日本の対北制裁リストに載った5人
大物学者と科協の蜜月
日付: 2016年04月27日 10時36分
日本政府が2月に発動した独自の対北制裁で、制裁対象となった科学者5人の名前が判明した。いずれも朝鮮総連傘下の在日本朝鮮人科学技術協会(科協)に所属する人物だ。5人とも国立大学に所属していた時期があり、そのうち1人は今も大学の研究機関に籍を置く。日本国の資金によって得られた研究成果が、あろうことか日本をも標的にする核兵器の開発に使われていたことになる。その背後には、科協の初代会長と、その恩師である日本の大物物理学者の影が横たわっている。(溝口恭平)
「在日外国人の核・ミサイル技術者の北朝鮮を渡航先とした再入国の禁止」
日本政府の制裁には、こう記されている。目的が何であれ、日本から北韓に渡航した外国籍の核・ミサイル技術者は、日本への再入国ができなくなるということだ。
この制裁対象になったのが、徐錫洪、徐判道、卞哲浩、李栄篤、梁徳次の5人だ。情報を公開した国家基本問題研究所の西岡力・企画委員(東京基督教大学教授)によると、5人はいずれも科協所属である。それぞれのプロフィールを簡潔にまとめると次のようになる。
まずは科協の顧問を務める徐錫洪氏だ。同氏は東京大学を卒業後、東大生産技術研究所に勤務した経験を持つ。エンジンの研究では世界的に名を知られた人物で、北韓当局と総連の合弁会社「金剛原動機合弁会社」(本社・元山)の事実上のトップを務めているという。
徐判道氏は、徐錫洪氏の弟ともいわれ、同じ大学や研究所で学んだ。なお、東大生産研には過去に数十人の科協メンバーが在籍しており、彼らの一大拠点となっていた。徐判道氏は金剛原動機の副社長も務めている。
卞哲浩氏は京都大学で学んだ。現在は京都大学原子炉実験所原子力基礎工学研究部門の准教授だ。02年から助手として同実験所にいるが、実験所は卞氏に訪朝歴はないという。
卞氏が制裁対象となっていることについて、「調査中」と回答を控えた実験所では、情報の外部流出を大学の規則や実験所内の国際交流委員会の審議などで多重に防いでいるという。「原子力エネルギーが兵器に利用されることは絶対にあってはならない」との認識も明確だ。
4人目は李栄篤氏。現在は民間企業に勤めていると思われるが、09年4月より12年3月まで大阪大学・大学院理学研究科で特任研究員だった。李氏は北韓に行ったのは高校時代の修学旅行が最後であり、人違いだと主張している。国籍は、民間に移る前に韓国に変更している。
最後の梁徳次氏は、名古屋大学プラズマ研究所に在籍していたという。現在の核融合科学研究所(岐阜県土岐市)である。
東京大学・京都大学・大阪大学・名古屋大学…。いずれも名だたる国立大学であり、日本の原子力やロケット研究ではトップクラスの実績を誇る。そのいずれも、科協の初代会長だった李時求氏と深いつながりがある。
李氏は京都大学から大阪大学大学院に進み、原子物理学を学んだ。当時の恩師が、戦後日本の原子力研究をリードした伏見康治博士である。伏見氏は東京大学で学び、卒業後は東大で助手、阪大で教授まで上りつめた。京都大学原子炉実験所の設立に寄与し、名大プラズマ研では初代所長を務めている。参議院議員も1期務め、阪大と名大では名誉教授となった。
李時求氏と伏見氏は懇意で、伏見氏は李氏の仲介で訪朝した経験もある。師弟関係が少なからぬ影響を持つ科学者の世界において、仮に伏見氏のような”大物”から「この人をそちらの大学院に」と頼まれれば断れる学者はどれほどいるだろうか。今回制裁対象となった5人が、伏見氏と関係の深い機関に所属していたのは偶然だろうか。
国基研の西岡企画委員は「5人以外の技術者はいまだに自由に北朝鮮と日本を往来できる。再入国不許可を在日朝鮮人全員に拡大して、それをすぐ止めるべきだ。また、核やミサイル技術を北朝鮮のような敵性国家に持ち出す行為自体は現行法規では違法でないので、5人をその罪では逮捕できない。それを摘発できる新たな法的枠組みを早急に作るべきだ」と訴えている。
戦争を経験している伏見氏は、戦後は一貫して原子力の平和利用を訴えてきた。その伏見氏の愛弟子がまいた種は、皮肉なことに日本も狙える核ミサイル開発につながっている。
http://news.onekoreanews.net/print_paper.php?number=80669
伏見 康治(ふしみ こうじ、1909年6月29日 -2008年5月8日 )は日本の理論物理学者、理学博士。公明党参議院議員(1期)。正四位勲二等(没時)。
本来の仕事である物理学、特に統計力学の分野で大きな研究業績をあげた他、戦後日本の科学研究体制の確立と発展にも力をつくし、原子力平和利用研究を推進、さらには科学者の社会的責任のアピールと行動、一般向け書籍による物理の面白さの啓発・普及、そして対称性の美の追究など、多方面に大きな足跡を残した。
伏見は1909年に愛知県名古屋市で生まれ、東京で育ち、東京高等学校を経て東京帝国大学理学部物理学科に進んだ。 そして1933年に大学を卒業するとすぐに同大学理学部物理学教室で寺澤寛一教授の助手となり、翌1934年に新設の大阪帝国大学理学部物理教室に移った。大阪では友近晋教授のもとに助手としてつく予定であったが、友近教授がイギリスに留学したため、菊池正士教授に誘われて原子核実験に携わった。そして同教室で助教授を経て1940年に教授に昇進し、また量子統計力学の密度行列に関する論文(1940年)により理学博士の学位を取得した。 1942年に河出書房から出版した「確率論及統計論」[1]は科学研究のための確率・統計論の名著として評価が高い。
この時期、伏見は一般への物理の面白さ普及にも力をそそいだ。 まず1942年に原子核物理学の一般向け啓蒙書「驢馬電子」を書いて出版した。 そして翌1943年にはジョージ・ガモフの名著「不思議の国のトムキンス」を訳出、日本に紹介して若者を誘い、多くの物理学者を生み出すのに力があった。啓蒙活動は戦後も続け、雑誌「自然」に原子核物理学に関する読み物を連載した。
戦後になって伏見は日本においても独自に原子力の研究を行うことの重要性を認識し、それを平和利用研究に限る証として「自主、民主、公開」の三原則を起草して茅誠司とともに提唱し、「茅・伏見の原子力三原則」と呼ばれた。 そして大阪府泉南郡熊取町の京都大学原子炉実験所創設にあたっては「核」に対するアレルギーから建設に反対する地元住民を説得して実験所実現に寄与した。また門下で多数の傑出した原子力研究者を育てて送り出し、日本の原子力発展に貢献した。
さらに1950年代半ばになって核融合研究の重要性が認識されるや、湯川秀樹、嵯峨根遼吉らとともに研究体制の議論を進めた。そしてAB論争の後、1961年に名古屋大学にプラズマ研究所が設立されるや自身が大阪大学から名古屋大学に移って同研究所の初代所長に就任し、研究所の整備に努め研究推進を図るとともに、客員研究部門の創始など「全国大学共同利用研究所」運営の理想を追求した。
1973年に名古屋大学を定年退官したあとは、日本学術会議を活躍の場として研究環境の整備に力をいたした。特に1977年から1982年にかけて同会議会長に就任し、国内の研究推進と並行して、科学者の国際交流に尽力した。そして1983年、第13回参議院議員通常選挙比例代表区に公明党・国民会議から名簿順位第1位で立候補し当選。1989年まで1期務めた。
また東西冷戦の時代から日ソの学術交流に尽力し、1991年のソビエト連邦崩壊によって同国の科学者が窮乏の淵に陥った時には各方面に呼びかけてその救援活動を行った。
その他の社会的貢献としては、世界平和アピール七人委員会に1982年から参加して数々のアピールに加わった。ところが伏見は1983年に参議院議員に当選し、国会議員との併任は望ましくないとの理由で同年に七人委員会委員を一旦辞任したが、1989年の参議院議員任期満了に伴う退任で1995年にまた参加して没年まで活動を続けた。
伏見は対称の美について深い関心をもち、1960年代には「紋様の科学」と題して対称性図形の話を「数学セミナー」に連載した。また早くからマウリッツ・エッシャーの版画を愛し、折に触れて語っていた。そして1979年には安野光雅、中村義作との鼎談が記録されて「美の幾何学」(中公新書)が出版された。また夫人満枝と共同で折り紙の幾何学も研究し「数学セミナー」に寄稿した(単行本「折り紙の幾何学」として出版)。「折り紙の幾何学」の冒頭では、1次元の繰り返し紋様が円筒によって生成されることは古代より知られているが、2次元の広がりをもつ繰り返し文様は準[2]正4面体によって生成できる(少し試すとわかるが直方体では駄目である)ことを見つけ、そこから正多面体の折り紙に興味を持ったと説き起こされている。折り紙に関しては、幾何の教材にこれほど良いものはないだろうと言ったところ、息子に今では学校でろくに初等幾何を教えたりしていないのだと言われて衝撃を受け、数セミ誌の編集長(矢野健太郎のこと。注も参照)は何をしているのだ、といった話[3]や、化学者槌田龍太郎の息子が出てくるほのぼのとした話などもある。
妻は、伏見満枝、物理学者の伏見譲と情報サービス産業で活躍している伏見諭は息子。伏見康子は娘[4]。富山小太郎は義弟[5]。
「北」の建国記念日 日本を名指し威嚇
笑顔の金正恩(キム・ジョンウン)委員長に、幾度となく刀を突き刺す男性。
これは8日、韓国・ソウルで行われた、脱北者団体による「斬首パフォーマンス」の様子。参加者は「踏め、踏め」、「金正恩は何てやつだ」、「引き裂いてやる」などと話した。
北朝鮮が「建国記念日」とする、9月9日。
朝鮮中央テレビは「日本はこれ以上、アメリカの手足となり、ひどく振る舞ってはならない。原子爆弾と水爆、ミサイルを保有する、世界的軍事強国である、朝鮮民主主義人民共和国が、最も近くにあることを肝に銘じなければならない」と報じた。
節目の日を前に、日本を名指しで威嚇した北朝鮮。
一方、韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相は「9日には、ICBM(大陸間弾道ミサイル)を正常角度で発射する、追加の挑発が続く予測もある」と述べた。
ミサイルが、太平洋上に向けて発射されれば、8月末に続き、再び日本上空を通過することが予想される。こうした中、アメリカ海軍横須賀基地に配備されている、原子力空母「ロナルド・レーガン」が、周辺海域の警戒任務のため、出港した。
そして今回、ユアタイムが注目したのは、同じ横須賀基地から出港した、もう1つの艦船、イージス巡洋艦「シャイロー」。フジテレビ・能勢伸之解説委員は「弾道ミサイルに対応するイージス艦には、巡洋艦と駆逐艦があるのですが、巡洋艦の方が大型で、搭載しているミサイルの数も多い」と話した。
FNNは3年前、この「シャイロー」を取材していた。甲板部分には、SM-3迎撃ミサイルの発射装置など、イージス駆逐艦と同様のシステムが。
一方、大きく異なる機能が、その内部に映っていた。
心臓部ともいえる、戦闘指揮所「CIC」。
ここに、ある特別な役割が備わっているという。
能勢解説委員は「弾道ミサイルが連射された時に、個々のイージス駆逐艦が、別々に迎撃を行うと、撃ち損じが発生する。それを防ぐために、『シャイロー』が一元的に、連射された弾道ミサイルに対して、どのイージス駆逐艦が迎撃するか、それを指揮する。これが『シャイロー』の重要な役割」と話した。
シャイローの出航は、新たな弾道ミサイルの発射がささやかれる北朝鮮に対応したものなのか。
朝鮮中央テレビは、日本時間8日午後9時すぎ、「水素爆弾実験に再び完全成功した知らせに、千万軍民の胸は、激情と歓喜に高鳴る。社会主義強国建設での最後の勝利を、早期に達成しましょう」と報じた。
2016年9月9日は、核実験を強行。
では、2017年は。
国際社会は、対北制裁をめぐり、足並みを乱したまま、金正恩委員長の動向に硬く身構えている。
http://www.fnn-news.com/sp/news/headlines/articles/CONN00369905.html
、、、(爆wwwwwwwwwww
13 件のコメント:
平和主義者で科学者であらせられる今上陛下の誉れにあずかる日本学術会議は、先の地下核実験に対して抗議声明を出しているのか、いないのか。
business model site:edu -> 193.0万件
ビジネスモデル site:ac.jp -> 18.4万件
米帝アカデミアのたった1/10しか、平和推進≒ビジネス推進 のことを、考えたり研究したりしていない、日本学術界。
伏見康治 渡辺慧 (十年の学友伏見君の横顔 )
※渡辺慧 わたなべ さとし 1910年5月26日、東京府に生まれる。学習院中等科、東京高等学校を経て、1933年、東京帝国大学理学部物理学科を卒業
諏訪(長野)渡辺家(下記)
思想の科学研究会 同人7名(鶴見俊輔、鶴見和子、武谷三男、武田清子、都留重人、丸山真男、渡辺慧)
>思想の科学研究会 1949年に思想の科学研究会が正式に発足、川島武宜が会長に就任
(川島武宜 娘のゆりの夫は、外務省事務次官や宮内庁式部官長を歴任し、侍従長を務めた川島裕)
>川島裕 侍従長 2007年(平成19年)6月15日 -2015年(平成27年)5月1日
>川島裕侍従長の前任
※渡辺允 1996年(平成8年)12月12日 - 2007年(平成19年)6月15日
諏訪(長野)渡辺家
渡辺政徳━┳渡辺国武…渡辺千冬┳渡辺武
┃ ┗※渡辺慧
┣渡辺千秋━渡辺千春━渡辺昭━※渡辺允
┗渡辺千夏━野依金城━野依良治
昭和天皇に厳しかった日本共産党@悠仁派が今上天皇に優しいのは
tokumei10.blogspot.com/2016/09/blog-post_89.html
>ベトナム
60年安保で「誰デモ入れる声なき声の会」[2]を組織した哲学者の鶴見俊輔や政治学者の高畠通敏が、「―声なき声の会」を母体に作家の小田実を代表として1965年4月24日に「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」の名で発足させたのが始まりである。
>べ平連 鶴見良行 (鶴見和子・俊輔のいとこ)
鶴見良行 また結婚前の秋篠宮文仁親王と紀子妃が鶴見の教えを受け、強い影響を受けた。[1]
"Propaganda in fascist Japan"
"Propaganda in North Korea"
9/6(水) 16:59配信
慶応大教授が女子大生を「洗脳」不倫 “先生とだったら世界征服も”
>慶応大学2年生の斉藤菜穂さん(21)=仮名=に、アラビア語などの講義を担当する総合政策学部・奥田敦教授(57)が接近し始めたのは、昨年の秋だった。
>“先生とだったら世界征服もできそう”“死ぬのが怖くなくなってきた”とのメモを残すようになり、人格まで変わり始めた菜穂さん。
ブラタモリ 高野山放送が決定しました!
https://www.town.koya.wakayama.jp/town/information/7580.html
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
> ブラタモリ
今のO江さんといい、前のKUWA子さんといい、
「阿諛追従」という言葉が、ついアタマを過ぎってしまう、、、
NHKも 少なくともここしばらくは、女性ジャーナリスト を 生んでいませんね
せっかく NHK学園があるのだから
世界に通用するジャーナリストを、発掘・育成すれば よいのにね。
NHK学園は性格が違う
「4京3000兆円」の巨額マネーが天皇陛下と小沢一郎に託された: ついに動き出した吉備太秦のシナリオ
https://books.google.co.jp/books?isbn...
板垣英憲 - 2017 - No preview
「天皇陛下と小沢一郎」によって、いかにして世界新機軸が築かれるのか。天皇陛下直系の吉備太秦が、巨額資金の面から、そのシナリオと具体策を描く!
"日本で育つ海外からの移住者の子どもたちのため必要とされる配慮のこと"
世界平和アピール七人委員会
茅誠司
伏見康治
日本学術会議
世界平和アピール七人委員会 下中弥三郎 世界連邦建設同盟理事長
Bulletin of the Atomic Scientists - Oct 1955 - Page 292
books.google.co.jp › books
Although many specific points of objection were raised, what the debate showed was something more important: a real distrust of American atomic policy. Speaking of the American offer, which he characterized as the "American atomic energy offensive," Professor Koji Fushimi, physicist of Osaka ...
Vol. 11, No. 8 · Magazine · Full view
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