【昭和天皇実録を読む】
青年君主、田中義首相を叱責、総辞職招く 「若気の至り」との後悔、後の失敗へ
2014.9.17 14:37 (1/2ページ)[皇室]
田中義一内閣は、叱責事件の5日後に総辞職した
《田中(義一首相)の奏上(そうじょう)はこれまでの説明とは大きく相違することから、天皇は強き語気にてその齟齬(そご)を詰問され、さらに辞表提出の意を以て責任を明らかにすることを求められる。また田中が弁明に及ぼうとした際には、その必要はなしとして、これを斥(しりぞ)けられる》(昭和4年6月27日)
田中義一叱責事件として知られる、即位間もない青年君主の苦い経験を、昭和天皇実録はこう記述する。
■「若気の至り」
満州・奉天郊外で昭和3年6月4日に起きた張作霖爆殺事件で、田中首相は当初、関与が疑われた日本軍を厳罰処分する方針を奏上した。だが、事件をうやむやにしたい陸軍などの要求に流され、「犯人不明のまま責任者の行政処分のみを実施する旨」を奏上。それに天皇が激怒したのだ。田中首相は、5日後に内閣総辞職した。
内閣の決定に異を唱え、首相を辞任に追い込むような言動は、立憲君主としてあってはならないことだ。昭和天皇はのちに「私の若気の至りであった」と、率直に後悔している。
実録には書かれていないが、昭和天皇は激しく動揺したことだろう。以後、内大臣ら側近を除き、閣僚や軍上層部に強く意見を述べることが少なくなった。皮肉にもそれが、第二の失敗をもたらすことになる。
■大権干犯罰せず
昭和6年9月18日、満州事変が勃発。19日《(首相から)事態を現在以上には拡大せしめないよう努めるとの方針を決定した旨の奏上を受けられる》。21日《(参謀総長から)朝鮮軍隷下の混成第三十九旅団が朝鮮軍司令官の独断を以て国境を越え奉天に向け出動した(中略)旨の奏上を受けられる》。22日《(朝鮮軍の独断越境に対し)天皇は、この度はやむを得ざるも、今後気をつけるようにと戒められる》
朝鮮軍司令官が大命を受けずに独断で兵を動かしたのは、天皇大権の干犯(侵害)だ。この時こそ昭和天皇は大元帥として陸軍を強く叱責し、厳罰処分にすべきだった。
大命なき独断越境が契機となり、陸軍はますます暴走、昭和天皇の苦悩は深まっていく。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140917/imp14091714370005-n2.htm
まあ要するにおいらが以前書いた・・・
・・・がやっぱ正解だったわけですな。(爆wwwwwwwwwww
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6 件のコメント:
田中義一だけでなく、昭和天皇にはバカどもの暴走を一喝して止めて頂きたかったと考えるのですが。田中義一に懲りたのか知りませんが、eiki tokyoを野放しにしたことは大変遺憾なことです。
>昭和天皇にはバカどもの暴走を一喝して止めて頂きたかったと考えるのですが
ご自分で請求してお読みになってご判断されるのもひとつの手立てです。
いわゆるメディアの「実録案内」は、それぞれの癖に左右されています。
PDF版で61分割、全体で83MB弱
仮にこれらがWEB上にアップされていたら、明らかに違法行為です。
行政機関の保有する情報の公開に関する法律に従って所定の手続きを踏めば、自宅でタブレットでも読めます。
むしろ「実録案内」に拘ることで、昭和天皇の様々な御尽力に無関心でいることも、公平ではないと感じます。
「実録案内」が演出しようとする空気自体から距離を置いて、直に解釈することが可能な時代に生きているのですから。
枢密院 台湾銀行救済緊急勅令案 田中義一
枢密院 鈴木商店
枢密院 三井 三菱
NHKドキュメンタリー - ドキュメンタリードラマ「華族 最後の戦い」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/93016/.../index.html
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