2011年8月15日月曜日

麻生太郎元首相も満州阿片屋人脈な件

麻生セメントの袋が例の



に捨てられてたとされる件がコメント欄で注目されてるようですので補足。(爆w

要するにですね・・・







麻生 太賀吉(あそう たかきち、1911年9月29日 - 1980年12月2日)は日本の実業家、政治家。麻生セメント会長。妻和子は吉田茂元首相の三女。長男麻生太郎は第92代内閣総理大臣、第23代自由民主党総裁、麻生派会長。

とクレー射撃の名手、麻生太郎元首相とそのお父上、元麻生セメント会長の麻生太賀吉皆氏に関しては皆様いろいろご存知でしょうけど・・・

もう一人のクレー射撃の名手で麻生さん親子がよくご存知の福岡市萱堂町(現・奈良屋町)生まれのこの方


に関しては肝心の重要な情報がオウム真理教工作員がこっそり編集してるWIKIには見当たらないわけですよ。(爆w

それがコレ・・・



佐野眞一が、里見甫の生涯を描いた『阿片王――満州の夜と霧』(新潮社)に、里見の周辺を取り巻く人物の一人として許斐氏利の名前が出てくる
佐野は「児玉機関一のならず者と恐れられ、戦後“トルコ風呂”のはしりといわれた東京温泉を銀座につくった怪しげな男」と氏利を表現している。また、上海の里見の許には、「阿片という蜜に群がる毒蛾のように、いかがわしげな連中ばかりが集まってきた」として、許斐氏利、児玉誉士夫、笹川良一、坂田誠盛(「松機関」機関長)、吉田裕彦(「児玉機関」副機関長)の名前をあげ、「魑魅魍魎の顔ぶれは、さながら、戦前の上海から戦後日本に延びた地下人脈の様相を呈している」と書く。
また、西木正明は同じく里見甫の生涯をテーマとした『其の逝く処を知らず――阿片王・里見甫の生涯』(集英社)の中で「上海の乱暴者」許斐氏利を登場させている。「李鳴」を名乗っていた里見が上海のナイトクラブ「ブルーバード」の女性をめぐって、許斐とケンカ沙汰になり、里見を護る青幇(犯罪秘密結社)の若者と許斐の子分達が大乱闘寸前、「李鳴先生」が里見甫だと気づいた許斐が土下座して謝り、その後、里見の舎弟分になった、と書いている。
岩川隆は『新版・日本の地下人脈――政・財界を動かす陰の力』(光文社)の取材で、昭和一三年から一九年まで上海領事館の副領事を務め、情報収集のための「岩井機関」を率いていた岩井英一に会った。岩井はこんな話をしている。
「ざっくばらんに言いますとね、おおよそ、あの時代に“上海”を舞台に“なにか”をやっていた人間たちはみな、他人に言えない”部分“を持っていたんですよ。(略)同じ運命のもとに上海に流れてきたというような気持を抱いている。それだけに前歴を問うことはタブーなんですよ。どこの生まれでどこの学校を出たかぐらいは問わず語りに喋るでしょうが、かんじんのところになると、ぼかしてしまう。ほんとうのことは本人しか知らないのです」
岩井はそんな人物として、児玉誉士夫、里見甫、許斐氏利、吉田彦太郎(のち裕彦)らの名前をあげた。岩川隆は、許斐について「上海で、ゴロつき、浪人たちにも一目置かれた」と注釈をつけている。
岩井英一はこの時、昭和一八年に上海で起きた「水田光義殺害事件」の記憶を語っている。水田は児玉機関の依頼でタングステンやモリブデンの買い付けを行っていた商社「東光公司」の社長だった人物である。岩井は事件の翌日、上海領事館に届けられた報告書を読んだ。
「長椅子。前額部にピストル発射の痕、火薬のスス。灰皿に吸いかけの煙草が一本、水田は煙草を喫わない、抵抗のあともなく顔面の筋肉も引きつったあとはない、テーブルに訪問客と茶を飲んだ形跡……」
岩井は一瞬、やったのは「許斐かな」と思ったというのである。犯人は結局、わからなかった。岩井は「許斐かな」と思ったと語っただけで、その説明はしていない。だが、長年、上海にいて情報収集にあたり、裏社会の実情に精通した副領事が、許斐かと直感的に思ったということは、当時、氏利が表に出せない“なにか”に関与していたことを暗示している。
簡単だが具体的に許斐氏利の経歴に触れているのは、秦郁彦の『昭和史の軍人たち』(文藝春秋)ぐらいではないか。
彼はこの本で二六人の陸海軍の将官の人物評をしているが、この中の「長勇――昭和維新の侠客」で長と氏利の関係を「義兄弟の盃をかわし」「いつの頃からか、許斐は長を親分と立てるようになった」と書く。許斐は長に「同じ捨てる命なら大陸へ出て行け」と勧められ、中国大陸に渡る。上海派遣軍の参謀だった長に依頼された仕事が、「親日政権を樹立するので、その要人を国民党系秘密結社のテロから守れ」だったという。長がその後、北部仏印進駐部隊の参謀長に就任すると、ハノイにはせ参じ「許斐機関」を設置して裏面から軍の工作を助けた、と秦は記している。
戦後、氏利は一転して、戦災の跡が生々しく残る東京・銀座に、当時としては奇想天外な歓楽郷「東京温泉」を作り、社長となる。戦前・戦中の特務機関を率いた武闘派から、時代の最先端をいく“軟派”な世界に飛び込み、実業人に変身したのである。
唯一、硝煙の臭いは忘れられなかったらしい。射撃を趣味とし昭和三一年のメルボルン・オリンピックにクレー射撃の選手として出場、三三年には東京で開かれたアジア競技大会で優勝。日本クレー射撃協会の三代目会長にも収まっている。しかし、戦前戦中については、多くを語らず、昭和五五年、六八歳で多くのナゾを残したまま逝った。

まあ後は若いころの誰かさんに口元がよく似てるこの方が色々ご存知なのでは?(爆w



で、先代はイケメンのこの方でしたね・・・(w







で、この話のオチですが・・・








関東―九州ラインですね。(爆w



12 件のコメント:

ABC さんのコメント...

>関東九州ライン
喝破
見事団長。

許斐@児玉
児玉@木島@小沢

ミネ さんのコメント...

孫がニュージャパンとのコラボってのがね

匿名 さんのコメント...

CGにしか見えないのだが・・・妙に現実感がない。

http://livedoor.2.blogimg.jp/dqnplus/imgs/1/2/125660da.jpg

http://www.youtube.com/watch?v=UW2mg9i4pjk
http://www.youtube.com/watch?v=IhpR7AcLdLc

匿名 さんのコメント...

阿片屋・ミサイル人脈の期待を裏切れないくらいズブズブなのか

匿名 さんのコメント...

坂本剛二
自民・福島いわき市
(増子@ユナイテッドパワーの義兄)
核とか国連脱退とか
うっかりしちゃう方が、
「日本ライフル射撃協会」会長。

匿名 さんのコメント...

3カ国経済協力の推進を=ロシア大統領が金総書記に祝電
 【ソウル時事】ロシアのメドベージェフ大統領は、日本の朝鮮半島支配からの解放記念日に当たる15日、北朝鮮の金正日総書記に祝電を送った。大統領はこの中で「ガス化とエネルギー、鉄道建設分野で、ロシア、北朝鮮、韓国の3カ国計画をはじめとした相互の関心事について、北朝鮮との協調を拡大する用意がある」と表明した。朝鮮中央通信が伝えた。
 ロシアは、北朝鮮を経由して韓国にいたる天然ガスパイプラインの建設を提唱しており、北朝鮮、韓国ともに前向きな姿勢を示している。(2011/08/15-08:44

匿名 さんのコメント...

RAA
Recreation and Amusement Association

匿名 さんのコメント...

ご子息を大川周明さんのご自宅に書生としてお預けになったこと
なんとかのふりをして病院に入り、極東国際軍事裁判を、なんちゃらして
結果的に里見甫さんに救っていただきましたので
そのご子息のお世話もなさったという義理堅い方

あるいは
http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/201010210000/comment/res/?cid=201010220614197140
のようなお話も盛り込まれていて、おもしろくもあったのですが

金融業のお父様というのは
許斐鷹介 古田彦三郎 新手組合
につながるのか、どうかとか、わからないことばっかりになってしまいました

こちらの46頁を見ると、びっくりもいたしました
http://books.google.co.jp/books?id=oVQEAAAAMBAJ&pg=PA46&dq=ujitoshi+konomi&hl=en&sa=X&ei=OKMTUf3zMYS7kgXytIDoCw&redir_esc=y#v=onepage&q=ujitoshi%20konomi&f=false

極東国際軍事裁判で裁かれなかった罪って、なんだろう、とか
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,857039,00.html

ご近所 さんのコメント...

そういえばオイラの高校にはエアライフル部が何故かある件
オイラが2年の時だったかな、全国優勝してます
桜田組方面要員育成ですかね

匿名 さんのコメント...

佐々木健児追想録刊行会

匿名 さんのコメント...

吉田茂の兄の縁で招待試合
09月22日 05時55分
日本の復興に力を尽くした吉田茂元総理大臣の兄で、高知県出身の実業家の竹内明太郎が創設したことが縁で、来年創部100年を迎える高知工業高校の野球部が石川県の小松工業高校を招いて、ことし11月に高知市で招待試合を行うことが学校関係者への取材でわかりました。

吉田茂元総理大臣の兄で大手建設機械メーカー、コマツの創立者で知られる実業家の竹内明太郎は、高知県宿毛市出身です。
父の竹内綱とともに工業立国を掲げ、高知工業高校の前身の高知工業学校を設立したほか、石川県の小松工業高校の創立に力を尽くしました。
学校関係者によりますと、高知工業の野球部は来年創部100周年を迎えることから、竹内明太郎が創立した縁から交流を深めようと、夏の甲子園に2回出場経験がある小松工業の野球部を招待して、記念の招待試合を行うことが関係者への取材でわかりました。
招待試合はことし11月12日に、高知市野球場で行われるということです。
高知工業野球部の戸田卓谷部長は「交流を深めることができるのは大変喜ばしい。これをきっかけに両校の野球部がともに甲子園出場に向けて、さらに発展していくことを願っている」と話しています。
kochi/20170922/8010000286.html

匿名 さんのコメント...

site:mod.go.jp 小松製作所

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