2016年8月2日火曜日

御供所


http://www.asahi.com/articles/ASJ82006JJ81TIPE03P.html




貝原益軒の「筑前国続風土記」に記されている内容によると、昔、筥崎八幡宮御供え物を調えた(必要な物を取り揃えた)ので、「御供所」という名が付いたとされる。
日本においては、神々に感謝・祈願し霊を鎮めるため神社などに供物を捧げる習慣が、古来から神道儀礼として定着しており、とりわけ稲作中 心の農耕文化であったため、気象条件により年によっては凶作となった。そこで、新米など新しい五穀を供えてその年の収穫に感謝し、豊作を祈願する稲作儀礼 がさかんに行なわれ、農耕に限らず、神社信仰においては、大漁、安産、地鎮祭、七五三詣などはもとより私的な細事に至るまで、日頃から供物を捧げて祈願す る。神社などの儀礼施設に限らず、個人の居宅にも神棚を設けて、榊や灯明とともに神饌と呼ばれる供物を捧げることにより家内安全や招福を祈願し、今日でもその伝統は残されている。その一端として皇室で行なわれる新嘗祭大嘗祭にもその儀礼が伝わっている。
神社の御供物として主に「落雁」などがある。

寺町

御供所は「寺町と呼ばれるように、寺院が集中している。
宋から帰朝した栄西禅師によって開かれた「福寺」 (日本最初の禅寺)は禅寺のなかでも、日本における大陸側窓口としての意味合いが特に強く、寺には国際交流を行う上でのノウハウが次第に蓄積され現在の外 交の基礎を構築したと言える。また日本に中国からお茶を持ち帰ったことでも有名であり、日本のお茶文化の伝播に大いに貢献した。
博多祇園山笠・発祥の地として有名な「承天寺」は聖一國師が開山した、またうどん蕎麦羊羹饅頭の製法を初めて日本に伝え粉物食文化を広めたと云われており承天寺境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑が建っている。
空海から帰朝後初めて建立された「東長寺」には国の重要文化財の木造千手観音が収められているほか、木造座像としては日本最大の大きさを誇る「福岡大仏」がある。
ういろうの起源と云われている「妙楽寺」もともとは、鎌倉後期に薬として伝えたのが始まり。対外交渉の拠点の時期もあり、神屋宗湛伊藤小左衛門など博多豪商の墓があることでも有名。博多湾岸の沖の浜にあり現在の場所へは藩主黒田長政入城の際に移された。
このように、大小あわせて多くの寺院があり外交の窓口として大使館や貿易基地として存在し博多の僧たちは外交や貿易の仕事を任されていた。都市化が進む博多駅周辺や大博通り周辺地域に対し、昔のたたずまいが残っており歴史・文化が生きる貴重で閑静な地域として親しまれている。

博多祇園山笠・博多松囃子

国の重要無形民俗文化財である博多祇園山笠のでは東流に属する。この地区には博多祇園山笠の起源とされる承天寺、博多総鎮守櫛田神社と縁が深い東長寺があり、それぞれの寺の前には清道旗が立てられるため、行事の大事な場所とされている。

また、博多どんたくの起源となった国の選択無形民俗文化財である博多松囃子では稚児流を担当。2年ごとに西流と交代で当番を務め、市内各所で舞やお囃子、地謡いを披露する。


聖福寺(しょうふくじ)は、福岡県福岡市博多区にある臨済宗妙心寺派寺院である。栄西創建で、日本最初の本格的な禅寺として有名である。境内は国の史跡に指定されており、山門や仏殿などがある。山号安国山(通称は安山)。





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