2016年2月4日木曜日

白洲正子@薩摩とキリスト教を学んだ山伏、鮫島圓成坊の末裔





で、少し種明かしを・・・












→島津










で、島津の現党首はぺドチン大統領とこっそりアレされてた事をおいらは知ってたりするわけで・・・(爆wwwwwww

で、甘利明さんといえば薩摩興業なわけで・・・(爆wwwwwwwwwww




以下こぴぺ



58 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/04/15(月) 20:50:08.89 ID:GOMu09+C
http://i.imgur.com/a6KO2Nz.jpg

【薩摩の山伏・鮫島圓成坊=アンジロー=ザビエルを日本へ導いた男】

朝鮮総連本部を競落した鹿児島の宗教法人の池口恵観(俗名:鮫島正純)を調べてて面白い記事を見つけた。
薩摩の島津義久(1533~1611年)が山伏の鮫島圓成坊なる山伏を他国へと遣わしてキリスト教を学ばせ、帰国する際に欧州植民地主義の尖兵イエズス会のザビエル(1506~1552年)を引き連れて日本へ布教に来たという。
鮫島圓成坊が歴史の教科書などに出ているヤジロー=アンジローであることが判明したという昭和4年の読売新聞の記事だ。
そこで、今回の池口(俗名鮫島)法主との非常に強い共通性が示唆される。
薩摩、鮫島、山伏=密教が完全に一致。しかも、ヤジローはクロ教(後述)とも繋がるオカルトファン垂涎のテーマだ。

この鮫島が朝鮮総連本部を競落した池口(俗名鮫島)法主のご先祖の可能性があるなら、ご先祖さまからして日本に災厄をもたらす存在=しかも、密教系でそうした念の世界の人であるから、一層凄みを持つ。
さらに、薩摩には「文禄・慶長の役」(1592~ 1598年)で朝鮮半島から連行された朝鮮人の集落(旧鹿児島県加世田市、現鹿児島県南さつま市)が形成されているのも注目される。
なぜなら、池口法主は小泉純一郎の実父、小泉(旧姓鮫島)純也(1904~1969年)と親戚(叔父ー甥?)であることも周囲には話しており、純也がこの朝鮮部落出身であることも確認されている。
こうしたことから今回の朝鮮総連本部競落と濃厚な関連性が認められる。

59 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/04/15(月) 20:50:40.55 ID:GOMu09+C
本題はこの記事。

キリシタンを學んだ 鮫島圓成坊
牛窪弘善(投)
萩野博士の薦著『中等教育日本歴史』中に左の一説がある。
 薩摩の島津氏は鮫島圓成坊といへる山伏を南蛮に遣はしたり。
と、この圓成坊とはどんな事歴を持つて居る人であるか、私は今日まで数十年の久しい間、これを調べうる機會が無かつたのである。
實は毎年の暑中、私は博士邸に起臥したのであつたが、他の調査に歿頭したのと、老博士を煩はすことをお氣の毒に思つたので、ついつい延期してゐる中に、博士は遂に白玉楼中の人となられた。
私はこの好機會を逸して仕舞つたことをいつもはなはだ遺憾に思つてゐた。
然るに先日のこと、某小學校の職員室で机上に積まれてあつた●刊本『薩摩海軍史』を何氣なく繙いたのである。その中に圓成坊について次のやうな考證に接することを得た。
 ザヒエールに随行して來た安次郎アンセイなる者の事歴は詳らかではないが、
薩藩の●傳集に見える所の海外に渡つて基督教を攻究した鮫島圓成坊は、此の安次郎(アンジロー)と同一人であるらしい。
何となれば圓成なる西字の音アンとエンとは両音相通するからである。
といつて更に●傳集を引いて、
龍伯公(義久)の御代薩州山川に(割註にアンセイ南蛮に航する時山川より發すとある。)鮫島圓成坊といふ山伏あり……
龍伯公の命に依り、右圓成坊他國に行きて鬼利支丹伴天連なんどいふ宗旨の弟子になり、金銀を多く出して學びける程に三ヶ年の間に彼の宗門の極意の残る所なく傳請して帰国し云々
これに依つてアンジロー(安次郎)が即ち鮫島圓成坊であることゝ此の圓成坊が他國へ出て基督教を學んだ事とが明かになり、
数十年間の疑雲が始めて霽れた訳
で、私はこんな嬉しい事は近頃始めてゞあつた。
だが、私には尚ほ之について調べて置きたい事がある。
それは彼れ圓成坊はどこで基督教を學んだのであるかである。

60 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/04/15(月) 20:51:04.59 ID:GOMu09+C
萩野博士は●著『中等教育日本歴史』には、南蛮(ポルトガル?)としてあるが晩年の『日本史講話』に於いては
 フランシス・ザヴイエルはゴア及びマラツカ等に於て其布教に従事して居たが、偶然マラツカに來てゐたアンジローといふ一日本人と相知る事となつたザヴイエルはアンジローに洗禮を授け……と記て居らるゝ。
所が海軍史に依ると海外といひ、他國となし、割註には南蛮と書いてある。事實はどこが正しいのであらうか。
薩摩には聖護院宮様に直隷した修験者がいくらもゐたから、彼れ圓成坊は本山方の山伏であつたであらう。
山伏には一世の修験といつて其の身一代修験を志した者もあつたから安次郎といふ名は彼れが俗名であらう。
因に薩藩海軍史は鎌倉郡教育會長東郷中将が島津家の古書に依つて編次したもので、我が海事史として貴重な資料に属し。
特に西洋文明との接触については前人未拓の領域を新たに開墾されたもので何人も精読すべき有益な記事がもられてある。
上中下の三巻を以て頗る膨大な冊子であるが、その価格十五圓は確に低廉と云はねばならぬ。
(読売新聞文藝日曜附録 昭和4年8月18日付)


ヤジローWikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヤジロウ#section_4
ヤジロウ伝説

鹿児島県には、ヤジロウが身を潜めて宣教を続けていたとする伝承がいくつかある。
甑島には同地の天上墓はヤジロウの墓であり、クロ教(クロ宗)はヤジロウの伝えた隠れキリシタン信仰であるという伝説がある[5]。

クロ教Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/クロ教#section_4
クロ教

クロ教(クロ宗とも)とは、鹿児島県甑島の一部で信仰されていると言われる土着宗教。
キリスト教が禁止・弾圧されていた時代からの隠れキリシタンの一部であるとされている。

61 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/04/15(月) 20:51:35.62 ID:GOMu09+C
由来・伝説

甑島では、1602年にドミニコ会の宣教師が来航してキリスト教を広め、禁教令によって弾圧が始まると1638年には信者が捕えられて処刑されたと言われている[1]。
このほか、甑島にある天上墓は、フランシスコ・ザビエルの通訳者だったヤジロウ(1511年?~1550年頃?)の墓であるという伝説があり、キリスト教伝来期から信者がいた可能性がある。
また、島原の乱(1637-1638年)以降に甑島に逃れて来た隠れキリシタンの末裔であるという説もある。


牛窪弘善なる人物はどうやら、高野山密教の修験行者のようで、佐渡島に縁のある人物のようだ。
萩野博士は
萩野由之 - Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/萩野由之#section_2
萩野由之

萩野 由之(はぎの よしゆき、万延元年4月17日(1860年6月6日) - 大正13年(1924年)1月31日)は、日本の歴史学者・国文学者。東京帝国大学名誉教授。文学博士。

研究領域は幅広く、一つに、古代・近世の法制史の研究で、『日本制度通』(小中村義象と共著)・『日本財政史』・『江戸幕府職官考』等を著した。
二つに、古代から中世の古典の研究で、特に『神皇正統記』や四鏡(『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』)等の校訂や研究に力を注いだ。
三つに、幕末維新史の研究で、渋沢栄一著の『徳川慶喜公伝』の監修や『王政復古の歴史』を著した。
ほか、萩野の郷土である佐渡島の研究や史料蒐集も行い、佐渡関係の著述も多数ある。
彼の蒐集した佐渡関係史料は未刊の『佐渡群書類従』を中核に千余冊が新潟県立佐渡高等学校同窓会の「舟崎文庫」に所蔵されている。
また、萩野の蔵書は九州大学附属図書館に「萩野文庫」として架蔵されている。

62 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/04/15(月) 20:51:59.43 ID:GOMu09+C
薩藩海軍史 - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=ZiZ0HcAgbmIC&dq=圓成坊&hl=ja&output=html_text


薩藩海軍史もGoogle先生に資料がアップされていたのでぺたり。
- Google ブックス

... を以て殊に其然るを聲ゆ、奮博集に日く。龍伯公(義久)の御代薩州山川に、(野ろ屯朋
TEL嫡魑即理鮫島圓成坊と云ふ山伏あら 0 然るに其頃宙螢人多く本もて、山川よら
喜入の遮迄の濱漣の魔原・無用の地横萱丁程長さ三里許$を借地鍍一席往古時蛇八九
.
ページ
... とて止みけ$0 然は日本國申に、彼宗旨ひろが$、祠鐙不息儀多し、誠に雛有宗旨なり
と云縄らしけれぱ、御営幽に弘御免可有かと、御評議有之、善悪を乱きん篇め、龍伯公
の命に依 b 、右圓成坊他國に行至て、鬼利支丹件天遮なんと云ふ宗旨の弟子にな$。
ページ
龍伯公時代は・永祓の頃ょみ天正年間にあり、若し夫れ圓成坊の事蹟に至らては・大
中公(貴久)時代とすれば西洋の記錬に符合す。(附記口安次郎の補船に乗組み、山川を
出穣したるは天文十五年にして聖借「ザビェ I ダ」と共に錦葮し東るは天丈十八年なら而 ...

63 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/04/15(月) 20:52:20.47 ID:GOMu09+C
で、クロ教だ。

http://nazolog.com/blog-entry-5553.html

怖い話まとめブログ


死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?298

267 :本当にあった怖い名無し:2012/07/02(月) 08:31:10.74 ID:sIFvSJ950
関係ありそうな話をコピペしとくか

名無しさん (2011/04/23(土) 00:15:22 ID:q9NTXmz5bM)
『クロ宗』の鉄の掟

今から400年前、キリスト教徒が江戸幕府によって迫害されていたころの話。
島原の乱に敗れたあと、彼らは幕府からの厳しい弾圧を逃れるべく、鹿児島県、下甑島(しもこしきじま)に流れ着いた。
離島であるがゆえに、幕府の追及も届かない。
ようやく安住の地を得た彼らはこの島にTという集落をもうけ、なおもキリスト教を信仰し続けた。
とはいえ世間から孤立することにより、キリスト教本来の教えとは異なる独自の宗教を編み出すに至る。
それが『クロ宗』だった。
クロス(十字架)が語源といわれ、外部との接触を完全に拒んだ秘密結社的な概念。
驚くべきことに、隠れキリシタンの末裔たちによって、今もなお受け継がれているそうだ。

64 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/04/15(月) 20:52:37.16 ID:GOMu09+C
『クロ宗』の最たる特徴は、死の儀式にある。
信者が生命の危機に瀕した場合、『サカヤ』と呼ばれる司祭のもとに運ばれ、
まだ息があるにもかかわらず、生き血と生き胆を摘出するというのだ。
信じがたい話だが、その取り出したるモノを信者全員で食べ、飲み干すという……。

ある大学の民俗学教授は言う。
「宗教儀式の中には、死者の魂を取り込むため、身体の一部を食するというものは存在します。
 ですが、生きているうちから血と肝を抜くというのは、稀ではないでしょうか。
 サカヤ(司祭)の家から出される遺体は、白い布でグルグル巻きにされ、その布には血が滲んでいるというのですから、
 恐ろしい儀式ですよね」

とはいうものの、この禁断の儀式は詳細がいまだ明らかにされていない。
『クロ宗』を信仰するT集落の住人は、よそ者を完全に拒み、話しかけても相手にすらされない。取材にも一切応じない。
家屋は全部で20戸ほどの小集落にすぎない。
しかもそれぞれの家が3メートル前後ものブロック塀で囲まれており、異様な雰囲気を醸し出している。
『クロ宗』信者には、集落内での出来事を一切口外してはならないという鉄の掟があり、
それを破った者は命を取られるのではないかともウワサされている。

※明治時代まで肝食いをやっていただの、集落に近づけさせないためのデマにすぎないとの諸説がある。
 あまり真に受けないように。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

小泉純一郎 鮫島 鹿児島

匿名 さんのコメント...

高野山米国別院百周年記念昼餐会 高野山米国別院「百年の歩み」
https://www.youtube.com/watch?v=XoViEAnu3_w

匿名 さんのコメント...

高野聖之外出家山伏入事

匿名 さんのコメント...

いわゆる seed で合ってるかしら

匿名 さんのコメント...

苗代川 玉山神社 島津 朝鮮