2016年1月26日火曜日

ポワソンライン@汚腐乱巣にD-Flag





少し種明かしを・・・






美山荘(みやまそう)(野草一味庵「美山荘」)は、京都の奥山、花背(はなせ)の里にある「摘草料理」で有名な料理旅館で、摘み取った季節の草花や旬の野菜に魚を取り入れた美しい料理は、立原正秋白洲正子など多くの文化人から愛され、京都から「門外不出」といわれてきた。
また、フランスのシェフ、アラン・デュカス(Alain Ducasse)やミシェル・ブラス(Michel Bras)などもここを訪れ、かなりの興味を示したといわれている。
奈良の春日大社の社家であった初代が、京都・鞍馬の奥の大悲山にある、花背の「大悲山峰定寺」の再興に共鳴し、1895年(明治28年)に峰定寺参りの信者のために宿坊として建てたのが始まりとされている。 三代目当主 中東吉次が、1937年(昭和12年)に宿坊を料理旅館に増改築し、屋号を「美山荘」として現在の形を作った。
その設計と施工は、数奇屋建築の匠 中村外二(なかむら そとじ)が担当したが、中村外二は京都の「俵屋」(設計: 吉村順三)ほか、伊勢神宮茶室万博日本庭園の茶室、ロックフェラー邸の茶室など、数々の旅館、料理屋、茶室を手がけた名工として知られている。
現在はザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパに「美山荘 洞爺」・「天川」(2002年6月開店)を出店しており、さらに、現当主のプロデュースによる京都「美先」(2006年2月3日開店)、新宿「美先」(2006年12月1日開店)があり、「門外不出」ではなくなっている。

なお、「美山荘 洞爺」は、中村外二の次男で、中村外二工務店代表の中村義明が担当した。


立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤규1926年1月6日 - 1980年8月12日)は、朝鮮半島出身の日本小説家随筆家詩人編集者1926年(大正15年)1月6日朝鮮慶尚北道(現在の韓国慶尚北道)安東郡生れ。早稲田大学専門部国文科中退(入学時は法律学科)。


峰定寺(ぶじょうじ)は、京都市左京区花背原地町にある本山修験宗の寺院。山号は大悲山。本尊は千手観音。開基は観空西念である。12世紀に開創された修験道系の山岳寺院で、創建時にさかのぼる仏像など、多くの文化財を伝える。


中村外二(なかむら そとじ、1906年 - 1997年)は、京都数奇屋大工棟梁裏千家大工。富山県小矢部市(旧石動町)出身。










要するに・・・・

アウト → 宇佐神宮には和気氏春日大社には藤原氏

セーフ → 伊勢神宮には王氏白川家


で、





しらかわけ【白川家】
花山天皇より出た源氏。代々神祇伯(神祇官の長官)に任ぜられて明治維新に及んだので,伯家ともいう。また神祇伯に任ぜられると某王と称することを許され,その女は女王と称した特異な家である。伯家が王を称することを許された理由は,朝儀において王を称するものが必要であったからである。たとえば,天皇の伊勢神宮への奉幣は王が使者となり,天皇即位礼のとき,高御座(たかみくら)の御帳を褰(かか)げる2人の女性のうち,1人は女王であることなどがそれである。

                                                           



まあ勿論まがいもんの自称白川家はアウトでしょうけど。(爆wwwwwwwwwwwwww



、、、(爆wwwwwwwwwwww


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