皇室のダークサイドですかねえ・・・(爆wwwwwww
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- 葉室光子(典侍、明治天皇の側室)
- 橋本夏子(典侍、明治天皇の側室)
- 松平治郷(号・不昧、松江藩7代藩主、茶人)
- 三条実美
- 大隈重信
- 山縣有朋
- 山田顕義(初代司法大臣、日本大学・國學院大學を設立)
- 梅謙次郎(民法・商法起草者、法政大学初代総理)
- 河野広中
- 石井絹治郎(大正製薬創業者・初代社長)
- 石井輝司(大正製薬2代目社長)
- 大倉喜八郎
- 池田成彬
- 團琢磨
- 團伊玖磨(作曲家)
- 益田孝(益田鈍翁)
- 高橋義雄(高橋箒庵)
- ジョサイア・コンドル(建築家)
- 野間清治(講談社初代社長)
- 中村天風
- 梶原一騎
- 大山倍達
- 鈴木成文(東京大学名誉教授・神戸芸術工科大学学長・建築計画学)
皇后の近代
著者:片野真佐子(かたの まさこ) 講談社、2003年
世襲制をとる天皇制では、子供の誕生は不可欠の命令である。
子供が生まれなかったら、血統は絶える。
しかし、人間は必ずしも子供を産めるとは限らない。
明治天皇の妻・美子は、子供がいなかった。
そこで、子供を産むだけの役割が、明治天皇の近くの女性に期待された。
つまり支配を担わない女性たちは、支配者である男性の子供を産むことだけが、その存在理由だった。
宮中では1873年9月に第1皇太子が誕生した。だが、この子は生まれたその日に死んでしまい、緋桃権典 侍と呼ばれた生母葉室光子も、あとを追うように死亡した。つづいて11月に生まれた第1皇女も同じ運命をたどった。小桜権典侍と呼ばれた生母の橋本夏子も 出産の翌日に死亡した。葉室光子は20歳、橋本夏子はまだ16歳の若さだった。P46
これだけの女性たちや子供が次々に死んでいったのは、
近親婚のせいもあったろうが、前近代の衛生観念未発達もあったろう。
前近代では女性は命がけで子供を産んでおり、
また子供が成人するか否かは、まさに神のみぞ知るところだった。
明治になったといっても、事情は前近代といくらも変わらなかったに違いない。
こうした状態で、世襲を守るとすれば、1夫1婦的な性道徳では対応できない。
尊皇護国派の本流にロックオン!
Game Over Dudes!(爆wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
4 件のコメント:
> また子供が成人するか否かは、まさに神のみぞ知るところだった。
> 明治になったといっても、事情は前近代といくらも変わらなかったに違いない。
> こうした状態で、世襲を守るとすれば、1夫1婦的な性道徳では対応できない。
まさに女性は「生む機械」だったわけですねぇ(爆w
ここらへんもですかね。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B3%B6%E5%B2%A1%E5%A2%93%E5%9C%B0
そう言えば
鈴鹿8耐、期待のレジェンドチーム、第一ライダーで終了でしたねえなんとか書房さん^^
緋桃、、
またまた ふぇにきあ参上っすか
タイトルに出た人達の顔の濃さ平たさが比較表になってたら
すごく楽しいと思う
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