2015年5月24日日曜日

霊法会@霊友会系教団






霊法会(れいほうかい)は、吉岡元冶郎吉岡さとによって設立された、法華系の新宗教である。いわゆる霊友会系教団の一つ。

設立者
  • 吉岡元冶郎(教団では、恩師もしくは本化大門薬上大菩薩と称される、法華経に登場する菩薩名)
  • 吉岡さと(日月浄明徳如来と称される、法華経に登場する仏名)
本部:〒651-0053 兵庫県神戸市中央区籠池通7-1-29

教義

西田無学が提唱した在家による法華経の 先祖供養が霊友会系の基本的な教義であり、分派独立した霊法会もこの教義をベースとし、人情・畜情・仏情・成功・成仏に要約される人間観と修業観の「五節 の句」の教えや、夫婦一体の修行を強調する「妙法一致」などを基本的な教義とする。また各家先祖はもちろん、国家や世界の因縁浄化のために影の修行を尊んでいる。それを伝える「発言者」(はつごんしゃ、他教団でいう霊能者)の養成を行っている。修行を中心とした信仰体系をもち「天職」と「修行」の両立を説いている。

霊法会の信徒が使用する経典は、"妙法蓮華経、開経、結経" "妙法蓮華経陀羅尼"(二十六番、二十八番)と"南無妙法蓮華経 朝夕のおつとめ"。

沿革

吉岡元冶郎と妻・さとは、霊友会の支部長であったが、1945年(昭和20年)の神戸の大空襲に遇い、小豆島に疎開したのち、昭和22年7月に再び神戸へ戻り弟子を再結集させて会の基礎を築いた。そして昭和25年2月22日に霊友会から離脱し霊法会と公称し独立した。
昭和30年には、八方に衆生済度の拡がりとされる「八天の題目」(陽の題目とも)を開顕し、人材開発や儀礼などを整備する。 昭和37年には青年部を発足、その頃から多宝塔とも呼ぶ講堂を関西を中心に次々と建立した。昭和47年から「発言者」を通して霊界の神仏から得た指導の場であった身延山から霊法会の本部に移すなどにより、教団の独自性が高まった。

恩師・吉岡元冶郎が昭和51年に死去すると、教団は神戸市東灘岡本の天王山に30万坪の土地を購入、昭和57年に国家の守護神として「如来山仏舎利塔」を建立し「恩師の仏舎利」を収めた。尚、「如来山仏舎利塔」は阪神淡路大震災で大きな被害を受けている。現在は修復が済み、復興されている。妻の吉岡さとが昭和62年に死去。現在は夫妻の三男である吉岡正義によって継承されている。











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