産主義者たちに降伏している」と重慶に機密電報で報告していたことがロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで明らかになった。戦局が厳しい状況に追いこまれる中、日本がソ連に接近して和平仲介を進めたのは、ソ連およびコミンテルン国際共産主義が日本中枢に浸透していたためとの説を補強するものとして論議を呼びそうだ。(岡部伸)

                   ◇

 機密電報は1945年6月22日付で中国国民政府のベルン駐在チツン(中国名・斎●)陸軍武官が重慶の参謀本部に伝えた。

 英国のブレッチリー・パーク(政府暗号学校)が傍受、解読し、ULTRAにまとめ、公文書館に保管されていた。英国は交戦国だったドイツ、日本だけでなく、中国など同盟国を含め三十数カ国の電報を傍受、解読していた。

 電報の内容は「米国から得た最高機密情報」として、「国家を救うため、日本政府の重要メンバーの多くが日本の共産主義者たちに完全に降伏(魂を明け渡)している」と政権中枢がコミンテルンに汚染されていることを指摘。そのうえで、「あらゆる分野で行動することを認められている彼ら(共産主義者たち)は、全ての他国の共産党と連携しながら、モスクワ(ソ連)に助けを求めている」とした。

 そして「日本人は、皇室の維持だけを条件に、完全に共産主義者たちに取り仕切られた日本政府をソ連が助けてくれるはずだと(米英との和平工作を)提案している」と解説している。

 敗色が色濃くなった日本では同年5月のドイツ降伏を契機に、ソ連を仲介とする和平案が検討され、電報が打たれた6月には、鈴木貫太郎内閣による最高戦争指導会議で国策として正式に決まった。

 斎●武官は、この電報のほかにも同年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦を正式に決めたと打電したほか、5月からベルンで繰り広げられた米国との直接和平工作の動きを察知して逐一報告するなど、日本の動静を詳細に把握していた。

                   ◇

【用語解説】コミンテルン

 ロシア革命でボリシェビキ派が実権を握ったソ連共産党が1919年に、「世界革命の実現を目指し、ボリシェビキが各国の革命運動を支援する」国際組織を結成。22年に非合法に組織された日本共産党は「コミンテルン日本支部」と位置づけられた。35年まで7回の大会を開催したが、32年、「天皇制の廃止」を打ち出したテーゼを公にした。さらに35年、最後の大会で共産主義化の攻撃目標として日本、ドイツ、ポーランドをあげ、英国、フランス、米国の資本主義国と提携して撃破することを決議している。

●=火へんに俊のつくり

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匿名 さんのコメント...

2013.8.12 09:56
終戦へ共産国家構想 陸軍中枢「天皇制両立できる」
http://www.sankei.com/life/print/130812/lif1308120009-c.html

 ベルン駐在中国国民政府の武官が米国からの最重要情報として「日本政府が共産主義者たちに降伏している」と打電した背景には何があるのか。陸軍中枢にはソ連に接近し、天皇制存続を条件に戦後、ソ連や中国共産党と同盟を結び、共産主義国家の創設を目指す「終戦構想」があった。

 鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、ソ連仲介の和平案を国策として決めた際、「(共産党書記長の)スターリンは西郷隆盛に似ているような気がする」と、スターリンを評価する発言をした。

 この発言に影響を与えたとみられるのが、首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、4月に国家再建策として作成した「終戦処理案」だ。松谷氏は回顧録『大東亜戦収拾の真相』で「スターリンは人情の機微があり、日本の国体を破壊しようとは考えられない」「ソ連の民族政策は寛容。国体と共産主義は相容れざるものとは考えない」などと、日本が共産化しても天皇制は維持できるとの見方を示していた。

 さらに「戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる」として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指すべきだとしている。

 同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案「今後の対ソ施策に対する意見」でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結(2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる(3)ソ連、中共と同盟結ぶ-と書かれている。

 陸軍内の動きについて、近衛文麿元首相は20年2月、「国体護持にもっとも憂うべき共産革命に急速に進行しつつあり、共産分子は国体(天皇制)と共産主義の両立論で少壮軍人をひきずろうとしている」と上奏文で天皇に警告した。

 また、真珠湾攻撃目前の16年10月、ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲの協力者として逮捕された尾崎秀実は「(われわれの目標は)コミンテルンの最終目標である全世界での共産主義革命の遂行」で、狭義には「ソ連を日本帝国主義から守ること」と供述している。

 岸信介元首相は、25年に出版された三田村武夫著『戦争と共産主義』序文で「近衛、東条英機の両首相をはじめ、大東亜戦争を指導した我々は、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だった」と振り返っている。(岡部伸)

                   ◇

 ■“愚策”の謎を解く一次史料 半藤氏

 昭和史に詳しい作家、半藤一利氏の話「愚策といわれる大戦末期のソ連仲介和平工作の謎を解く一次史料だ。当時、統制派を中心とする陸軍中枢が共産主義(コミンテルン)に汚染され、傾斜していたことがだんだんと知られ、大本営の元参謀から『中枢にソ連のスパイがいた』と聞いたことがあったが、それを裏付ける確証がなかった。近衛上奏文など状況証拠はあるが、直接証拠はなかった。英国が傍受解読した秘密文書で判明した意義は大きい。米国の情報源は、ベルンで活発に諜報活動をしていた米中央情報局(CIA)の前身、戦略情報局(OSS)欧州総局長、アレン・ダレスだろう。当時、米国と中国国民党政府は、日本の首脳部が赤化していると判断していたことがうかがえる。ベルンで米国側からピースフィーラー(和平工作者)の動きが出てくるのは、こうした認識から戦争を早く終わらせ、アジアの共産化を防ぎたかったからだろう」

                   ◇

 ■日本を転換する周到な工作 中西氏

 コミンテルンの浸透工作など大戦期のインテリジェンスに詳しい中西輝政京都大学名誉教授の話「英国立公文書館所蔵の機密文書の信頼性は高く、第一級の史料である。第三国のインテリジェンスで、日本の指導層とりわけ陸軍中枢にソ連工作が浸透していたことを浮き彫りにしている。米国の最重要情報源とは、OSSのアレン・ダレスで、日本に対するOSSの分析だろう。また当時は国共合作していたため、武官は、中国共産党員の可能性もある。統制派を中心とした日本陸軍の指導層にはソ連に親和性を感じ、ソ連共産党に通じた共産主義者(コミンテルン)がいて、敗戦革命を起こして戦後、ソ連型国家を目指す者がいた。ゾルゲ=尾崎事件では、軍部は捜査を受けず、人事も刷新されず、コミンテルンによる浸透工作が継続していた。『ヴェノナ』文書により、米国のルーズベルト政権ですら、200人以上のソ連のスパイないし協力者がいたことが判明したが、防諜が弱かった日本でも、総力戦体制の中でソ連の浸透が進んでいた。ソ連を頼り、和平を委ねたのは、日本を共産主義国家へ転換する周到な工作だったとも考えられる」

©2014 The Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL All rights reserved.

日本が共産化しても天皇制は維持できる

匿名 さんのコメント...

対外宣伝グラフ誌 ソ連邦建設 写真週報 FRONT


写真週報 FRONT
宣撫工作を担った方々なかに共産主義者が多かったことは周知のできごとです

匿名 さんのコメント...

ルーズベルト 蒋介石 沖縄

匿名 さんのコメント...

真珠湾攻撃に新説 「訂正」打電遅れ、陸軍が指示? 大使館は清書できず
2016年12月26日 10時22分

こうした大事なことでさえ、どこかのだれかが隠蔽し情報操作をしているから、真珠湾攻撃から75年以上経過してもきちんと正しい事実が明らかにされない。
本当におかしい。
恥ずかしい。
通説やもっともらしい伝聞ではなくて、いいかげん、きちんとした事実を検証のもとに出してほしい。

匿名 さんのコメント...

武士道とか礼儀正しさとか儒教精神とかって、結局、なに?

匿名 さんのコメント...

事実と異なった通説を最初に流布させた人物と関連機関
いつ、だれが、どのような媒体で、なにを目的に、日本人の記憶にソレを刷り込もうと悪だくみをしたのでしょうか

みんながこういう大事なことをヨソゴトとして傍観者の立場に居続ければ、とんでもない嘘つきさんが背負うべき汚名を、騙されてきたみんなが身代わりで汚名を背負うことなっちゃう

匿名 さんのコメント...

首相「慰霊と和解の力を世界に示したい」
12月27日 17時58分
www3.nhk.or.jp/news/html/20161227/k10010821681000.html

ハワイを訪れている安倍総理大臣は、日系人らとの夕食会であいさつし、日本時間の28日にオバマ大統領と会談したあと、ともに真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊することについて、「慰霊と和解の力を世界に示したい」と述べ、日米の和解の価値や強固な同盟関係を内外にアピールする機会にしたいという考えを示しました。
ハワイを訪れている安倍総理大臣は、日本時間の午後、ハワイ最大のアメリカ海兵隊の基地である、カネオヘ航空基地を訪れ、基地の滑走路脇に設けられた旧日本軍の飯田房太中佐の記念碑に献花し、黙とうをささげました。

飯田中佐は、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃に参加したゼロ戦のパイロットで、攻撃中に燃料タンクに被弾したため、基地の格納庫に突入して戦死しました。

アメリカ軍が、飯田中佐の勇敢さをたたえて基地内に埋葬し、記念碑を建立したことから、日米友好の象徴として毎年、両国の関係者が参加して慰霊法要が行われていて、27日の安倍総理大臣の献花にも、アメリカ海兵隊の幹部らが同行しました。

このあと、安倍総理大臣は太平洋戦争をアメリカ軍の一員として戦った日系人らとの夕食会に出席して、あいさつしました。
この中で、安倍総理大臣は28日にオバマ大統領とともに、真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊することについて、「慰霊と和解の力を日米に、そして世界に示したい。これからも日米は『希望の同盟』として、地域や世界のさまざまな課題にともに立ち向かい、ともに取り組んでいきたい」と述べ、強固な日米同盟を内外にアピールする機会にしたいという考えを示しました。

安倍総理大臣は28日、真珠湾を訪れてオバマ大統領と会談したあと、太平洋戦争の発端となった75年前の真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナの乗組員を追悼するアリゾナ記念館で、ともに犠牲者を慰霊することにしています。

戦後、日本の総理大臣が真珠湾を訪れたことはありますが、現職のアメリカの大統領とともに犠牲者を慰霊するのは初めてです。

その後、両首脳は太平洋戦争をアメリカ軍の一員として戦った日系アメリカ人らを前に所感を発表することにしていて、安倍総理大臣はこの中で、戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないという不戦の決意と、日本とアメリカの和解の価値を強調することにしています。

真珠湾攻撃とは
太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃は、75年前の昭和16年12月に旧日本軍の空母機動部隊や潜水部隊がハワイのオアフ島にある真珠湾のアメリカ軍基地などに行った奇襲攻撃です。

戦後、旧防衛庁防衛研修所が編さんした「戦史叢書」によりますと、空母機動部隊による攻撃は日本時間の12月8日(現地時間12月7日の午前8時)ごろに始まりました。

オアフ島の北、およそ400キロに展開した旧日本軍の空母6隻から爆撃機や戦闘機、合わせて350機が2度にわたって出撃し、真珠湾に停泊していたアメリカ軍の艦艇や航空基地を攻撃しました。

当時、真珠湾には空母は停泊していませんでしたが、戦艦や駆逐艦など数十隻がいて、攻撃によって戦艦「アリゾナ」など6隻が沈没したほか、12隻が損傷しました。

死者・行方不明者は日本側が64人だったのに対し、アメリカ側では民間人数十人を含む、およそ2400人に上るなど、大きな被害が出ました。

真珠湾攻撃をめぐっては、日本は当初、アメリカに開戦の通告をしたあと攻撃を行う計画でしたが、不手際のために通告が遅れ、攻撃のあとになったことから、アメリカは「だまし討ちだ」などと強く非難しました。

米での市民の反応は
飲食店や商店が集まるホノルルの市街地では、日本時間の28日に安倍総理大臣が真珠湾を訪れ犠牲者を慰霊することについて、「知らなかった」と答えた人も多くいた一方で、地元の人たちからは歓迎する声が聞かれました。

9歳の時に真珠湾攻撃を目撃した84歳の男性は「当時、家にいたが、飛行機が真珠湾に向かって飛んで行き、その後、炎や煙が見えた。おそろしい出来事だったことを今でも覚えている」と話しました。
そのうえで、今回の訪問について、「とてもいいことだと思う。日本の総理大臣がここに来て、75年前の出来事を再認識してもらうことは重要なことだ思う」と歓迎していました。

また、近くに住む58歳の男性は「両国の首脳が真珠湾を訪れるのはすばらしいことだと思う。日本とは観光をはじめ、いい関係を築いている。戦争は昔の出来事で、地元の人たちも日本へのわだかまりはないと思う」と今回の訪問を肯定的に捉えていました。

また、真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナの乗組員を追悼するアリゾナ記念館を訪れたアメリカの人たちからは歓迎する声が聞かれました。

このうち男性の1人は「とてもいいことだと思う。私たちは悲劇的な戦争を経験した。過去に起きたことを思い起こすことはすべての人にとって重要だ」と話していました。

また、別の男性は「過去は過去であり、私たちは今、未来に生きている。かつて日米ともに苦しんだ人たちはいるが、今は強固な同盟国として協力する必要がある」と述べ、安倍総理大臣の真珠湾訪問を機に日米同盟が一層強化されることに期待を示しました。

一方で、真珠湾攻撃によって祖父の友人が戦艦アリゾナで犠牲になったという女性は「安倍総理大臣が訪問するのはいいことだと思うが、真珠湾攻撃について謝罪すべきだと思う」と話していました。

民進 蓮舫代表「不戦の誓い語ることは大きな意味」
民進党の蓮舫代表は、千葉県匝瑳市で記者団に対し、「オバマ大統領と、わが国の総理大臣が、そろって不戦の誓いを真珠湾で語るのは、とても大きな意味がある。ただ、オバマ大統領が目指している『核なき世界』について、残念ながらアメリカの次期大統領は方向性が大きく違うのではないかと受け止められる言動が目立っており、安倍総理大臣からオバマ大統領に対して懸念を伝えてもらいたい」と述べました。

>真珠湾攻撃をめぐっては、日本は当初、アメリカに開戦の通告をしたあと攻撃を行う計画でしたが、不手際のために通告が遅れ、攻撃のあとになったことから、アメリカは「だまし討ちだ」などと強く非難しました。

日本放送協会をはじめ日本の社会全体が、こうした見解を「是」と見做すのですか?

>アメリカに開戦の通告をしたあと攻撃を行う計画でしたが、不手際のために通告が遅れ、攻撃のあとになった

かつての大帝国のニッポン人のうち米英との開戦に責任をもつ層はおしなべて誠実で遵法精神に溢れていたのに「不手際」の「せい」で sneak となってしまっただけってこと?

>アメリカに開戦の通告をしたあと攻撃を行う計画でしたが、不手際のために通告が遅れ、攻撃のあとになった
>アメリカに開戦の通告をしたあと攻撃を行う計画でしたが、不手際のために通告が遅れ、攻撃のあとになった
>アメリカに開戦の通告をしたあと攻撃を行う計画でしたが、不手際のために通告が遅れ、攻撃のあとになった

匿名 さんのコメント...

アメリカへの開戦通告で新文書
12月29日 12時29分
www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20161229/5649621.html

75年前の真珠湾攻撃の直前、外務省からワシントンの日本大使館に発信された暗号電報を傍受したアメリカ軍の機密文書が新たに見つかり、発見した九州大学の三輪宗弘教授は、アメリカへの事実上の開戦通告が遅れたいきさつを解明するうえで貴重な文書だとしています。
アメリカへの事実上の開戦通告は外務省から、14部に分けてワシントンの日本大使館に発信されましたが、大使館での作業に時間がかかり、通告が真珠湾攻撃開始の1時間後になったため、だまし討ちだとして大きな禍根を残しました。
九州大学記録資料館の三輪宗弘教授は、12月8日の真珠湾攻撃の直前、外務省からワシントンの日本大使館に発信された暗号電報を傍受したアメリカ軍の機密文書をアメリカ国立公文書館で新たに見つけました。
文書には発信時刻が日本時間で記され、13部までが発信された7日午前1時ごろから、最も重要な14部が発信された7日午後4時半ごろまでの15時間余りの間に、さらに午後2時台と3時台の2回、電報が発信されていたことがわかったということです。
2回の電報の内容はわかっていませんが、三輪教授は、ほかの資料と照らし合わせたうえで、文書の修正を指示する電報だったと推定しており、その場合、大使館での作業に遅れが出る可能性があることから通告が遅れたいきさつを解明するうえで貴重な文書だとしています。
今回の記録について、九州大学記録資料館の三輪宗弘教授は、「発信時刻が判明したことで、今まで分からなかったことが解明できるようになると思う。日本にとってもアメリカにとっても非常に大きな意味があるので、しっかり研究していきたい」と話しています。

匿名 さんのコメント...

不作為な不誠実で不可解な擁護

匿名 さんのコメント...

エディ 裁判所 ドイツ人 東郷元外務大臣 いせ 政治家の責務

ナチスに反対するドイツ人 ゾルゲ ハーリッヒ=シュナイダー レーリンク判事