天皇陛下、疎開先の栃木・日光を私的訪問へ 戦時中滞在
島康彦
2017年4月29日14時45分
宮内庁は28日、天皇、皇后両陛下が5月17~19日、天皇陛下が戦時中に疎開した栃木県日光市を私的に訪れると発表した。天皇陛下が80歳を迎えた2013年、宮内庁が公務のあり方を検討する中で「両陛下にゆっくりと過ごしていただきたい」と始めた私的旅行の位置づけで、今回で8回目となる。
陛下は戦争末期、疎開で静岡・沼津、栃木・日光と移り、終戦時は日光湯元・南間ホテル(現在は廃業)で昭和天皇の玉音放送を聞いた。当時は食糧事情が悪化し、戦場ケ原などで木の実や野草を取って空腹をしのいだという。
今回、両陛下は18日に戦場ケ原展望台を視察。南間ホテル近くの湯ノ湖周辺を散策する。19日は疎開生活を送った旧日光田母沢御用邸や、授業を受けた教室があった植物園に足を運ぶ。
日光訪問は当初、戦後70年の15年9月に計画された。戦後70年の節目での疎開先訪問となるはずだったが、茨城・栃木両県の豪雨災害が発生し、取りやめになっていた。
宮内庁関係者は「戦争を知らない世代が増える中、陛下は自らの訪問が過去を見つめ直すきっかけになれば、と思い続けていらっしゃるようだ」と話している。(島康彦)
http://www.asahi.com/articles/ASK4V5QFFK4VUTIL03F.html
栃木)陛下が玉音放送聞いた旧南間ホテル、観光活用へ
坂田達郎
2016年6月11日03時00分
益子町に無償譲渡されることになった旧南間ホテルの「つかもと平成館」
1945年8月15日、まだ幼い皇太子時代の天皇陛下が玉音放送を聞いた部屋が残る益子町の「つかもと平成館」(旧南間〈なんま〉ホテル)が、所有する益子焼窯元「つかもと」から町に無償譲渡されることになった。観光客向けの宿として改修される計画で、老朽化が激しい歴史的建物の再生に期待が集まっている。
太平洋戦争末期、天皇陛下は疎開先を転々とし、日光田母沢御用邸を経て45年7月、奥日光の南間ホテルに移った。当時11歳。木造2階建て建物の2階奥にある部屋で、昭和天皇が終戦を伝えるラジオをじっと聞いたという。目に涙があふれていた姿が元御用掛の著書に紹介されている。
取り壊しの話が持ち上がったホテルは73年、「つかもと」敷地内に移築され、86年までホテルとして使われた。その後、宴会場として使われたが、最近は催しなどで時折利用される程度。傷みは激しく、つかもとが1月、譲渡を申し入れた。町は国の交付金を活用。天皇陛下が過ごした部屋は当時の姿を残し、ほかの客室は改装するなど今秋にも着工し、来年3月までに完成させるという。
http://www.asahi.com/articles/ASJ6B44ZDJ6BUUHB004.html
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3 件のコメント:
知られざる天皇の防空壕 疎開の地・日光に17日からご訪問
日本経済新聞-18 時間前
天皇、皇后両陛下は今月17~19日、私的旅行として栃木県日光市を訪問される。日光は太平洋戦争の際、皇太子だった天皇陛下が疎開していた地。疎開先は日光以外にも複数検討され、各地に空襲に備えて強固な防空壕(ごう)が建設され ...
天皇陛下が体調不良 当面の公務取りやめも検討
朝日新聞-2 時間前
宮内庁によると、天皇陛下は体調がすぐれず、15日午後の春の勲章受章者との面会を取りやめ、皇太子さまが代行した。続く勤労奉仕団との面会も取りやめ、皇后さまお一人が出席した。関係者によると当面の公務も取りやめを検討して
愛子さまに微熱と風邪の症状 遠足欠席、相撲観戦を中止
朝日新聞-1 時間前
宮内庁の西村泰彦次長は15日、皇太子家の長女愛子さま(15)が体調不良で学習院女子高等科を8日から欠席し、週末に微熱と風邪の症状が出たことを定例会見で明らかにした。微熱は続いているとみられるが、「心配するような状況では ..
陛下、風邪で公務取りやめ=17日からの日光訪問中止
時事通信 - 21 分前
宮内庁は15日、天皇陛下がせきと発熱を伴う風邪の症状のため、同日午後の公務と、17~19日の栃木県日光市訪問を取りやめられたと発表した。インフルエンザの検査は陰性で、高熱ではなく、皇居・御所で安静にしているという。 〔写真特集〕天皇陛下. 同庁によると、陛下は ...
2017.6.22 11:45
栃木・日光に高級温泉旅館 田母沢御用邸付属邸の跡地に31年開業
高級温泉旅館「日光 ふふ」の完成予想図(東武鉄道提供)
東武鉄道(本社・東京都墨田区)と不動産業のヒューリック(本社・東京都中央区)は平成31年秋をめどに高級温泉旅館「日光 ふふ(仮称)」を開業することで合意した。計画地は田母沢御用邸記念公園に隣接する田母沢御用邸付属邸の跡地で東武鉄道が所有、ヒューリックが建設・運営する。
全22室が天然温泉の露天風呂を完備したスイートルーム仕様。東武鉄道は蒸気機関車(SL)復活運転や金谷ホテルの株式取得、中禅寺湖畔へのザ・リッツ・カールトンホテル開業(32年予定)など栃木・日光エリアの活性化に力を注いでいる。
大正3年に建設された田母沢御用邸付属邸は、昭和23年に日光国立公園観光株式会社が買い取り宿泊施設、博物館として利用。その後、東武鉄道が同社を傘下に収め平成18年まで日光田母沢ホテルとして営業していた。
www.sankei.com/life/news/170622/lif1706220034-n1.html
皇室の装束展示 旧御用邸の公園
05月10日 17時40分
日光市の旧御用邸の公園で、皇室の装束を紹介する展示が10日から始まりました。
日光市の旧田母沢御用邸は、昭和20年代まで皇室の別邸として使われ、平成12年から、栃木県が日光田母沢御用邸記念公園として整備して一般公開しています。
記念公園では、栃木県とつながりが深い皇室への理解を深めてもらおうと、文献から再現した皇室の装束を紹介する展示を10日から始めました。
このうち「御祭服」は、天皇が「大嘗祭」などの神事の際に身を包まれる白色の絹の装束で、6種類ある伝統的な装束の中で最も格式が高いものです。
また、平安時代から現代の皇室に続く宮廷衣装の十二ひとえも展示され、初日の10日は、着付けの実演も行われました。
正式名が「五衣唐衣裳」と呼ばれる十二ひとえは、機会は限られるものの皇室で今も使われていて、実演では、モデルの女性に着付け役の3人が着物を幾重にも重ねて着せていきました。
そしておよそ1時間で、総重量が15キロにもなる十二ひとえが完成しました。
見学した女性は「十二ひとえは着る方も着せる方も体力勝負だと感じました」と話していました。
主催した日光田母沢御用邸記念公園の鈴木孔二係長は「このような催しを通して、皇室の文化を感じてほしい」と話していました。
皇室の装束の展示は来月2日まで行われます。
utsunomiya/20190510/1090004249.html
>このような催しを通して、皇室の文化を感じてほしい
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