2017.9.2 23:20更新
元ウラジオストク市長のV・チェレプコフ氏死去
ビクトル・チェレプコフ氏(元ロシア極東ウラジオストク市長)ロシアメディアによると、2日、モスクワの病院で死去、75歳。がんを患っていた。
1942年、旧ソ連ロシア共和国リャザニ州生まれ。93年、ウラジオ市長に就任し、新潟県などとの環日本海交流にも関わった。だが地元知事との政争が続き、98年に当時のエリツィン大統領に解任された。00~07年にロシア下院議員を務めた。(共同)
http://www.sankei.com/world/news/170902/wor1709020031-n1.html
ウラジオ市長の本音を聞く
8月28日から31日まで、柏崎港から客船「飛鳥」に乗ってウラジオストクへ行ってきた。今回の私の仕事は、柏崎・飛鳥クルージング実行委員会付の通訳。日本最大の豪華客船といわれる「飛鳥」。仕事とはいえ非常に貴重な経験をさせてもらった。
さて今回のクルーズには観光だけでなく、ウラジオ市と柏崎市との交流も含まれていた。関係者の心配をよそに、チェレプコフ・ウラジオ市長も予定通り晩さん会に出席した。
晩さん会には、ウラジオ市側が手配したのか、日本のテレビ局のほかに現地のテレビも取材に来ていた。電力問題がひと息ついたかと思うと、今度はゴミ処理問題で「やる気がない」と新聞でたたかれている市長のイメージアップに掛ける意気込みを感じた。
懇談の席で日本側から選挙の話題が出た。正直、ヒヤっとしたが、チェレプコフ市長は汚職の罪を着せられ罷免されかけた経験を隠さず話し、「自分がここの主(あるじ)だ」という自信を客人にアピールしていた。
市長の奥さまが非常にかわいらしい性格の方だった。この奥さま、「苦労するのは目に見えている」と、チェレプコフ氏の市長選立候補の折には「当選しないように」と教会で祈りをささげたそうな。懇談の席でウケを狙ったわけでもあるまいが、このエピソードを語るとき、それまで強気だったチェレプコフ市長の口調がやけにしみじみしていた。
1997/09/07 JSN 釈囲 美法
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」1997年09月掲載の記事を転載したものです。
シャクイ 釈囲 岡山県倉敷市。個人名。仏教の開祖である釈迦の「釈」の字を使用したもの。岡山県井原市芳井町井山にある浄土真宗の光福寺の僧侶による明治新姓。
→豊田通商
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