2012年7月5日木曜日

青山家はただの武家ではござらぬ、徳川将軍家のアレでござる。(w

そう言えば昔、おいらの家の丹波篠山出身で死ぬ直前にキリスト教徒になったカリスマ婆ちゃんがよく

「東京の青山通りの土地は全部青山家のものだったのに戦争で全部無くなってしまった」

とか言ってましたよ。(爆w







尚、亀岡市には幾つかの秋葉神社があるようですが、今回は、紺屋町にある秋葉神社(元秋葉神社)を採り上げました。


新たに藩主となった青山忠重は、前任地の浜松で防火の神様として広く信仰されていた秋葉三尺坊を城下町の紺屋裏惣堀内側の穴太口に仮宮を建立して神霊を勧請し、城下の防火を願ったということです。これが今回の亀岡市紺屋町の秋葉神社の始まりとなります。
ここで、秋葉三尺坊(秋葉三尺坊大権現、秋葉大権現)についてです・・・
秋葉三尺坊とは、赤石山脈の最南端に位置する秋葉山(静岡県浜松市天竜区)の山頂に鎮座する火伏の神です。


、、、(爆w

で、青山さんと言えば・・・


2.北側の篠山藩(本家)、南側の郡上藩分家

明治初期の旧丹波篠山藩青山家(温故写真集)
現在の青山の地一帯はのち忠成から四男・幸成に引き継がれた。補足すると当初は長男の忠俊が継いだのであるが三代将軍徳川家光の怒りを買って取り上げられてしまい、代りに弟の幸成に支給されたのである。その後寛永9年(1632年)になって許され、忠俊の子、宗俊が再び幕府に召し出されることができた。この時邸地の北の部分が宗俊に分与され、以後、青山通りをはさんで北に本家の青山邸、南に分家の青山邸が向き合う形となり、明治維新まで続く。この間何度か幕府に上地(ご用地とし返上すること)したので、一部には他の大名や幕臣の屋敷も建てられたが、大半は両青山邸が占め続けた。 忠俊の子孫は天明5年(1785年)丹波篠山藩主となり、幸成の子孫は宝暦8年(1758年)美濃郡上藩主となり、幕末を迎えた。明治2年、幸成から数えて11代目の幸宣の時、版籍奉還が行なわれた。





で、青山光子さんの末裔の方の中にはヴァチカン聖人認定された方もいらっしゃったり、第二次世界大戦前には欧州方面で色々暗躍された方とか、鳩山の由紀夫ちゃんの口癖たる「友愛」の元ネタを作られたEUの父とかもいらっしゃるわけです。(爆w

で、



青山氏(あおやまうじ)は日本の武家の一つ。藤原北家花山院流。江戸時代の譜代大名でたびたび幕府の要職にも就いた。

祖先は上野国吾妻郡青山郷(現・群馬県吾妻郡中之条町青山)の出身で、その後、三河国額田郡百々(どうどう)村に土着し、松平氏に仕えたとされる。記録上の初見は松平広忠とその子元康(家康)に仕えた忠門であり、その子忠成は秀忠の側近として近侍。関ヶ原の戦後、加増され大名に列した。宗家は江戸期を通じ、大坂城代、老中などの幕府要職に就き、常陸国江戸崎、武蔵国岩槻、信濃国小諸、遠江国浜松、丹波国亀山など転封を繰り返したが、1748(寛延元)年、丹波国多紀郡篠山(現・兵庫県篠山市)に移封され、6万石で維新を迎えた(→篠山藩)。忠成の三男幸成の系統は美濃国郡上郡八幡(現・岐阜県郡上市)に4万8,000石を領した(→郡上藩)。どちらも廃藩後は子爵となった。家紋は無字銭、葉菊。










で、以下コピペ。(w
2006.6.20
なんと伊賀・服部宗家が青山氏の正体だった?!
[ 今昔江戸 ]

さて、お江戸青山の歴史に引き続き、江戸に張り巡らされていた地下トンネルについて書いたのでござるが、青山氏の系図を見ていたら、とんでもないことに気付いてしまったのでござる。

とんでもないこととは、伊賀服部宗家が、いつに間にか青山家となっていたのでござる。

さて、時は戦国、本能寺の変直後。
わずかな家臣とともに大阪に出ていた家康は急ぎ領国に逃げ帰ることになるのでござるが、武者狩り横行するために街道の利用はままならぬ。そこで使ったルートは有名な伊賀越えルート。

先導したのはすでに家康の旗本になっていた服部半蔵。伊賀上忍であった服部家の血縁を活かし、宗家・服部正尚と連携し家康の脱出劇に加勢したのでござる。

この時に功あった伊賀者が、後に家康によって取り立てられ、伊賀組となり申した。
つまり伊賀組は服部半蔵を組頭に頂いてはいたが、徳川家の家臣。伊賀の頃のように、上忍服部家の使用人という立場ではござらなんだ、ということでござる。

話は飛ぶが、二代目服部半蔵が伊賀組を自分の家臣のようにしてこきつかったために、件の笹寺での反乱が起こったのでござる。

さて、伊賀国・服部宗家の服部正尚も、家康に江戸詰めを命じられたのだが、宗家を継ぐ立場として、それはできない。正尚は弟の服部七右衛門を自分の代わりに家康の元へと出向かせたのでござる。

これなどは、家康に江戸に呼ばれた柳生石舟斉が宗家を守るために柳生宗矩を江戸に向かわせたのと似ておりますな。

江戸に出た服部七右衛門は、やがて兄亡き後に服部宗家を継ぐこととなり、さらに、なんと!子の無かった青山(忠重)家に養子入りしているではござらぬか!!


そして改名し青山成重となったのでござる。


青山と改名した服部七右衛門は、秀忠のもり役となり、以後、秀忠の側近として権勢を振るったのでござる。恐るべし青山家・・・。

【もうひとつの真実】
もり役とは、そんなにカンタンになれるのか、という疑問を誰もが抱くと思うのでござるが、ここにもうひとつの秘密がござった。

なんと!秀忠には服部家の血が流れていたのでござる。

秀忠の母は西郷局と呼ばれた愛さまでござる。この系譜をたどってみると、愛は西郷正勝の娘と戸塚忠春との間に生まれたのでござるが、戸塚忠春が戦死して後に、西郷正勝の娘と愛は服部正尚のもとに嫁いでいるではないか!

つまり、秀忠の母・愛は服部七衛門の義理の姪、ということでござる。

勘ぐれば、秀忠の母・愛(西郷局)は戸塚忠春の子ではなく、服部正尚と西郷正勝の娘との間に生まれた子だったとも考えられよう。そして、服部家で育てられ、家康に寵愛されて秀忠を生んだ。ために、もり役として服部宗家の七衛門つまり青山成重が抜擢された、と相成るのでござる。

柳生とて、元々は伊賀・甲賀と隣接する立地で、忍の家系でござる。
家康と忍、そうとうに深いところでつながっていると、拙者は見た。

江戸の地下に張り巡らされたトンネル。
徳川幕府の裏の顔は、忍でござった、ということでござろうか。
Posted by 今昔堂 at 14:31:05 | リンク (1)
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青山氏は、寛政重修諸家譜に「花山院堀川師賢(後醍醐天皇の忠臣)の子 信賢、その子 師資、其の嗣 師重、初めて青山と称す」とある。その後裔忠門のとき、近江国から三河国へ移り三河国額田郡百々村の城主となった。その忠門が松平広忠・徳川家に仕え、その子忠成は秀忠の守役を務めて徳川氏の創業に貢献した。
青山家は「葉菊」を定紋とした。南北朝時代、祖先が南朝に与して功があり、日月、菊紋の錦の御旗を賜ったという。そのとき、楠木家の旗紋もまた菊花であったことから、これと区別するために両葉を加えた。以後代々、家紋としたとされている。とはいえ、南北朝を扱った『太平記』や『梅松論』などに、日月の錦旗は活躍しても、菊文の錦旗というのはみえない。青山氏の葉菊紋のいわれも、そのままには受け取れないところが少なからずあるようだ。
忠成は早くから家康に近仕し、二十一歳の時に父忠門の後を継いだ。天正十三年、秀忠の傳となり、秀忠十一歳の時に上洛した際、随従して秀吉から従五位下常陸介に叙任された。関東入府後は武蔵国に五千石を受けている。慶長五年、関ヶ原の戦いには秀忠に従軍して遅参したものの、同年十一月には播磨守となり、翌年には上総国と下総国に併せて一万五千石を賜った。さらに江戸奉行・関東総奉行を兼任し、本多正信・内藤清成と並んで幕政に重きをなした。
秀忠治政のとき、仁の酒井雅楽頭、智の土井大炊頭とならんで勇の青山伯耆守として将軍秀忠を輔け、武蔵岩槻四万五千石を領した。しかし、元和九年(1623)忠俊は、三代将軍家光の勘気にふれ、領地は収公された。忠俊がなぜ勘気にふれたのか、その理由についての明確なものは記録として残っていない。
もっとも考えられるのは、当時の秀忠・家光の二元政治にその因を求められないか。すなわち、忠俊は秀忠から信頼の厚い側近であり、家光の若手側近グループからすれば、最初に排除されなければならない存在であった。また忠俊は、家光の補導役として強諌直言のこともあった。これらの結果、古い政治家となった忠俊は舞台から去らざるを得なかったのではないか。
寛永九年、秀忠が死ぬと、忠俊も自ら剃髪してかねて大徳寺の宗珀和尚から与えられていた法号道称を用いて、春室宗信と名乗った。しかし、秀忠の死は二元政治の終焉を意味し、同年江戸より「赦免」の手紙が届いた。これは、勘気が家光の個人的なものではなく、当時の政治状況によって起きたものであることを背面から語っているものだ。つまり、家光は忠俊の忠誠をわかっていながら、自己の権力の教化のためには秀忠派の忠俊を切り捨てざるを得なかったということだろう。
こうして、嫡子の宗俊は大名に返り咲き、その後青山家の家運は営々と栄え、その嫡流の多くが幕閣の重職についた。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/aoyama.html 

17 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

まったくもって、くえないお人ですな(w
篠山にキリスト教(爆w
ますます面白い方ですな、やはり、からかってるんですな(w

匿名 さんのコメント...

徳川家広はむっちり系デブリンコで
徳川義崇は普通のバーコードハゲ親父

どうみても大それた事するような大物には見えない。

やはり黒幕は団長が書いてるように☆か罰姦ですかね?

それとも「忍」ネットワークが一人歩きしてるとか?

てんこもり野郎 さんのコメント...

荒らしを削除しときました。(w

>やはり黒幕は団長が書いてるように☆か罰姦ですかね?
>それとも「忍」ネットワークが一人歩きしてるとか?

何ともいえませんが、まあ確かにこの人達には黒幕ってオーラ無いですよね。(w
まだ後藤さんとかの方がそれっぽい。(爆w

匿名 さんのコメント...

三釈迦山→サンカだったんですか

匿名 さんのコメント...

「丹波竜」下あご発見 顔つきなどの研究に有効 兵庫県
2012.6.23 18:40

 兵庫県丹波市山南町の白亜紀前期(約1億1千万前)の地層「篠山層群」から、大型草食恐竜「丹波竜」の下あごの化石が発見され、兵庫県立人と自然の博物館(同県三田市)が23日、発表した。同博物館によると、丹波竜が属する竜脚類の下あごの化石が見つかったのは国内で初めて。

ミネ さんのコメント...

昔、都営アパート?住まいの自分の実家はセンター街のすし屋(店名はやめとくw)って言ってたお婆サンを思い出させてくれる冒頭デシタw

家康トーチャン話=なぜ秀忠が3代目なのか話
つまりはカーチャン誰?デスネ、あざーす
この人は春日局ばかりが注目されてしまうからねぇ・・それもつまりだったりするんで
面白いんだわ

匿名 さんのコメント...

お困りのかたw
http://online.wsj.com/article/SB10001424052702303684004577506880615485076.html?mod=WSJ_World_LEFTSecondNews

匿名 さんのコメント...

最初から、バチカン系であった日本に茶々を入れているのは、米国でしょ。

匿名 さんのコメント...

反米厨、とうとういっちゃったのwww

匿名 さんのコメント...

>最初から、バチカン系であった日本に茶々を
>入れているのは、米国でしょ。
>2012年7月5日 22:19

、、、ブッ!(松田優作風にコーヒーを吹いた)

匿名 さんのコメント...

>>やはり黒幕は団長が書いてるように☆か罰姦ですかね?
>>それとも「忍」ネットワークが一人歩きしてるとか?

>何ともいえませんが、まあ確かにこの人達には黒幕ってオーラ無いですよね。(w
>まだ後藤さんとかの方がそれっぽい。(爆w

徳川と姻戚関係を結んでいる旧皇族もいたはず。やっぱ皇族の敵は皇族というお決まりのパターンか?チョンやバチカンと強いコネクションを持つ皇族って誰だろう?竹田家?

かつての天皇が藤原をケツもちにしていた時と同じように、バチカンをケツもちにしたらバチカンにとって都合の良い跡目相続や婚姻が繰り返されるのは当然ですね。

匿名 さんのコメント...

青山姓といえば、日系2世といわれた「青山由太郎」って、どんな人なんでしょう。
次男は失踪しちゃった徳川剛さんです。


失踪しちゃった人って、けっこういるんですね。

匿名 さんのコメント...

多紀名勝志
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948390

匿名 さんのコメント...

https://www.google.co.uk/search?hl=en&gl=uk&tbm=&authuser=0&q=editions%3AtlYy9T7hxu0C&oq=editions%3AtlYy9T7hxu0C&gs_l=news-cc.1.1.43j43i53.1175.1175.0.2080.1.1.0.0.0.0.98.98.1.1.0...0.0...1ac.1.KyB3EnOo3r8#authuser=0&gl=uk&hl=en&q=editions%3AtlYy9T7hxu0C&tbm=bks

匿名 さんのコメント...

http://books.google.co.jp/books?id=PIpxFL3MuMUC&printsec=frontcover&dq=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%8F%AF%E6%97%8F%E8%AD%9C%E8%A6%81&hl=en&sa=X&ei=GjEsU5zUKIaFlAWPsIHgDg&redir_esc=y#v=onepage&q=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%8F%AF%E6%97%8F%E8%AD%9C%E8%A6%81&f=false

インスタントカリスマではござらぬ

匿名 さんのコメント...

Noblesse oblige 真相はかうだ 平成版

♡ さんのコメント...

>たとえ自分のルーツや周りの人間全てを否定することになっても。