2017.9.7 07:08更新
400年以上の歴史持つ神主屋敷「松田館」焼ける 長野県の指定史跡
6日午後6時45分ごろ、長野県千曲市八幡にある「武水別神社」の神主屋敷で、県の史跡に指定されている「松田館」から火が出ていると近所の人が119番通報した。
千曲署や地元消防によると、敷地内の複数の建物が焼け、約3時間半後に鎮火。近くにいた60代の男性が煙を吸って病院に搬送された。同署が出火原因を調べる。
千曲市教育委員会のホームページによると、松田館は戦国時代に設けられたとされ、400年以上の歴史がある。敷地内には江戸時代から明治時代に建てられた建物が複数ある。
http://www.sankei.com/affairs/news/170907/afr1709070006-n1.html
長野松田家
(現在の松田家住宅は長野県の県宝に指定されている)
更埴市八幡の武水別神社八幡宮の宮司職松田家は戦国時代に武田信玄に仕えた。1584年に八幡神領一帯を授けられた。同族にNHK歌のおばさん松田トシがいる。
群馬松田家
1582年以降北条氏が上野国を制圧すると松田康秀が吉井城にいた。また、1584年頃北条配下の箕輪衆として松田大隅がいた。前橋市総社町と群馬町の松田家は武田信玄に属した松田延吉が戦功により総社の地を与えられた。
甲斐松田家
備前松田家の庶流で戦国時代初期に関東に移り、北条氏の家臣になった一族である。武田勝頼の正室となった桂林院(北条夫人)の政略結婚の時にお供をした家臣もいた。備前松田家一族の誰かが武田信玄や武田勝頼の家臣になったものと推定される。
武水別神社一帯は平安時代末期より石清水八幡宮の荘園となっており、安和年間(968年-970年)に石清水八幡宮から八幡神(相殿の3柱)が勧請されたと伝える。八幡神は源氏の氏神としても知られ、武水別神社はこの地方随一の八幡宮として広く武門の崇敬を受けた。また木曾義仲が祈願したと伝えられるほか[注 1]、川中島の戦い時の上杉謙信の勧請文なども残されている。
キムタク@TEXTILES via kwout
羽室+武田→羽田
、、、(爆wwwwwwwww
2 件のコメント:
千曲市で県宝焼失…ハチ駆除で失火か(長野県)
http://www.news24.jp/nnn/news8848398.html
千曲市で6日夜、武水別神社で神主を務めている松田家の建物で火事があり、
県宝に指定されている斎館や主屋など4棟が全焼とみられている。
敷地内でスズメバチの駆除が行われていて警察が失火の疑いもあるとみて調べている。
スズメバチ=WASP
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長野松田家の説明文
「更埴市八幡の武水別神社八幡宮の宮司職松田家は戦国時代に武田信玄に仕えた。1584年に八幡神領一帯を授けられた。」
とありますが、この授けた人物は武田ではなく上杉景勝ですね(1584年ですと甲斐武田は既に滅亡していますので)。
松田の知行と名跡(みょうせき)を与えられた人物が松田(仁科)盛直で庶家とはいえ仁科氏に連なる人物。
また、松田盛直の嫡男の盛朝も上杉景勝より仁科惣領職と仁科孫三郎の名を与えられています。
確かに松田氏自体は武田家に仕えていたようですが、ここの松田家の中身は仁科氏なのかなと。
しかし、燃えた日が悠仁親王の誕生日というのが何ともです。
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