2017年2月15日水曜日

康生会・武田病院から今上天皇まで芋づる式に


組長の虚偽意見書、別の病院も作成か 京都府立医大事件
2017年2月15日05時02分

恐喝罪で実刑確定後も持病を理由に刑の執行が停止されていた暴力団組長をめぐり、京都府警は14日、大阪高検が服役の可否を判断する際に京都府立医科大付属病院の吉村了勇(のりお)院長(64)らが虚偽の意見書や診断書を作った疑いがあるとして、同病院と同医科大を虚偽公文書作成などの容疑で家宅捜索した。

一方、京都市にある民間大手の「康生会・武田病院」(京都市下京区)の医師についても、組長が重度の心臓病にかかっているとした虚偽内容の意見書を作った疑いが浮上。府警は近く同病院を強制捜査する。

刑の執行が停止されていた山口組系暴力団組長の高山義友希(よしゆき)受刑者(60)=京都市左京区=は14日朝、大阪刑務所に収容された。

捜査関係者によると、高山受刑者は刑事裁判の係争中に腎臓病を悪化させ、府立医大病院で2014年に生体腎移植の手術を受けた。その後、手術執刀医の吉村院長や担当医が重症化の恐れを指摘して「拘禁に耐えられない」とする意見書を作成。15年8月に大阪高検に提出されたという。

武田病院の医師は昨年2月上旬に提出した意見書に「重症心室性不整脈」との病名を記載。「これからも不整脈が頻発する」などと説明し、命に関わる重篤化の危険性も指摘していたという。
http://www.asahi.com/articles/ASK2G530HK2GPTIL01J.html

武田ですね、わかります。(爆wwwwwwwww




武田 隆男(たけだ たかお、1931年 - )は、日本医師医学博士である。愛媛県出身。武田病院グループ会長[1]
愛媛県出身。1958年(昭和33年)京都大学医学部卒業。
1970年(昭和45年)、のちの武田病院グループの基礎となる武田病院を開設し、院長に就任。以来、社団法人京都私立病院協会の会長や京都府医師会の理事、京都中央看護婦養成事業団(現京都中央看護師養成事業団)の理事長を務めるなど、質の高い地域医療提供活動は勿論のこと、看護師、検査技師、保健医療管理士といったコ・メディカルの養成・育成にも取り組むなど、長きにわたって保健医療福祉の面から京都の地域社会の発展に寄与し続けている。 また、社団法人日本病院会でも、副会長等、同会やその関連団体にて数多くの役職を歴任。特に国内の感染症対策において、病院感染予防対策ハンドブックの作成・普及や感染管理スタッフの育成、院内感染対策の強化といった功績を残した。 京都地方裁判所民事調停委員、京都西ロータリークラブ会長、財団法人日本国際連合協会理事等、文化芸術、国際交流、社会奉仕など多方面にわたる公職を務め、医療人としてのみならず社会人としての功績も大きい。
  • 1958年3月(昭和33年)京都大学医学部卒業
  • 1959年3月(昭和34年)京都大学医学部附属病院実地修練終了
  • 1959年4月(昭和34年)京都大学医学部皮膚科教室入局
  • 1959年7月(昭和34年)京都大学医学部助手
  • 1959年8月(昭和34年)医師国家試験合格
  • 1967年4月(昭和42年)京都大学医学部講師
  • 1967年9月(昭和42年)関西医科大学助教授兼関西医科大学附属香里病院皮膚科部長
  • 1967年11月(昭和42年)京都大学医学博士授与
  • 1969年11月(昭和44年)関西医科大学非常勤講師
  • 1970年11月(昭和45年)武田病院開設 院長
  • 1976年12月(昭和51年)医療法人医仁会武田総合病院開設 理事長
  • 1996年1月(平成8年)医療法人医仁会 会長
  • 1997年10月(平成9年)医療法人財団康生会 会長 兼務 武田病院グループ 会長
  • 2001年11月(平成13年)医療法人大羽病院 理事長 兼務
  • 2002年2月(平成14年)医療法人財団医道会 理事長 兼務

役員


  • 1977年6月(昭和52年)京都私病院協会 理事
  • 1980年2月(昭和55年)京都府医師会 理事
  • 1985年11月(昭和60年)高度先進医療研究会 副会長 常任理事
  • 1987年6月(昭和62年)京都保健衛生専門学校 校長
  • 1989年4月(平成4年)全日本病院協会 理事
  • 1990年12月(平成2年)日本フィルハーモニー交響楽団 評議員
  • 1991年7月(平成3年)京都中央看護婦養成事業団 理事長
  • 1992年4月(平成4年)日本病院会 理事
  • 1993年8月(平成5年)チャーチル会京都 幹事長
  • 1996年8月(平成8年)八坂神社奉賛会 顧問
  • 1996年10月(平成8年)長岡天満宮奉賛会 理事
  • 1997年4月(平成9年)京都スペイン文化協会 顧問
  • 1997年4月(平成9年)日本病院会 常任理事
  • 1997年7月(平成9年)京都西ロータリークラブ 会長
  • 1998年6月(平成10年)第48回日本病院学会 学会長
  • 1998年5月(平成10年)日本病院会 感染症対策委員会 委員長
  • 1998年6月(平成10年)京都経営者協会 理事
  • 1998年7月(平成10年)平安神宮崇敬会 副会長
  • 1999年5月(平成11年)日独文化研究所 理事
  • 1999年6月(平成11年)京都私立病院協会 会長
  • 1999年9月(平成11年)日本病院会 副会長
  • 1999年10月(平成11年)全国病院団体連合 常任幹事
  • 2000年2月(平成12年)京都府医師会 代議員
  • 2000年11月(平成12年)京都府病院厚生年金基金 理事長
  • 2002年4月(平成14年)RI2004国際大会実行委員会 第12部会(医療) 副部会長
  • 2003年4月(平成15年)長岡天満宮崇敬会 幹事
  • 2003年5月(平成15年)第44回日本人間ドック学会 学会長
  • 2003年7月(平成15年)平安神宮 総代
  • 2003年10月(平成15年)八坂神社崇敬会 顧問
  • 2004年3月(平成16年)日本国際連合協会 理事
  • 2004年4月(平成16年)八坂神社 総代
  • 2004年4月(平成16年)日本病院会 総務委員会 委員長
  • 2004年4月(平成16年)日本病院会 倫理委員会 委員長
  • 2004年4月(平成16年)日本病院会 医療の非営利性についての検討委員会 委員長
  • 2004年6月(平成16年)厚生科学審議会専門委員
  • 2004年8月(平成16年)芝蘭会(京都大学医学部同窓会) 副会長
  • 2004年12月(平成16年)日本病院会 個人情報保護に関する委員会 委員長
  • 2005年1月(平成17年)茶道裏千家淡交会京都支部連合会 会長
  • 2005年1月(平成17年)チャーチル会京都 相談役
  • 2006年4月(平成18年)茶道裏千家淡交会京都南支部 支部長
  • 2006年4月(平成18年)茶道裏千家京都今日会 会長
  • 2006年4月(平成18年)21世紀保健医療フォーラム 顧問
  • 2006年8月(平成18年)日本診療録管理学会 理事
  • 2006年11月(平成18年)京都大学同窓会 副会長
  • 2007年4月(平成19年)日本病院会 顧問
  • 2007年4月(平成19年)株式会社日本病院共済会 取締役
  • 2007年5月(平成19年)日本病院会 名誉会員
  • 2007年10月(平成19年)第33回日本診療録管理学会 学会長
  • 2009年1月(平成21年)茶道裏千家淡交会近畿第一地区 地区長
  • 2009年1月(平成21年)茶道裏千家淡交会近畿第一地区学校茶道連絡協議会 会長
  • 2009年6月(平成21年)京都私立病院協会 顧問
  • 2010年2月(平成22年)京都府就労支援事業者機構 副会長
  • 2010年6月(平成22年)日本人間ドック学会 名誉顧問
  • 2010年6月(平成22年)京都府警察官友の会 会長
  • 2010年12月(平成22年)国際観光医療学会 代議員・理事
  • 2013年2月(平成25年)茶道裏千家 顧問


日本国際連合協会 United Nations Association of JAPAN
設立年 1947年
種類 公益財団法人
地位 公益法人認定法
目的 世界平和人類の福祉向上
本部 東京都千代田区大手町2-6-2
日本ビル427号

会長 千玄室
重要人物 副会長 明石康波多野敬雄
関連組織 国際連合
ウェブサイト http://www.unaj.or.jp/


公益財団法人日本国際連合協会(にほんこくさいれんごうきょうかい、英語: United Nations Association of JAPAN)は、国際連合公用語英語検定試験の実施、国連ジャーナルの発行などを通じて、世界平和人類の福祉向上のために活動している公益法人日本国連協会と略する場合もある。
現在の会長は2002年に就任した千玄室裏千家15代家元)である。以前は外務大臣経験者等、外務省関係者が歴任していたが、小泉純一郎首相川口順子外相(当時)からの要請で就任した。

歴史と仕組み

世界の平和と人類の福祉向上に寄与することを目的として、1947年に設立された。全国各都道府県に支部組織があり、国連のA級諮問民間団体である国連協会世界連盟の有力メンバーである。 なお、1920年に設立された日本国際連盟協会が原型である。

歴代会長
第1代 佐藤尚武
第2代 小坂善太郎
第3代 千玄室






明石 康(あかし やすし、1931年1月19日 - )は、特定非営利活動法人日本紛争予防センター会長、名城大学アジア研究所名誉所長、群馬県立女子大学外国語教育研究所所長、京都文教学園学術顧問、神戸大学特別顧問・特別教授、元国際連合事務次長。
戦国時代キリシタン武将の明石全登の子孫であるといわれている[1]











もう面倒くさいので省略しますが要するに・・・









今上爺は大好きな韓国か北朝鮮で悠々自適の隠居生活を送りなはれ・・・(爆wwwwwwwww


3 件のコメント:

GABRIEL さんのコメント...

今上翁は
厚遇されるか
友愛されるか
どちらかな(笑)

匿名 さんのコメント...

【京都府立医大疑惑】飲食代数百万円提供か 医大幹部に家宅捜索受けた民間病院から - 産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/170217/wst1702170012-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/170217/wst1702170012-n2.html

2017.2.17 04:55更新

 京都府立医大病院(京都市)などが暴力団幹部の病状をめぐり虚偽の回答書や診断書を作成していたとされる事件で、医大の幹部が同病院と協力関係にある民間大手「康生会武田病院」(同)側から長期間にわたり多額の飲食代を提供されていた疑いのあることが16日、捜査関係者への取材で分かった。医大幹部が頻繁に利用した高級飲食店の飲食代を武田側が負担していたとみられ、京都府警は医大幹部と武田側との間で不正なつながりがなかったかどうかを調べている。

飲食代名目で累計数百万円

 武田病院は、指定暴力団山口組系淡海(おうみ)一家(大津市)総長、高山義友希(よしゆき)受刑者(60)の心臓病の病状について虚偽の診断書を作成した疑いがあるとして、府警の家宅捜索を受けた。

 医大病院から医師の派遣を受けるなど、医療対応で協力関係にある民間病院のひとつで、医大病院の吉村了勇(のりお)院長(64)は16日、武田病院が属する「武田病院グループ」の京都駅前武田透析クリニック(京都市)から、高山受刑者の紹介を受けたと説明した。高山受刑者は平成26年7月、医大病院で生体腎移植の手術を受けている。

 捜査関係者によると、この医大幹部は、京都市内の高級飲食店を頻繁に利用。長期間にわたり医大幹部の飲食代名目として、武田側からこの店に定期的に資金が移っていた。


 医大幹部は武田側の上層部と密接な関係にあったとみられ、利益提供の総額は少なくとも数百万円に上るという。

 府警は、利益提供をめぐる背景について詳しく捜査する方針。





治療中断により実質的に殺せと長谷川豊が告発した、医師の忠告を無視していた透析病院の患者ってもしや…なわけないか

匿名 さんのコメント...

診断虚偽と断定できず 医師無罪
03月19日 17時10分

山口組系の暴力団幹部が刑務所に収監されないよう、うその診断をして手助けした罪に問われた医師に対し、京都地方裁判所は「診断の内容が医学的、客観的に虚偽であると断定できない」として無罪を言い渡しました。

京都市下京区にある「武田病院」に勤務していた医師で韓国籍の全栄和(ちょん・よんふぁ)さん(63)は3年前、別の恐喝事件で実刑が確定した山口組系の暴力団幹部について、「持病の症状が重篤化することが予想される」といううその診断結果を検察に提出したとして虚偽診断書作成などの罪に問われました。
裁判で検察が「暴力団幹部が刑務所に収監されないよう手助けするためにうその診断をした」と主張したのに対し、弁護側は「専門医としての知識に基づいた診断で虚偽ではない」と反論して無罪を主張していました。
19日の判決で京都地方裁判所の齋藤正人裁判長は、「収監による過度のストレスで症状が悪化する可能性を考慮したことなどは不合理とはいえず、診断の内容が医学的、客観的に虚偽であるとは断定できない」と述べ、無罪を言い渡しました。

【判決について全医師は】
判決について全医師は、弁護士を通じて、「コメントを出す予定はありません。すでに裁判で述べたとおりです」としています。
これまでの裁判で、「シナリオができあがり、私が築き上げた医師としての権威、信用は失墜しました」などと述べ、捜査への不信感を示していました。

【京都地検は】
無罪の判決を受けて、京都地方検察庁は「判決内容を精査し、上級庁と協議のうえ、適切に対応したい」というコメントを出しました。

【事件の経緯】
山口組系の暴力団幹部高山義友希受刑者(62)の刑務所への収監をめぐるこの事件では、警察は当初、京都府立医科大学付属病院の前院長なども捜査の対象としていました。
おととし2月に強制捜査に乗り出すと、捜査の過程で病院側と暴力団幹部が面会していたことなども発覚し、大学の外部有識者による調査委員会は「社会通念上、許されるものではなかった」などと指摘しました。
前院長らは、書類送検されましたが、検察は「証拠が十分に集まらなかった」として不起訴にしました。
このため法廷で争われたのは、今回の医師に対する裁判だけとなっていました。
kyoto/20190319/2010003155.html

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