2015年9月30日水曜日

神苑会@神都と清水國明と赤福餅と伊勢神宮と済生会

ジョン・ブリーン著『神都物語 伊勢神宮の近現代史』
2015年09月30日 05時20分
再生産されゆく聖地の姿


明治時代以降の伊勢神宮と周辺の宇治山田地区の変遷を追った『神都物語 伊勢神宮の近現代史』(吉川弘文館)が、国際日本文化研究センターのジョン・ブリーン教授によって刊行された。

今も多くの参拝者を集める伊勢神宮の現代までを通史でみることで、「人の営みによって形作られ、再生産されていく聖地(神都)の姿が見えてくる」という。

1869年(明治2年)、明治天皇が伊勢参拝を行った。以後、伊勢神宮は近代国家に組み込まれていく。その過程で神宮と地域社会に大きな打撃を与えたのは、全国にお札や暦を配り、参拝者を誘致していた神職「御師」の廃止だった。明治政府が私腹を肥やす御師の一掃を狙ったが、参拝者が激減したのだ。

84年(同17年)に赴任した大宮司の「本年は参拝人非常に少なく、社入三分の一を減ず」という言葉が残っている。警察の統計などから、70、80年代の参拝者は、江戸時代後期の半分程度に減っていたとみられるという。

地元の旅籠屋や遊郭は危機感を募らせる。そこで知事や地元の実業家らが宇治山田の復興を図る神苑会を結成、伊勢神宮の景観を大きく変えていく。ブリーン教授は「『みずみずしい』、『神々しい』と言われる『神苑』ができたのはこの時。外宮と内宮をつなぐ道路も造り、注目を浴びた」と話す。

伊勢神宮が天皇の祖先神を祭る宮として、国家にとっての聖地へと変貌する中、神苑会はさらに、宇治山田を「神都」として「ブランド化」していく。「神都大祭」を開き、「神都」を名乗るイベントや組織が現れ始める。新聞では、「神都」が中世ヨーロッパでキリスト教徒が訪れたエルサレムに例えられた。博物館や交通網も整備され、1909年(同42年)には近代になって初めて参拝者が400万人を超えた。

「社会や政治など様々な影響を受けて自らを再生産していくというのが私の神宮論。その中でも明治の変化は画期的だった」

神宮は戦後も変わり続ける。連合国軍総司令部(GHQ)の指令で宗教法人となり、国家主義的な存在ではなくなる。一方、2013年には、安倍首相が式年遷宮の「遷御」の儀に、首相として戦後初めて参列した。

「近年は伊勢神宮の再神聖化の動きが見えるが、これからも変わり続けるだろう。時代に合わせて柔軟に変化してきたからこそ、伊勢神宮が日本文化の中心的な位置を占め、求心力を維持できているのだろう」(文化部 原田和幸)
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/news/20150924-OYT8T50225.html




財団法人神苑会(しんえんかい)は、かつて、1886年から1911年までの間に存在した財団法人
1886年に、伊勢神宮周辺の民家から発生した火災が神宮へ延焼することを防止するなどを目的に、有栖川宮熾仁親王総裁吉井友美を会頭とし、古市の旅館「備前屋」の太田小三郎を中心に結成された[1]。神宮神苑の美観と清浄を確保するためとして、民家の土地買収を行なっていた。1911年に解散した。
神苑会は、神苑の整備のほか、以下の神宮関係施設の建設を目的とした[1]
  • 1887年に伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として賓日館を建設。歴代諸皇族、各界要人が宿泊したが、1911年に隣接する二見館(三重県初の政府登録国際観光ホテル)の若松徳平に払い下げられ、二見館の別館として1999年まで貴人の宿泊所として利用されたものの、二見館の休業にともない、2003年二見町に寄贈され、その後は一般公開されている[2]
  • 1906年、神宮司庁所蔵の図書などを保管するために神宮文庫を宇治館町に建設。しかし、蔵書数が収蔵可能数を飽和したので、倉田山に移転、所蔵書籍の管理を神宮皇學館(現在の皇學館大学)に移した。
















正確な創業年は不明だが、江戸時代初期には皇大神宮(伊勢神宮内宮)前、五十鈴川のほとりで既に「赤福」の屋号を持つ餅屋が存在したといわれる。1707年宝永4年)執筆、1708年(宝永5年)刊行の市中軒浮世草子美景蒔絵松』に、伊勢古市の女が「(恋仲になった男が)赤福とやら青福とやら云ふあたゝかな餅屋に聟に入りを見向きもしなくなってしまい、その裏切りがくやしうて泣いております」と嘆いたという話があり、これが「赤福」の屋号の初出である。そのため、現在は1707年を赤福の創業年としている。
赤福」の名は1895年明治28年)の『神都名勝誌』では、餡を入れた餅を大福と呼ぶ対比として、赤い餡をつけた餅であるから赤福と称したと推察している。1929年昭和4年)の『宇治山田市史』ではこの説を採用し、その他の説はこじつけであるとしている[1]が、赤福のホームページではまごころ(赤心)をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味の「赤心慶福」(せきしんけいふく)に由来するとしている。名前の「赤」にちなんで包装も商品名のロゴも赤いが菓子自体の色は厳密には小豆色であり赤ではない[2]





クレヨンしんちゃん・・・










、、、(爆wwwwwwwwwwwww

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

なるほど神都

ご近所 さんのコメント...

バス釣りの本場のアメリカ(笑)からのメッセージも
最近激しくなってきましたねえw