焼津市 - Wikipedia via kwout
- 市名の由来
- 日本神話で、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の途中で地元の賊衆に襲われた時、草薙剣で葦を薙ぎ倒し、そこで賊衆を迎えうち、火を放って難を逃れた。その様相が烈火のように見えた、あるいはその火で葦が焼け燃え盛ったという伝承から、「焼津」と命名された。
「つけび」ですな。(爆wwwwwww
古代から鎌倉時代まで
- 409年:焼津神社(入江大明神)が創立されたと伝えられる。
- 729年(天平元年) - 749年(天平21年/天平感宝元年/天平勝宝元年)(天平年間):行基が法華寺(天台宗)を建立。国分尼寺。
- 815年(弘仁6年):空海(弘法大師)が香集院(俗に虚空蔵山、真言宗。後に曹洞宗)を建立したと伝えられる。
室町時代から江戸時代まで
- 1487年(長享元年):今川氏親の後見・伊勢盛時が石脇城で挙兵し、今川家の家督争いを制する。
- 1594年(文禄3年):この頃の和田湊は、大井川奥地の木材を江戸へ回送する集散港であった。
- 江戸時代には田中藩の治下に置かれる。
- 1614年(慶長19年):焼津産の生鰹と甘鯛を、駿府城に隠居していた徳川家康に献じる。
- 1642年(寛永19年):田中藩が浜奉行を設け、海岸の防衛や漁村の貢税の取り立てを行う。
- 1705年(宝永2年):古文書によれば、鰹節の製造が既に行われていた。
- 1753年(宝暦3年):永豊寺住職(小川)が、宇治より緑茶の種子を持ち帰り、村民に緑茶の栽培を教える。
明治から第二次大戦まで
- 1871年(明治4年)8月29日:廃藩置県で静岡県に属する。
- 1884年(明治17年)7月:戸長を官選に改め、戸長役場を置く。
- 1889年(明治22年)10月1日:村制施行により益津郡焼津村が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日:益津郡・志太郡の区域に改めて志太郡が設置され、同郡の所属となる。
- 1897年(明治30年)8月4日:小泉八雲が初めて焼津を訪れる。
- 1901年(明治34年)6月28日:町制施行(戸数 1,780戸、人口 10,472人)。焼津町となる。
- 1901年(明治34年):鰹節の焼津節が土佐節を抜き、東京鰹節相場の首位を確保する。
- 1903年(明治36年):焼津漁業組合を設立。
- 1907年(明治40年):焼津漁船の、氷で冷やす鮮魚の運搬方法が一気に普及する。
- 1908年(明治41年):鉄道輸送に冷蔵貨車が登場。焼津港の鮮魚の高速輸送が本格化する
- 1909年(明治42年):このころから焼津漁船の動力化がすすむ。
- 1924年(大正13年):焼津港初の鋼船が進水。
- 1925年(大正14年):焼津漁業組合に民間初の漁業無線局が認可される。
- 1926年(昭和元年)[元号要検証]:焼津港のカツオ船が急増したため、定数を決め、以後5年間は増加を中止する措置をとる。
- 1937年(昭和12年)7月:焼津船籍の漁船の徴用が始まる。
- 1941年(昭和16年)8月:漁船の徴用で焼津港の遠洋漁船のほとんどが消滅。焼津港の徴用船はわかっているだけでも 113隻。うち、1940年以後の徴用船で無事帰還できたのは 10隻あまり。乗組員 401人の戦死が確認されている。
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1 件のコメント:
てことは焼津原人に薄い顔はいないって事なんですね?wわかりまふ
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