2日午後4時半ごろ、神戸市北区有野町唐櫃(からと)の山中で、男性が木にかけたロープのような物で首をつって死んでいるのをハイキング中の男性(55)が発見、110番した。
兵庫県警有馬署が調べたところ、死亡していたのは、同市北区の神鉄バス社長、川嶋勉さん(61)と判明。近くに車が駐車されており、車内にあったかばんに入っていた手帳に、家族宛てで「ありがとう」などと書かれていたことから、同署は自殺とみている。
同署などによると、1日午前7時ごろ、家族が、自宅から川嶋さんの姿が見えなくなり、車もなくなっているのに気付いたという。
川嶋さんは神戸電鉄有馬口駅構内で5月28日夜に発生した脱線事故で、代替バスの対応などに追われ、ほとんど帰宅できない日が続いていたという。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130602/waf13060223170015-n1.htm
神戸電鉄 | 異動ニュース via kwout
昭和49年3月 当社入社 常任監査役 川嶋勉 平成12年6月 当社鉄道事業本部鉄道営業部長 (注5) 10 (常勤) (昭和26年7月1日生) 同 19年4月 当社監査役グループ長 同 20年6月 当社常任監査役(常勤)(現) 昭和52年4月 阪急電鉄株式会社(現阪急阪神ホールディングス株式会 社)入社 平成14年6月 同社取締役 同 14年6月 同社統括本部長 同 14年6月 同社人事統括室長 同 17年4月 阪急電鉄株式会社常務取締役 同 17年4月 同社経営企画部長 川島常紀 同 18年4月 同社代表取締役常務取締役
なお、常勤監査 役川嶋勉氏は当社の経理部門において長年の経験があり、財務及び会計に関する相当程度の知見を有している。
Back in Black via kwout
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1 件のコメント:
岩田達治著「丹沢山麓 秦野の伝説」によると、徐福の子孫は、「からこさん」と呼ばれ、 大磯から上陸して秦野に定着したという伝承である。
また、丹沢山系から降りて定着した「からこさん」の伝承もあったと云う。
徐福一行の海上ルート
秦野の伝説によると、「からこさん(唐子さん)は、中国からおいでになり、 大磯の浜辺から秦野に移住したと伝え、徐福一行ではないか」と考えられている。
定着した場所は乳牛(ちゅうし:町名)とよばれ、今の秦野市中心街・本町になる。
かつて、唐子明神社が存在したが、現在は郷社・曽屋神社に習合されてしまっている。
該当場所は、現不動尊の南約二百㍍付近であると云われる。
秦野の民話によれば、「'からこさん'と一緒に、こぼしさまが来られたが、 こぼしさまは、大磯の浜からころがりころがりやっとのこと、丹沢の山にたどり着いた。 そして、美しい”こぶし”の花'を咲かせた」という。
現在も秦野市の民家には、春には「こぶし」の花を咲かせているところが多い。
からこさんは、乳牛を飼うことを教えた
「こぼしさま」とは、小方士・法師さまで、徐福一行の童男女を表しているようにも思われるとし、 岩田達治氏によると、からこさんは、乳牛(ちゅうし:町名)で、乳牛を飼うことを教えたと云う。
乳牛(ちゅうし)近くの曽屋神社の由来は、乳牛から蘇(そ、チーズ)をつくる屋敷からきたともいわれる。
神社近くの市役所前の道を土地の人は「デーゴ道」と呼ぶが、これは醍醐(ダイゴ=チーズ)からきているということである。
からこさん達が着岸した大磯の背景をなす山が、高麗山と呼ばれるのは、唐子さんに由来するのかもしれない。
つまり、蓬莱の地を探し求めた徐福一行は、日本列島に渡航後、熊野、三河、遠州、駿河と、 沿海を船で巡り、東海、関東に上陸した人たちもいたということであろう。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/hadano/index4.html#4
篠山市 波多野
波多野 秦野
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