2016年10月24日月曜日

ルーテル教会からはじまった米国におけるTHAAD反対集会



米国内の平和市民団体の主導で主要都市で同時に集会開かれ
チョムスキー教授など代表的進歩学者たちの支持宣言も続く


今月21日、米ニューヨークのマンハッタンで開かれたTHAAD配備反対集会で、参加者たちが手立て札と垂れ幕を持っている。「THAADの韓国配備とアジア太平洋地域の軍事化を阻止するための米タスクフォース」提供//ハンギョレ新聞社

韓国への高高度防衛ミサイル(THAAD)の配備に反対する星州(ソンジュ)集会が100日以上続いている。韓国各地でこれに同調する集会が開かれる中、米国でも21日(現地時間)、これを支持する集会がワシントンやニューヨーク、ロサンゼルス、ボンスウィク(メーン州)など、主要大都市で同時に行われた。同日の集会は米国内の平和市民団体が集まって構成された「韓国へのTHAAD配備とアジア太平洋地域の軍事化を阻止するための米タスクフォース(TF)」が主導し、米国内のいくつかの進歩・平和団体と在米韓国人たちが参加した。

ワシントンのホワイトハウス前で開かれた集会には、アンサー(ANSWER)、平和在郷軍人会など米国の平和団体と在米韓国人たちが参加した。1990年まで30数年間、米中央情報局(CIA)で勤務した後、平和運動家として活動しているレイ・マクガバン氏は同日の集会で、「韓国へのTHAAD配備は北東アジアの平和を阻害する」という見解を明らかにした。

ニューヨークのマンハッタンで開かれた集会にも、韓国人はもちろん、平和在郷軍人会、国際行動センター、アンサー、日本とフィリピンの反戦平和団体のメンバー約70人以上が集まって、「戦争反対」を叫んだ。平和在郷軍人会で活動しているピーター・ブロンスン氏は「マスコミの北朝鮮の挑発だけ取り上げているが、数万人の兵士が参加する戦争練習を毎年行っており、『敵の政権を崩壊させて指導者を斬首する』作戦まで練習する国は(ほかでもなく)米国である。米国に住んでいる私たちが積極的に乗り出して、星州、金泉(キムチョン)と連帯し、戦争を呼ぶTHAAD配備を強く批判する声を高めなければならない」と力説した。

ロサンゼルスでは(韓国)総領事館前で集会が開かれたが、保守団体のTHAAD配備の賛成集会と重なるなど、混乱の中で行われた。保守団体の会員約20人が先にデモの場所に出て「THAADの韓国配備を積極的に歓迎」、「北朝鮮の核消えない限り平和は訪れない」などのピケットを持ってTHAADに賛成する集会を開いた。彼らは「従北(朝鮮)アカたちは北朝鮮に行け」はなどのスローガンを叫んだ。保守団体と進歩団体の集会が同時に開かれたことで、物理的衝突を憂慮した警察が出動し、集会の進行状況を見守る場面もあった。ロサンゼルスの集会に出席したアンサーのプレストン・ウッド氏は「朝鮮半島の平和のためにTHAAD配備に反対するだけではなく、韓国の米国人のためにもTHAADに反対する」としたうえで、「子供たちにとって暮らしやすい環境をつくるためにも、米国の脆弱な社会福祉と教育予算を、米国が警察国家となって戦争の危機を高めるのに使うことには反対する」との立場を示した。

「韓国へのTHAAD配備とアジア太平洋地域の軍事化を阻止するための米国タスクフォース(TF)」は10月初めから、THAAD反対の声に同調する団体の支持宣言を引き出すのに力を入れてきた。1カ月もたたないうちに、84団体の支持宣言が続いた。米国の緑の党をはじめ、平和在郷軍人会、国際行動センター、アンサーなど多くの平和・進歩団体はもちろん、ノーベル平和賞を受賞したスイスの常設国際平和局など、10以上の欧州の平和団体も支持を表明した。

進歩的な学者として有名なMITのノアム・チョムスキー教授、デニス・クチニチ元米連邦下院議員、韓国専門家であるシカゴ大学のブルース・カミングス教授、ラムジー・クラーク元米連邦法務長官など、米国内の進歩的な著名人たちの支持宣言も相次いだ。

8回にわたって米下院議員を務め、二回も民主党の大統領選予備選挙後部に出馬したクチニチ議員は、タスクフォースに送ったメールで、「米国下院議員だった頃に行った調査によると、このシステム(THAAD)は検証されていない技術である。作動効率性をさておいても、THAADシステムの(朝鮮半島)配備は『先に防衛、後に武力行使』のように見えるが、実は戦争を呼び込む好戦的な行為である。韓米軍事演習とともにTHAADシステムは、すでに対立の最高潮に達した北朝鮮との関係に、追加的な負担をもたらすだけだ。THAADは平和のための技術ではない。戦争のためのものだ。技術に依存しないで心の力で北朝鮮の兄弟、姉妹たちと平和と和解に向けた努力を再開しなければならない」として、(タスクフォースに対する)支持の理由を明らかにした。

タスクフォースのメディア担当のシモン・チョン氏は、10人のボランティアたちが直接さまざまな団体と著名人に接触したと話した。チョン氏は「チョムスキー教授は、長い間韓国の進歩・労働・平和・済州(チェジュ)江亭(カンジョン)・ペク・ナムギ氏に対する公権力の弾圧まで、持続的な関心と連帯を見せており、今度のTHAAD配備に対する反対にも強力な反対意思を示した。チョムスキー教授は特に、主要メディアで無視される個人、市民団体の進歩・労働・平和運動に多くの関心を持っているため、快く署名に参加してくれた」と伝えた。

米国におけるTHAAD反対集会は今月14日、カリフォルニア州のバークレーで始まった。バークレーのルーテル教会で開かれたこの会合には、韓国人と他の民族の参加者約50人が集まり、朝鮮半島の平和を祈った。同日、この会合に参加した女性運動家のグウィン・カーク氏とUCサンタクルズのクリスティーヌ・ホン教授は「THAADの韓国配備は中国とロシアなどの利害関係と背馳するもので、朝鮮半島に危険をもたらしかねない」と指摘した。

「韓国へのTHAAD配備とアジア太平洋地域の軍事化を阻止するための米タスクフォース」はこれからも韓国にTHAADが配備されるのを阻止するため、米国内の教育と広報活動を継続していくと明らかにした。

ロサンゼルス/イ・チョルホ通信員
http://japan.hani.co.kr/arti/international/25471.html

Avram Noam Chomsky was born on December 7, 1928, in the East Oak Lane neighborhood of Philadelphia, Pennsylvania.[22] His father was the Ukrainian-born William "Zev" Chomsky, an Ashkenazi Jew who had fled to the United States in 1913. Having studied at Johns Hopkins University, William went on to become school principal of the Congregation Mikveh Israel religious school, and in 1924 was appointed to the faculty at Gratz College in Philadelphia. His wife was the Belarusian-born Elsie Simonofsky (1903–1972), a teacher and activist whom William had met while working at Mikveh Israel.[23

Noam was the Chomsky family's first child, with his younger brother, David Eli Chomsky, being born five years later.[25] The brothers were close, although David was more easygoing while Noam could be very competitive.[26] Chomsky and his brother were raised Jewish, being taught Hebrew and regularly discussing the political theories of Zionism; the family were particularly influenced by the Left Zionist writings of Ahad Ha'am.[25] As a Jew, Chomsky faced anti-semitism as a child, particularly from the Irish and German communities living in Philadelphia.[27]
Chomsky described his parents as "normal Roosevelt Democrats" who had a center-left position on the political spectrum; however, he was exposed to far-left politics through other members of the family, a number of whom were socialists involved in the International Ladies' Garment Workers' Union.[28] He was substantially influenced by his uncle, a dropout who owned a newspaper stand in New York City where Jewish leftists came to debate the issues of the day.[29] Whenever visiting his uncle, Chomsky frequented left-wing and anarchist bookstores in the city, voraciously reading political literature.[30] He later described his discovery of anarchism as "a lucky accident",[31] because it allowed him to become critical of other far-left ideologies, namely Stalinism and other forms of Marxism–Leninism.[32]

Chomsky's primary education was at Oak Lane Country Day School, an independent Deweyite institution that focused on allowing its pupils to pursue their own interests in a non-competitive atmosphere.[33] It was here that he wrote his first article, aged 10, on the spread of fascism, following the fall of Barcelona to Francisco Franco's fascist army in the Spanish Civil War.[34] Aged 12, he moved on to secondary education at Central High School, where he joined various clubs and societies and excelled academically, but was troubled by the hierarchical and regimented method of teaching employed there.[35] From the age of 12 or 13, he identified more fully with anarchist politics.[36]
































、、、(爆wwwwwwwwwwwwwwww

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

LutherをLoserに空耳してしまう(笑)

ご近所 さんのコメント...

401号室が、大正解って言ってますう)^o^(

匿名 さんのコメント...

ルターもカルバンも反ゴッド派ですか?
今キリスト教を名乗っている教会はほぼ
全て反ゴッド派なんでしょうね、多分。

匿名 さんのコメント...

golden rose

匿名 さんのコメント...

トロントの看護師 に書こうかと迷ったのですが、、
まずToronto の Coat of arms がTポイントカードなのでえぇ?ってなったわ

英語あまり読めないので見てたら、York がいっぱい目に入って、、
ちょっと気になってることが前からあるんです
創世記のラムセスの地について
King James 訳聖書(1769年と、とあるブログにあった)に「the land of Rameses」
と書かれている って話が興味深いな って
まぁそれだけです(汗

あとは、トロント生まれのグレン・グールドは(ユダヤ系じゃないらしいですが)
ユダヤ人に間違われないようにGoldから改名した って話を思い出した
それでユダヤ系の名前なんだ?って知ったんですけど、、
そもそもGould は Anglo-Saxon オリジナルで
それからGold になったと(読み方間違ってなければ)書いてあったので
うん?ってちょっとなりました
ママは長老派だそうですね

Smith は職人さんかな 元締めとは身分違うのかな とか考えだすと
またとっ散らかるっちゃうんですよね(汗