2021年11月29日月曜日
2021年12月1日水曜日
薬都・富山で相次ぐ薬の自主回収 管理基準厳格化に対応できず?
配信
医薬品の製造が盛んで「薬都」とも呼ばれる富山県が、相次ぐ自主回収問題に揺れている。県の抜き打ち調査を発端に、ジェネリック医薬品(後発薬)大手の日医工(富山市)が長年、違法な手順で製造していたことが発覚。同様の問題が「富山の薬売り」を代表する配置薬メーカー「広貫堂」(同市)にも飛び火し、10月から取引先の売薬業者などを通じて自主回収を進めている。「信頼」なくして成り立たないはずの製薬業界で何が起きているのか。
◇自主回収でジェネリック業界が混乱 配置薬販売業を営む「辻井産業」(大阪府豊中市)の辻井康爾(やすじ)社長は11月29日、富山市の広貫堂本社を訪れ、関西の業界団体を代表して顧客への謝罪や塩井保彦会長の引責辞任などを求める要望書を提出した。 同業者には仕入れ先の大半が広貫堂という会社もあり、辻井社長は「広貫堂を責めに来たのとは違う」と強調する。しかし配置薬の営業担当者が消費者の元に出向くたび、厳しい言葉を掛けられながら頭を下げ、自主回収を説明することも珍しくないという。「世間を騒がせたことについて“けじめ”を付けなければ」。表情は苦悶(くもん)に満ちていた。 「富山の薬売り」は江戸時代初期の富山藩主、前田正甫(まさとし)が常備していた胃腸薬「反魂丹(はんごんたん)」作りを藩内で奨励したのが始まりとされる。「売薬さん」と呼ばれる行商人が全国各地を訪ね歩き、使った分だけ代金を払う「先用後利」で大いに利益を上げた。1876年創業の広貫堂が11月9日までに自主回収した24製品の中には、薬売りのルーツとも言える「胃腸反魂丹」も含まれている。 一方、ジェネリック業界では1年以上、日医工の自主回収による混乱が尾を引いている。日医工は薬を長期保存しても品質が変わらないことを確認する「安定性試験」で不合格だった製品を国の承認外の手順で再試験したり、錠剤を砕いて再加工したりしていた。 日医工は2020年以降、降圧剤や抗アレルギー剤など70品目以上を自主回収。21年3月には県から業務停止命令を受けた。自主回収品が増えるたび、各地の調剤薬局では在庫不足に陥り、メーカーの変更するなどの対応を強いられている。 「また(メーカーが)変わってしまうのですが、成分に違いはありませんので……」。富山市内の薬局で患者から処方箋を預った薬剤師は、申し訳なさそうに説明していた。 県薬剤師会の西尾公秀会長は「大きなシェアを誇るメーカーの供給停止によって、代替品を探すのに苦労している。お客さんの中には『ジェネリックはやめてほしい』という人もいる」と話す。 いずれの事例も県が抜き打ちで立ち入り調査して発覚した。県はこれまで定期的に事前通告した上で立ち入り調査をしてきたが、15年に熊本県の製薬会社が国の承認外の方法で血液製剤を製造した問題を受け、厚生労働省は無通告での立ち入り調査を強化するよう都道府県に求めた経緯がある。 日医工の問題を受けて富山県は抜き打ち調査をさらに強化。広貫堂で同様の問題が見つかっただけでなく、葛根湯など漢方薬を製造する上市町の「北日本製薬」、配置薬を主力とする滑川市の「中新薬業」といった中小メーカーでも次々と不正行為が判明し、自主回収に追い込まれた。いずれも健康被害は確認されていないという。 ◇ジェネリック業界ならではの事情 なぜこうした不正が続いてきたのか。国の規制緩和で市場が急拡大したジェネリックは特許が切れた先発薬を生産することで、患者へより安い薬価の医薬品を供給できるメリットがある。日医工の問題を受けて県薬事審議会が有識者の意見を聴いて7月に取りまとめた報告書によると、日医工では安い薬価を背景とするコストカットが行き過ぎ、生産部門の人員に比べて生産量が多すぎると指摘された。 県薬事審のメンバーで製薬業界に詳しい堀尾貴将弁護士は「ジェネリックで収益を出すには常に新製品を出して品目を増やさないと成り立たない。薬価が下がっても、一度販売を開始した医薬品の供給を止めることもできない」とジェネリック業界特有の事情を指摘する。 一方、ジェネリック以外の医薬品でも不正が相次ぐことについて堀尾弁護士は「ここ10年で医薬品の製造・品質管理の基準が厳しくなり、承認書にも細かい記載を求められている。古くからの中小企業ではこうした対応ができずに昔のままの製造が続いており、これが立ち入り調査などで顕在化したのではないか」とみる。 県薬剤師会の西尾会長は「薬は命に関わること。メーカーには第三者が見て『問題ない』と言える透明性が求められているのでは」と再発防止を求める。【高良駿輔、砂押健太】
https://news.yahoo.co.jp/articles/37c03531289fda571477485c321d33d7393ae2d5
まあ要するに・・・
site://tokumei10.blogspot.com 富山ライン
site://tokumei10.blogspot.com 富山ライン
site://tokumei10.blogspot.com 富山ライン
14 件のコメント:
どこぞの産業なんちゃら機構の人も冨山さんw
今日富山出張から帰りまーす(^^)
でもオラの中では焼肉エビスが根強いww
大黒天だしね
書き忘れてました(^^)
ワールドメイト 魚津
インター降りて海に向かう方向の道沿いにありまっせ
デッカい看板貼ってw
wwwwww
個人的に
豊中の置き薬シャチョが
富山の置き薬シャチョに
おまい謝れクソターケと
いう構図にワロタwww
日医工はまあ色々と
薬をやむを得ずご利用の場合
狙う効果に差がなければ
薬理作用安定の先発品が
安心な部分はありますね
アララ ここも大掃除ですか
廣貫堂のユウタンエンは置き薬にあったけど
自主回収のユウタンガンとは違うのかな
次の新薬には手を出さないけどね
富山の薬売りと薩摩藩
http://www.senshu-u.ac.jp › s...PDF
昆布と富山売薬商 ― 北前船が運んだ倒幕のエネルギー ― - 専修大学
by 池本正純 — 3)越中売薬商薩摩組 ... 売薬さんは薬のほかに庶民の娯楽や情報も運んでいたのです。(廣貫堂資料 ... 徳永[2]p.107)薩摩にも越中売薬人が行商に訪れていた.
19 pages·867 KB
富山 天神様
天神講 菅原道真
団長殿が
てんこもり → テン(X/十/10/ten)+(ひき)こもり
なのも偶然じゃないんだなぁと思いましたw><
X罰から逃げるのにはひきこもりが一番!wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
富山の“富”はどう生まれた?〜」 - ブラタモリ - NHK.JP
https://www.chunichi.co.jp › article
ガラス瓶 輝くレトロ感 明治-昭和の70点 白山で展示 - 中日新聞Web
Apr 2, 2021 — 「神薬」は明治時代に、腹痛や酔い止めに服用する万能薬として珍重された。水あめが入った、甘い薬だったという。 現在の講談社が一九三一(昭和六) ...
https://www2.tkc.pref.toyama.jp › tv...
暮らしを支えた越中売薬 - 富山県
『日本農業発史』には「富山の薬売り」が秋田県・山形県・新潟県・石川県の13ヵ所にレンゲ ... 売薬さんは神薬を大さな瓶に入れ、何本も背負って開拓民の家に届けた
https://crd.ndl.go.jp › detail
富山の薬売りが販売していた神薬のびんに【岩瀬売薬会社】とあった。富山の会社だとは思うが、実際どこにあ... | レファレンス協同データベース
富山の薬売りが販売していた神薬のびんに【岩瀬売薬会社】とあった。富山の会社だとは思うが、実際どこにあったのか(所在地住所)、現在もあるのか、廃業しているので ...
https://imidas.jp › proverb › detail
薬九層倍 | 会話で使えることわざ辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas
(「薬」の「ク」と「九」に頭韻を踏ませて) 原価の9倍にも売るという意味から、薬の小売値段がべらぼうに高価であることにたとえる。 〔類〕薬九層倍 呉服五層倍
https://www.nhk.or.jp › historia
歴史秘話ヒストリア「富山の薬売り 知恵とまごころの商売道」 - NHK
May 29, 2020 —富山の薬売りは、なぜ全国的に有名なのか…そんな素朴な疑問から歴史を追っていくと、明治維新での薩摩藩の動きにも密接に絡んだ壮大な物語につながりました。薩摩担当の薬売りが、薩摩が必要としていた昆布の密貿易を助けることで、財政立て直しにも一役買っていたというお話。さらに、スパイのような活動や藩士の看病まで。薩摩が力を蓄えなければ、明治維新につながる動きも違っていたかもしれないと考えると、富山の薬売りの存在は、幕末に大きな役割を果たしていたのですね。
コメントを投稿