2012年12月27日木曜日

さたんの鐘@三つのぎやまん(ガラス)の鐘





http://web.archive.org/web/20080121000741/http://shunkoin.com/Nihongo.html
Shunkoin Temple in Kyoto, Japan - Zen Buddhist Temple, Zen Style Gardens, Screen Paintings, D.T. Suzuki, Hotel, Accomodation via kwout

→春光院@臨済宗妙心寺派



http://web.archive.org/web/20080121000741/http://shunkoin.com/Nihongo.html
Shunkoin Temple in Kyoto, Japan - Zen Buddhist Temple, Zen Style Gardens, Screen Paintings, D.T. Suzuki, Hotel, Accomodation via kwout

ちゃんとIHSの下に釘が三つ・・・(爆w

それなのに・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E5%85%89%E9%99%A2


「IHS」はイエス・キリストを意味し、ギリシャ語の「イエス」の最初の3文字、あるいはラテン語の「人類の救い主イエス」の頭文字とされる。


イエズス会の件を可憐にスルーしたのはWIKIで暗躍してる応夢の工作員だってモロバレですやん。(爆w



















→定光寺

→26日



、、、(w




→もともとはどちらも中国の禅宗


で、同名のお寺が・・・



定光寺(じょうこうじ)は、愛知県瀬戸市定光寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は応夢山(おうむざん)。本尊は延命地蔵願王菩薩(地蔵菩薩)。尾張徳川家の菩提寺。


応夢 = 臨済宗妙心寺派+その他の隠れ念仏 = イエズス会

で、


イエズス会 = フリーメーソン = カトリックのダークサイド = ユダヤガー! = ロス茶ガー! = 岩フェラガー! etc. etc..

、、、(爆w


おまけ







site:tokumei10.blogspot.com 春光

、、、(爆w

10 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

https://en.wikipedia.org/wiki/Shunk%C5%8D-in

The Bell of Nanban-ji is a Jesuit bell made in Portugal in 1577. The bell was used at Nanbanji Church, which was established by Jesuit Father Gnecchi-Soldo Organtino with the support of Oda Nobunaga in 1576.

ミネ さんのコメント...

王蟲でもある話さねw

ウィキwナンデモ中国由来とか書いちゃってたんだねウケル
南蛮は何も大陸だけじゃない、外国って意味だ
って大分昔に見知ったけど
ま、それもギャマン、びいどろ、金平糖の折なんで然と ってヤツで、、

今年はそれがイエズスなのよーん、と直結できて随分整理のついた年でした、あざす
同じ職人ものなら指物のがいいわ って必要が出た時のオチがつけれたし

9月 さんのコメント...

「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」:
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1254

「表具裂 白襦子地「IHS」文字入りメダイヨン花唐草文様」

厳しい鎖国政策の時代にこんな表具持っているだけで……
これ、お隣中国(当時の明)がヨーロッパへ輸出するものとしてイエズス会のリクエストにそってこしらえてものだそうです。それにしてもよく平気で所持していたものです。こちらがはらはらしてしまいます。お公家さんの考えることはよく分りません。
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"近衛牡丹":
http://www.google.co.jp/search?q=%22%E8%BF%91%E8%A1%9B%E7%89%A1%E4%B8%B9%22&aq=f&oq=%22%E8%BF%91%E8%A1%9B%E7%89%A1%E4%B8%B9%22&sugexp=chrome,mod=8&sourceid=chrome&ie=UTF-8

"津軽牡丹":
http://www.google.co.jp/search?q=%22%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E7%89%A1%E4%B8%B9%22&aq=f&oq=%22%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E7%89%A1%E4%B8%B9%22&sugexp=chrome,mod=8&sourceid=chrome&ie=UTF-8

匿名 さんのコメント...

都の南蛮寺の正式名は「被昇天の聖母教会」であり
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E8%9B%AE%E5%AF%BA

聖母被昇天の祝日に起きた主な出来事
イエズス会結成(1534年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%81%AE%E8%A2%AB%E6%98%87%E5%A4%A9

匿名 さんのコメント...

コノヨウナコトガ、日本ニ カルトが跋扈スル遠因ナノデショウカ…昔カラ、下ッ端ヤ、イッパン人ハ、翻弄サレテタノデショウカネ。
ソノイチブハ、テロカルトニナリ、マタ、意図セズトハイエ、協力シテキタ人々モイルノデショウネ…?

匿名 さんのコメント...

可憐にスル―してはならない根本問題をスル―して、反米活動と主体思想で世界平和を実現しようと血道をあげることが、再びの負け戦につながることをよく理解してほしいものです。

英語すら読めないと、瞑想でトランスで無罪とされちゃ、かなわないですね。

匿名 さんのコメント...

極上アンチエイジングのすすめ: 最前線ビューティー事情が早わかり!
https://books.google.co.jp › books
青木晃 - 2013 - ‎House & Home
防衛医大第 3 内科、東京大学医学部付属病院等で、内分泌・代謝内科の臨床研究に従事。多くの生活習慣 ... た聖路 加国際病院にて最初にサリン中毒であると診断し、初期治療の的確なアドバイスを行ったことでも知られる ...

匿名 さんのコメント...

@MIKITO_777 @rt_luckdragon 聖路加なりが引き受けをストップしている間に「他の患者」を地道に引き受けていた医療機関は・・・評価されたいとも思わないでしょうが、私は評価しています。
午後10:58 · 2014年3月20日

匿名 さんのコメント...

初期治療の最大の舞台となったのは、聖路加国際病院である。ここに自衛隊 より派遣された医官、看護官は計6名であった。診察を開始した医官のうち1 名は、すぐに原因がサリン中毒であることを直感したという。ちょうど、この 医官は、大量傷者治療と化学生物兵器の負傷者治療法の教育などが行われる 「幹部上級課程教育」を終了したばかりであった。教官との電話やFAXで確 認しあったうえで、上述の医官は、聖路加病院副院長にこれがサリン中毒症で あること、特効薬がアトロピン又はパムであること、さらに米軍やNATO軍 の「対化学兵器治療マニュアル」に基づいた早急な治療を実施するよう、意見 具申したということだ。

 また、ニュースを見た信州大付属病院の柳沢信夫院長が「松本の事件に似て いる」と感じ、聖路加国際病院の日野原重明院長に電話していた。そして、 「サリンならばこちらの経験が役立つ」と応急措置マニュアルをFAXで送付 されていた。こうして、日野原重明院長の判断により、アトロピン治療の方針 が打ち出されたのであった。結果、5000名を越える中毒症状患者のうち、 第1日目の死者が6名、事後の死亡者を含めても12名と、被害の拡大をかな り抑え込むことに成功したのである。

 もう一点、聖路加国際病院の危機管理能力の高さも、この事件ではフルに発 揮されていた。たとえば、500床の聖路加国際病院が、事件発生後3時間に 640人もの被災者を受け入れている。どうしてそのようなことが可能になっ たのであろうか。

 実は、聖路加国際病院は、第2の関東大震災が起こる可能性を想定し、備え をしていたのである。現在の聖路加国際病院の病棟建設は1992年のことで あるが、その数年前から新病棟建設の計画にあたってスイスとスウェーデンの 病院を視察したということだ。中立国というのは、自分の側から積極的に戦争 を仕掛けることはないだろうが、「いつ何時にミサイルが飛んでくるとも知れ ない」という危機感を忘れてはいない。このため、これらの国では、有事に対 する防御態勢が整えられている。地下に手術室があり、また廊下の壁には配管 が施されてあり、すぐに病室になるようになっているのである。

 それを参考として、聖路加国際病院の新病棟では、ラウンジであれチャペル であれ待合室であれ、可能な場所各所に酸素吸入とサクションのバイビングが 施されている。これが500床の病院でありながら、640人もの患者を受け 入れることができた理由であった。そして、対応も迅速であった。「地下鉄で 異常事態」の報道が入った直後、日野原重明院長は、そのときに行われていた 会議を中止し、院内放送で当時手術中の医師、看護婦以外全員を非常召集し、 非常緊急治療体制を敷いたのである。

 「医師は集まれ、緊急に集まれ」という意味の暗号「スタットコール、スタッ トコール」を放送が流れた。そして、病院の目の前の寄宿舎に泊まっている研 修医40人はもちろん、その放送で約100人の医師、300人のナース、助 手らがすぐに集まったという。さらに、その後もニュースをみた医師がどんど ん駆けつけた。結局、外来を含め事件発生後1週間に治療した患者は1300 人にのぼったが、病院は混乱に陥ることはなかった。

 このように、院長の一声で医療スタッフが集まる体制が、聖路加国際病院に はできていた。「地下鉄サリン事件」における聖路加国際病院の対応例は、今 後の医療の危機管理を考えるうえで、大いに参考となるだろう。
http://square.umin.ac.jp/ihf/news/2001/0417.htm

匿名 さんのコメント...

>2017年7月18日 20:57

ありがとうございます。
分かってましたな 爆