2016年2月4日木曜日

コウモリの存在を知る者@BILLY BAT

とりあえず匿名党大勝利記念に少し裏側を・・・
分かる人は限られてると思いますが・・・

【薩摩の山伏・鮫島圓成坊=アンジロー=ザビエルを日本へ導いた男】

朝鮮総連本部を競落した鹿児島の宗教法人の池口恵観(俗名:鮫島正純)を調べてて面白い記事を見つけた。
薩摩の島津義久(1533~1611年)が山伏の鮫島圓成坊なる山伏を他国へと遣わしてキリスト教を学ばせ、帰国する際に欧州植民地主義の尖兵イエズス会のザビエル(1506~1552年)を引き連れて日本へ布教に来たという。
鮫島圓成坊が歴史の教科書などに出ているヤジロー=アンジローであることが判明したという昭和4年の読売新聞の記事だ。
そこで、今回の池口(俗名鮫島)法主との非常に強い共通性が示唆される。
薩摩、鮫島、山伏=密教が完全に一致。しかも、ヤジローはクロ教(後述)とも繋がるオカルトファン垂涎のテーマだ。

この鮫島が朝鮮総連本部を競落した池口(俗名鮫島)法主のご先祖の可能性があるなら、ご先祖さまからして日本に災厄をもたらす存在=しかも、密教系でそうした念の世界の人であるから、一層凄みを持つ。
さらに、薩摩には「文禄・慶長の役」(1592~ 1598年)で朝鮮半島から連行された朝鮮人の集落(旧鹿児島県加世田市、現鹿児島県南さつま市)が形成されているのも注目される。
なぜなら、池口法主は小泉純一郎の実父、小泉(旧姓鮫島)純也(1904~1969年)と親戚(叔父ー甥?)であることも周囲には話しており、純也がこの朝鮮部落出身であることも確認されている。
こうしたことから今回の朝鮮総連本部競落と濃厚な関連性が認められる。










ヤジロウ(弥次郎、1511年永正8年)頃? - 1550年天文19年)頃?)は、史料上確かな最初の日本人キリスト教徒と目される。
ヤジロウは、ヤジロー、または当時の音韻からアンジロウ(アンジローとも)、洋風にアンジェロ(天使の意)ともいわれる。彼はフランシスコ・ザビエルの通訳者、神(デウス)概念や聖句などの翻訳者として活躍し、日本の西日本地域で布教・宣教活動に従事した。彼の出自や本名などについては研究者によって区々である。一説では豪族禰寝氏庶流池端氏の可能性が指摘されている。ザビエル離日後のヤジロウについては、ルイス・フロイスなどの証言があるものの、彼がいかなる人生を送り、どこで亡くなったかは不確かである。
ヤジロウは薩摩国あるいは大隅国(両国とも鹿児島)の出身である。彼自身やザビエルの書簡によれば、彼は若い頃に人を殺し、薩摩や大隅に来航していたポルトガル船に乗ってマラッカに逃れた。その罪を告白するために彼はザビエルを訪ねたという[1]。二人を引き合わせたのは、天文15年(1546年)に薩摩半島最南部の山川にやって来たポルトガル船船長のジョルジュ・アルヴァレスである。船長はマラッカへ帰る際ヤジロウを乗船させ、ザビエルを紹介した[2]
ヤジロウはもとは貿易に従事していたと考えられている。フロイスの『日本史』では海賊(“八幡”(ばはん))であったと書かれている[3]
ザビエルの導きでゴアに送られたヤジロウは、1548年聖霊降臨祭ボン・ジェス教会で、日本人として初めて洗礼を受けた。洗礼により彼は「パウロ・デ・サンタ・フェ(聖信のパウロ)」の霊名を授かった。その後、彼は同地の聖パウロ学院でキリスト神学を学んだ[4]
ヤジロウはザビエルから、日本でキリスト教の布教をした場合を問われ、スムーズに進むだろうと答えた。ヤジロウの人柄と彼の話す日本の様子を聞き、ザビエルは日本での活動を決意した。
1549年4月19日、ヤジロウはザビエルに従いゴアを離れ、同年8月15日に鹿児島に上陸。ここに日本におけるキリスト教布教の第一歩を記した。

その後のヤジロウの生涯については不詳である。上記フロイスの記述によればザビエルの離日後、ヤジロウは布教活動から離れて海賊の生業に戻り最後は中国近辺で殺害されたという。またフェルナン・メンデス・ピントの『東洋遍歴記』、ジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』によれば仏僧らの迫害を受けて出国を余儀なくされ、中国付近で海賊に殺されたという[5]

鹿児島が日本におけるキリスト教発祥の地であることを記念し、ザビエル来航450周年にあたる1999年鹿児島市ザビエル公園(鹿児島市東千石、カトリック鹿児島カテドラル・ザビエル教会向かい)に設置(ザビエル、ベルナルドとの群像。画像参照)。

鹿児島県には、ヤジロウが身を潜めて宣教を続けていたとする伝承がいくつかある。甑島には同地の天上墓はヤジロウの墓であり、クロ教(クロ宗)はヤジロウの伝えた隠れキリシタン信仰であるという伝説がある[6]



クロ教(クロ宗とも)とは、鹿児島県甑島の一部で信仰されていると言われる土着宗教。キリスト教が禁止・弾圧されていた時代からの隠れキリシタンの一部であるとされている。

甑島では、1602年ドミニコ会の宣教師が来航してキリスト教を広め、禁教令によって弾圧が始まると1638年には信者が捕えられて処刑されたと言われている[1]。このほか、甑島にある天上墓は、フランシスコ・ザビエルの通訳者だったヤジロウ1511年?~1550年頃?)の墓であるという伝説があり、キリスト教伝来期から信者がいた可能性がある。また、島原の乱1637-1638年)以降に甑島に逃れて来た隠れキリシタンの末裔であるという説もある。 クロ宗は、下甑島片野浦内の一集落において信じられている土俗宗教であって、信徒が死に臨むと、集落の者が集まり、サカヤと呼ばれる司祭の取り仕切る儀式で、その生き血や肝を食うという[2]
堀田善衛の小説『鬼無鬼島』(1957年)のモデルとなったのが、「クロ宗」であると言われている。






『BILLY BAT』(ビリーバット)は、モーニング2008年から掲載中の浦沢直樹漫画作品。ストーリー共同制作は長崎尚志















→株式会社オフィスキヨハラ






、、、(爆wwwwwwwwwwwwwww

おまけ







、、、(爆wwwwwwwwwww




8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

SHI の 美

嗚呼…。

匿名 さんのコメント...

いやはやまるで吸血鬼伝説のようだ(爆)
やっぱサカヤ→サ(ン)カ(")なんですかねぇ

匿名 さんのコメント...

>信徒が死に臨むと、集落の者が集まり、サカヤと呼ばれる司祭の取り仕切る儀式で、その生き血や肝を食う

森島輝実 大阪府門真市舟田町

匿名 さんのコメント...

>やっぱサカヤ→サ(ン)カ(")なんですかねぇ

さんかれあ

匿名 さんのコメント...

ご存知の方はご存じだと思うけど置いときますね

http://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/201108170000/

元々、シュメール語で【サング】とは「僧」をいみする言葉で、
インド語では「仏僧の集団」を【サンガ】といい、これが日本で【鹿】【坂】となり、
坂の者・サンカの語源となります。
【鹿】がサカ族の【サカ】からきた言葉であることは既に学界でも
認められていることです。

匿名 さんのコメント...

隠れキリシタンが入るところは、そういうおぞましいところか、白山信仰してるようなとこって相場が決まってる(w

匿名 さんのコメント...

野老澤 観音院 福泉 山伏

匿名 さんのコメント...

鮫島尚信 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/鮫島尚信
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鮫島 尚信(さめしま なおのぶ、弘化2年3月10日(1845年4月16日) - 明治13年(1880年)12月4日)は明治時代の日本の外交官。旧薩摩藩士。通称は誠蔵。鮫島武之助の兄。 目次. [非表示]. 1 人物・来歴; 2 墓所・霊廟・銅像; 3 著作; 4 脚注. 4.1 注釈; 4.2 出典. 5 参考文献; 6 関連文献; 7 外部リンク. 人物・来歴[編集]. 薩摩国鹿児島城下山之口馬場町の薩摩藩藩医、鮫島淳愿の子として生まれる。15歳で石河確太郎に蘭学を学んだあと、藩命 ... ハリスは王政復古後の日本政府で働くことを勧めたので鮫島は森有礼ともに帰国することとし、翌明治元年(1868年)、両名は ...