兵庫県赤穂郡若狭野村(現・相生市)に福本郁夫として生まれる。17歳の時に養子縁組により大山姓となる。東京専門学校に入学し、在学中に早稲田大学政治経済学部に改組され、1905年に同学部を首席で卒業。1914年に早稲田大学教授(政治学)。1917年に朝日新聞社に入社するが、翌年白虹事件により辞職。1919年、長谷川如是閑らと雑誌『我等』を創刊するとともに大正デモクラシーを唱道する黎明会に参加。1921年に早稲田大学教授に復帰。
その後左派無産政党である労働農民党の委員長となり、「輝ける委員長」の愛称が付く。1928年の第16回衆議院議員総選挙に田中義一内閣の大蔵大臣だった三土忠造と同じ香川県から立候補するが、官憲の激しい選挙干渉に遭い落選。1930年の総選挙で新労農党より立候補し当選するが、この際「合法政党無用論」をとり同党の結成に反対した共産党系勢力(かつて労農党からの立候補時には組織的支援を与えていた)からは「大山師」(大山氏のもじり)と悪罵を投げかけられた。そして2年後にアメリカに亡命。ノースウェスタン大学政治学部研究嘱託。
戦後、1947年に帰国。1950年の参院選に日本社会党・日本共産党などで構成される全京都民主戦線統一会議(民統)の支援を得て立候補、途中社会党が馬谷憲太郎を擁立して戦線に乱れが生じるものの当選する(馬谷は落選)。なお、同年には京都府知事・京都市長の選挙も行われ、それぞれ民統が推した蜷川虎三・高山義三が当選している。1951年の12月にスターリン国際平和賞受賞。参院議員在職中の1955年に死去。
ja.wikipedia.org/wiki/大山郁夫
当時、大阪朝日新聞は大正デモクラシーの先頭に立って言論活動を展開し、特にシベリア出兵や米騒動に関連して寺内正毅内閣を激しく批判していた。1918年8月25日、米騒動問題に関して関西新聞社通信大会が開かれ、各社から寺内内閣への批判が巻き起こった。
問題となったのは、大会を報じた翌8月26日付夕刊(25日発行)の記事だった。記事の一節に「食卓に就いた来会者の人々は肉の味酒の香に落ち着くことができなかった。金甌無欠の誇りを持った我大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判の日に近づいているのではなかろうか。『白虹日を貫けり』と昔の人が呟いた不吉な兆が黙々として肉叉を動かしている人々の頭に雷のように響く」とあり、文中の「白虹日を貫けり」という一句は、荊軻が秦王(後の始皇帝)暗殺を企てた時の自然現象を記録したもので、内乱が起こる兆候を指す故事成語であった(『史記』鄒陽列伝。日は始皇帝を、白虹は凶器を暗示)。そのため、不穏当だと判断した大阪朝日新聞編集幹部はすぐさま新聞の刷り直しを命じた。しかし、すでに刷り上がった3万部のうち1万部が出回った後だった。大阪府警察部新聞検閲係は、新聞紙法41条の「安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スル事項ヲ新聞紙ニ掲載シタルトキ」に当たるとして、筆者大西利夫と編集人兼発行人山口信雄の2人を大阪区裁判所に告発し、検察当局は大阪朝日新聞を発行禁止(新聞紙法43条)に持ち込もうとした。当時、世論の激しい批判にさらされていた寺内政権が弾圧の機会を窺っていたとも指摘されている。
関西では大阪朝日新聞の不買運動が起こり、さらに憤慨した右翼団体・黒龍会の構成員七人が通行中の大阪朝日新聞社の村山龍平社長の人力車を襲撃し、村山を全裸にしたうえ電柱に縛りつけ、首に「国賊村山龍平」と書いた札をぶら下げる騒ぎまで発生した。また、後藤新平は右翼系の『新時代』誌に朝日攻撃のキャンペーンを張らせ、他誌も追従した。
事態を重く見た大阪朝日新聞では10月15日、村山社長が退陣し、上野理一が社長となり、鳥居素川編集局長や長谷川如是閑社会部長ら編集局幹部が次々と退社。社内派閥抗争で上野派の領袖であり、村山・鳥居派と対立して総務局員の閑職にあった西村天囚が編集顧問となり、編集局を主宰することになった。12月1日には西村の筆になる「本社の本領宣明」を発表し、「不偏不党」の方針を掲げた。こうして大阪朝日新聞は、発行禁止処分を免れることになった。これは大阪朝日新聞の国家権力への屈服を象徴しており、これ以降、大阪朝日新聞の論調の急進性は影をひそめていく。
a.wikipedia.org/wiki/白虹事件
→有栖川宮@旧本家方面
日清戦争後の三国干渉に憤慨した玄洋社の一部が大陸での活動をするために1901年、玄洋社の創立者の1人で初代社主の平岡浩太郎の甥に当たる内田良平を中心として葛生修吉らが設立した。他に平山周(後の中華民国軍総司令部顧問)、葛生能久(最後の黒龍会主幹で昭和右翼の重鎮)がいた。玄洋社の頭山満が顧問となった。
内田良平の父である内田良五郎は、筑前勤皇党の志士であり良平の叔父の平岡浩太郎は西南の役に従軍、後に頭山満と共に玄洋社を創立し帝国議会開設後は衆議院議員を務めた。また自らが経営する筑豊炭鉱で得た巨額の資金を革命資金として孫文を支援、アジア各国の独立運動、郷土の後輩や青年の育英に惜しみなくその財を注ぎ込んだ。
中国・満州・ロシア国境を流れる黒龍江(アムール川)は、春になると川原一面にきれいな花が咲き乱れる。その、のどかで平和な美しい光景をシベリア横断を成し遂げた内田良平が見て感動し、東亜の理想はこの光景にあると大悟し、欧米列強諸国によって殖民併呑されたアジアを復興し、まるで極楽を思わせるかの様な、春の美しい黒龍江のようなアジアを建設することをライフワークとして誓った。その復興アジアへの内田良平の誓いこそが、黒龍会の名前の由来である。
ja.wikipedia.org/wiki/黒龍会
→上野理一@朝日新聞@丹波篠山
後は・・・
site:tokumei10.blogspot.com 築地本願寺 聖徳太子
→Roman Catholic
、、、(爆w
でまたユダヤガー!と某工作員が・・・
で、フセイセンキョガー!はどうなったんでしょうかね・・・
無能な味方はry・・・(w
で、秋葉山の主が旧本家ことミカド家から現本家にチェンジしてしまいそうなわけですよ・・・(爆w
、、、(w
11 件のコメント:
現本家も双頭戦略の必要がなくなったわけですな。遠い国の女王様も根競べ前からイタリア訪問キャンセル、本番もキャンセルと、MI6 Good Job!
仏大統領 閣僚辞任でさらに打撃
フランスのオランド政権で脱税対策などを担当する閣僚が、スイスの銀行に隠し口座を持っていた疑いが強まったとして辞任に追い込まれ、支持率の低下に苦しんでいるオランド大統領にとってさらなる打撃となりました。
辞任に追い込まれたのは、オランド政権の閣僚で脱税対策などを行ってきたジェローム・カユザック予算担当相です。
カユザック氏は、スイスの銀行に隠し口座を持ち、法律で義務づけられた税務当局への報告をしていないという疑惑が報道されてきましたが、司法当局は19日、本格的な捜査に乗り出すと発表しました。
米韓演習にB52爆撃機参加 核搭載機能、北朝鮮を牽制
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130320-00000003-asahi-int
【ソウル=貝瀬秋彦】韓国で実施中の米韓合同軍事演習に19日、米軍のB52戦略爆撃機が参加した。訪韓したカーター米国防副長官が18日に予告していた。核兵器を搭載できるB52の参加をあえて公表し、北朝鮮を強く牽制(けんせい)した形だ。
韓国国防省関係者によるとB52はグアムから飛来し、訓練を終えてグアムに戻った。8日にもB52の訓練があったという。カーター氏は18日、「北の脅威があっても、米国が韓国を守る意思は透徹している」と強調。韓国国防省報道官も19日、「必要な時に、(米国がB52で)『核の傘』を提供することができる」と述べた。
北朝鮮の朝鮮中央通信は19日、「好戦狂たちが(北)朝鮮を公然と脅している」と批判した。今後、さらに反発を強める可能性がある。
新接続名
4BE08D797OF39D0591C9244637A504D
なげーよw
たまに日本橋でも電波とんでるけど
最近の傾向としては
この界隈と日本橋で部隊が別れている模様
日本橋専門部隊、接続数増えたねw
あと007Z~とpr400~が今日はいらっしゃってますな
昨日はもっと多かったけど
Ug~とかこの辺に常駐っぽいっすね
で
久々にいけしゃーしゃーと降臨(爆w
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51417210.html#comments
>なかなか香ばしいのですが一番ずっこけたのは
>>武器会社 ハネウェル社
>あのー本体はすでによろよろで買収の噂が絶えず
>アジア市場では競合でぼろ負けましてや日本からは
>完全撤退したハネウェルがそこまでアメリカの
>武器の有力生産者とか頭にウジでも沸いてるので
しょうかねぇ・・・・・。
bbtesterこと寝言下痢常連の海なんとかwww
チミが自称エンジニア状態だから周りが流れ弾食らって大変ずら(爆w
無能な味方は(ry
0001softbank
というお馴染みの接続叩いたら
Android Hotspot2165
という
最近日本橋でお馴染みの接続が来ましたw
普段は「2chは悪!」とか言ってるヤフコメの方々が
ひろゆきクンが不起訴になった途端何故か
ケンサツガー!
キョウセイソウサガー!
とウルサイんですが、何なんですがアレw
築地本願寺
X Japan Hide
大谷光瑞 大谷探検隊
大谷光瑞 九条籌子 大正天皇
此処は何度見ても、真宗の寺としては異質な建築様式
古代印度の伽藍より何よりも、全体的にカトリックっぽい
秋葉山略縁起と近世国学者の付会(田村貞雄)
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/akibaengi.htm
によると「遠州への秋葉信仰の伝来時期は、武田氏と断交した徳川家康が、越後の上杉謙信に密使叶坊を送り、その叶坊が長岡の蔵王堂三尺坊の院主を連れ帰り、秋葉山に住まわせた時期からとされている」であり、貞享の秋葉祭で流行神となったときに火伏せの神が一般的になったようですな。
逸れちゃうけど 桃華楽堂
http://sankei.jp.msn.com/life/photos/130318/imp13031816290001-p2.htm
1. ブルボン家(バチカンとの関係微妙)→フランス革命→色々あって、ナポレオン(コルシカ出身)台頭→ローマ皇帝に戴冠後、英帝と戦争→ロシア遠征へ
2. ヴィルヘルムⅡ世→ドイツ革命→色々あって、ヒトラー(オーストリア出身)台頭→第三帝国(神聖ローマ帝国の後継国)と称し英帝と戦争→独ソ戦へ
確かに、類似していますね。ところで、英帝とバチカンとロシアの関係性は国教会、羅魔教、ギリシャ正教会?
気になりますね。
Francesca Donner
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