2020年10月11日日曜日
日本政府が日本学術会議を即急かつ無慈悲に解体しなければならないホントの理由2020年10月11日日曜日
上皇と日本学術会議の協力でできた9割は日本からの部品のICBM
2020年10月12日12:13
学術会議はGHQのつくった「学問の戦後レジーム」
学術会議をめぐる議論が迷走している。菅首相が105人の推薦のうち99人の名簿しか見ていなかったことが「日本学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」という学術会議法に違反していると野党は騒いでいるが、彼らは内閣に上がってくる膨大な決裁文書を首相がすべて見ろとでもいうのか。
「内閣総理大臣が〜する」という実務は内閣のスタッフが行うのであり、この場合は杉田官房副長官(内閣人事局長)だろう。ただこれは首相が本件をそれほど重視していなかったことを示唆している。今のような騒ぎになることを計算していたら、落とした6人の名前ぐらい見たはずだ。
内閣法制局の1983年答弁についての矛盾した説明も、準備不足をうかがわせる。もともと内閣が諮問機関の人事をその機関に白紙委任することはありえないので、民主的統制のまったくきかない従来の運用が異常であり、今回はそれを正常化しただけだ。http://agora-web.jp/archives/2048493.html
杉田 和博(すぎた かずひろ[1]、1941年4月22日[1] - )は、日本の警察官僚。内閣官房副長官兼内閣人事局長。神奈川県警察本部長や内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監なども歴任した。
人物
埼玉県出身[1]。埼玉県立浦和高等学校卒業、東京大学法学部卒業。地下鉄サリン事件当時の警察庁警備局長。性格は温和で、高い調整能力で知られる[2]一方、「危機管理には通じているが、社会福祉や経済といった国民生活全体を見渡す視野の広さに欠けている」との評価もある[2]。警察ではほぼ一貫して警備・公安畑を歩み[3]、警備局長を経て内閣官房にて内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監として政権中枢で公安と危機管理を担った。2004年に退官。
2012年12月26日、第2次安倍内閣において内閣官房副長官に就任。
略歴
- 1966年3月 -東京大学法学部卒業[1]
- 1966年4月 - 警察庁入庁[1]
- 1977年 - 外務省在フランス日本国大使館一等書記官
- 1980年 - 警察庁警備局外事課理事官
- 1981年 - 警視庁警備部警備第一課長
- 1983年 - 内閣官房長官秘書官事務取扱
- 1985年4月 - 警視庁第一方面本部長[1]
- 1986年8月 - 鳥取県警察本部長[1]
- 1988年 - 警察庁警備局外事課長
- 1989年 - 警察庁警備局公安第一課長
- 1991年 - 警察庁警務局人事課長
- 1992年 - 警察庁長官官房総務審議官
- 1993年3月 - 神奈川県警察本部長[1]
- 1994年10月 - 警察庁警備局長[1]
- 1997年4月 - 内閣官房内閣情報調査室長[1]
- 2001年1月 - 内閣情報官(初代)[1]
- 2001年4月 - 内閣危機管理監[1]
- 2004年 - 内閣危機管理監退官
- 2005年7月 - 財団法人世界政経調査会会長
- 2012年12月26日 - 内閣官房副長官(事務担当)[4]
- 2017年8月3日 - 内閣人事局長兼務[5]
役職
一般財団法人世界政経調査会(せかいせいけいちょうさかい)は、内外情勢に関する情報調査事業、講演会事業などを実施している法人。元内閣府所管。
概要
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)参謀2部(G2)所属のCIC(防諜隊)の下請け機関として設立された、旧軍人による情報収集グループである特務機関「河辺機関」がその後、「睦隣会」に名称変更され、それを母体として、内閣調査室のシンクタンクとして設立されたのが「世界政経調査会」である。そのため、初期の内閣調査室には河辺機関出身者が多く流入している[1]。
「内外の政治、経済、社会事情等の総合的な調査研究を行い、 内外事情に関する知識の向上普及を図ること」を目的としており、内閣官房から情報調査委託費が交付されている。内外情勢に関する情報調査や資料収集を行い、毎年「国際情勢の回顧と展望」という名のレポートを刊行している。役員には警察庁や内閣情報調査室出身の元官僚が名を連ねている。
主な事業
- 内外の政治、経済、社会事情、社会風潮等の分析、判断その他の調査研究及びそれに必要な資料の収集
- 研究会、講演会等の開催
- 調査研究成果に関する印刷物の刊行及び配布
- その他法人の目的を達成するために必要な事業
設立時の主要メンバー
- 河辺虎四郎(陸軍中将、陸士24期、参謀次長)
- 下村定(陸軍大将、陸士20期、陸軍大臣)
- 有末精三(陸軍中将、陸士29期、参謀本部第2部長、対連合軍陸軍連絡委員長(有末機関長))
- 辰巳栄一(陸軍中将、陸士27期、第12方面軍参謀長、第3師団長)
- 芳仲和太郎(陸軍中将、陸士27期、フランス大使館駐在員、トルコ大使館付武官、ハンガリー大使館付武官、西部軍管区参謀長兼第第16方面軍参謀長、第86師団長)
- 山本茂一郎(陸軍少将、陸士31期、第16軍参謀長兼ジャワ軍政監)
- 西郷従吾(陸軍大佐、陸士36期、オーストリア大使館付武官、大本営ドイツ班参謀、南方軍参謀、緬甸方面軍参謀、第23軍参謀、第20軍高級参謀)
- 萩三郎(陸軍中将、陸士29期、北部軍管区参謀長兼第5方面軍参謀長、札幌復員局長)
- 真田穣一郎(陸軍少将、陸士31期、大本営作戦部長、陸軍省軍務局長)
- 佐々木勘之丞(陸軍少将、陸士28期、陸軍中野学校学生隊長)
- 石戸勇一(陸軍大佐、陸士30期、太原特務機関長)
- 甲谷悦雄(陸軍大佐、陸士35期、参謀本部ソ連課参謀、ソ連大使館付武官輔、大本営戦争指導課長、ドイツ大使館付武官輔佐官、公安調査庁参事官、KDK研究所長)
関連項目
2 件のコメント:
三浦瑠麗が擁護してる辺りから
パヨウヨも着火間際deathかね
Postwar defense aide was CIA mole | The Japan Times
Oct 5, 2009 — Eiichi Tatsumi, who was given the code name “POLESTAR-5.” Tatsumi, who provided Yoshida with expert advice as Japan developed a defense capability following the war, kept ...
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