「日本人はなぜ英語ができないか」著者の言語社会学者・鈴木孝夫さん死去、94歳
2021/02/11 20:24
「ことばと文化」などを著し、独自の日本語論を展開した、言語社会学者で慶応大名誉教授の鈴木孝夫(すずき・たかお)さんが10日、老衰のため死去した。94歳だった。葬儀は近親者で行う。
東京都出身。慶応大で哲学者の井筒俊彦に学ぶ。卒業後はエール大などで教えた後、慶応大などで教授を務めた。日本文化や社会構造と日本語の強い結びつきを、外国語との比較から論じた著書「ことばと文化」が注目を浴び、ロングセラーとなった。英語教育の改革などを訴える評論家としても活躍した。
他の主な著書に「日本人はなぜ英語ができないか」「日本語と外国語」などがある。物を極力捨てない生活の実践者としても知られ、「しあわせ節電」などの著書も残した
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210211-OYT1T50140/
中国も所詮、大英語共栄圏の中の植民地なんですよ。(爆wwwwwwww
鈴木 孝夫(すずき たかお、1926年〈大正15年〉11月9日 - 2021年〈令和3年〉2月10日)は、日本の言語学者・評論家。慶應義塾大学名誉教授。(財)日本野鳥の会顧問。谷川雁研究会特別顧問。国際文化フォーラム顧問。
東京都生まれ。父親は菫(ただし)、東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)の教諭、書道家だった。孝夫は夫婦の4番目の末っ子として生まれた。父親は芸事で弟子を作らなかったが、その点孝夫はその性質を継いでいる[1]。1944年慶應義塾大学医学部予科に入学。修了後、英語を研究したいという思いを捨てきれず[2]、慶應義塾大学文学部英文学科に編入。半年ばかり肋膜炎に罹患、寝たり起きたりした。1950年、慶應義塾大学文学部英文科を卒業(指導教授は井筒俊彦)。専攻は言語社会学(社会言語学としばしば同一視されるが、社会学の一分野としての意味合いが強い)。
1950年同じ学校の野口玲子(2015年1月30日死去)と結婚。ガリオア奨学金でミシガン大学に留学した。ミシガン大学では、構造言語学を学び、「文字は言語ではない」という考えに反発を覚えた。カナダマギル大学イスラム研究所研究員、イリノイ大学、イェール大学、ケンブリッジ大学(エマヌエル、ダウニング両カレッジ客員フェロー)、オーストラリア国立大学などの客員教授、ロシア科学アカデミー東洋学研究所客員研究員、フランス国立社会科学高等研究院講師などを歴任。1997 年まで杏林大学教授。
英語公用語化論、地球環境論などについても積極的に発言した。英語帝国主義批判の主要な論客としても知られた。
主義・主張
英語論に関する前提
英語に関する主張を展開する前提として、鈴木は「外国と比較する場合でも、英語を母語としない多くのヨーロッパの国の人々が、それでも英語を自由に使いこなすのは、この人たちの言語が殆どの場合、英語の親戚筋にあたる同系同類のものであって、しかも文化や宗教までが、基本的には同一といっても差し支えないほど、互いに似通っているといった事実を考慮しなければ意味がありません。ところが日本語は、英語とはまったく違う系統に属する言語であるばかりでなく、日本人の宗教や世界観、そして風俗習慣をも含む文化までも、欧米人のそれとは非常に異なるものですから、彼らが互いの言語を学ぶ際の苦労と、日本人が彼らの言語に習熟するときに経験する困難は比較にならないのです」と断っている[4]。
日本人の英語に対する憧れに関する指摘
鈴木は日本人の英語に対する強い憧れを世界的に見て特殊であると断じており、はっきりと「特別でもない人が母語以外の言語を日常的に使えるということは、多くの場合その人が経済的、政治的、民族的などの理由で、弱者の立場にあることを意味します」と論じている。[5]。歴史上異民族の侵略を受け、外国からの支配を受けたことで言語上の圧迫を同時に経験し、固有の言語が消滅する危機に瀕した国の場合、支配していた国の言語を恨む場合が少なくないが、日本の場合は他国による言語上の圧迫を受けたことが無く、多言語に対する否定的な感情を持つ土壌がなかった、としている[6]。明治以降になると外国語を美化して日本語を非効率で不完全な言語として否定する意見が見られるようになったことも、日本人が英語に対する過度の憧れを抱くようになった要因として挙げている[7]。
類型付け
学習語学習態度の類型に関しては、日本人のそれを自己改造・社会改革の性格を帯びたもの、アメリカ人のそれを他者攻撃・折伏制御の考えに基づくもの、中国人のそれを自己顕示・自己宣伝という原理に基づくものまとめている[8]。学習言語の性格による分類に関しては、朝鮮語・アラビア語を目的言語、ドイツ語・フランス語を目的言語であり手段言語(アフリカの多くの民族にとっては交流言語)、英語は目的言語、手段言語、交流言語の3つの性格を帯びているものと分類[9]。
他律型文明から自律型文明へ転換した日本について
日本は1960年代以前は外国の優れた文化・文明を学ぶことによって後進国である日本を進歩させるという姿勢で外国語を学んだが、それ以降はその前提条件が崩れたと鈴木は話している。その点、中国はロシア語を学ぶ時に自分の国のことしか教材として扱わないことに鈴木は感心し[10]、日本の英語教育も日本のことについて発信できるように教材には日本のことだけを取り上げるべきだという考えに至った[11]。
大学の英語授業について
同じ学生を複数の先生が教える場合、お互いに何の連絡もない上、学年が代わると今度はまた別の先生によって前年とは全く違うテーマと方針の下で授業が行われる状況を、ほとんど相互の連繋がないと指摘。これを「粒選りのコックが揃っているが、料理のコース全体を見渡して計画を立てるチーフが不在であるレストラン」に喩えている[12]。本気で英語力が付くことを望む者は学校外で可能な限り英語に接していなければならない、言い換えれば教員が英語で講義し、質問し、試験も英語で行う授業を、いくつかの概論や初級の専門コースに含めることで英語を一生懸命やった学生のみが良い成績を取るようにすることが必要であると意見を述べている[13]。一方で、極めてレベルの高い、時には過酷ともいえる修練を学生に積ませるためには、英語は学生全員には強要しない、志の低いものは不要である、といった考えを持っている[14]
英語帝国主義(えいごていこくしゅぎ)は、現代社会における英語の広範な使用が引き起こしているさまざまな問題を、歴史的な観点から捉えた概念である。
英国の英語帝国主義
12世紀ごろからイングランドの歴代王家はブリテン諸島で、初めはアイルランド島の西部で、次に1282年に征服されたウェールズでも、そして最後にスコットランドで、拡大政策を実行していった。これらの征服はいくつもの挫折を経験したが、最終的には1707年にイングランド王国とスコットランド王国の間で結ばれた合同法によってその征服は完了した。そうした中、スコットランドはイングランドという強大な隣人と向かい合って何世紀にもわたって生き延びてきた。一方イングランドでは、主にフランスとの戦争が原因でフランス語の威信は衰退していった。その結果、1362年に英語は議会における唯一の言語であることが宣言された。しかし、実際には徐々に使用されていった。ヘンリー4世(1367年 - 1413年)は、ノルマン・コンクエスト以来初の、英語が母語であるイングランドの君主である。結果として、英語は名声を得ることになる。
征服されたウェールズ・アイルランドといったケルト圏では、行政管理は王の言葉、つまり英語によって行われた。崇高な建物は、王家との関係に影響を受けて英国式になった[1]。しかし、庶民たちは相変わらず自分たちの言語であるウェールズ語、スコットランド・ゲール語、アイルランド語といったケルト語派系のことばを話した。しかし18世紀になると、イングランドからの移民、貿易の発達、義務教育の影響でゲール語の衰退が人々の間で加速していった。都市部は英国風になり、特にイングランド側に面しているところではその傾向が著しかった。英語化のプロセスの結果、ゲール語が使用される範囲は、力学的原理の中心から遠く離れた孤立した地域に限定されるようになっていった。地方からの移民、特にスコットランドやウェールズからの移民は、イングランドの工業化に大きく貢献した。また、アイルランドでは、ジャガイモ飢饉(1846年 - 1848年)の主な犠牲者は、島西部にいるゲール語を話す貧困者層であった。何百万人ものアイルランド人が死に、160万人の移住者が英語圏にどうにか逃げ込み[要出典]、ゲール語の衰退が急速に進んだ。1921年のアイルランド共和国の独立宣言の時点で、たった2%のアイルランド人がどうにかアイルランド語を使っていた[2]。その割合は、スコットランドのゲール語とほぼ同じである。今日、ゲール語の話者規模は、幸い20世紀初頭の規模をかろうじて維持できている状態である[3]。その一方で、ブリテン諸島にいるケルト人はほぼ全員が英語を話している[4]。
以上より、ケルト語派の弱体化に寄与している要因をまとめると、
- イングランドによるケルト圏の征服
- 官僚制度・教育・軍事といった分野において唯一の行政言語としての英語の押し付け
- 最初はイングランドによる、そしてその後は英国による英語で管理される大英帝国
- 経済活動・産業活動が主要な英語国の権力
- それに対立するケルト人は地方で貧困になる。
- 上述したような要素すべてを助長する文学や新聞などを通した英語の文化的名声
英国は産業革命を経て、世界の制海権を獲得する。七大陸にまたがる「太陽の沈まない国」ことイギリス帝国(大英帝国)を形成するに至り、英国は間接統治で植民地経営をするため現地の上流階級に英語でエリート教育を施した。その結果、英国の植民地が独立すると、そのエリートの末裔である少数特権階級のグループは、自らの権益を守るため英語絶対優位の社会を築くようになり、ESL国家が出現することになる。
ブリティッシュ・カウンシルによる「英語教育推進運動」(Phillipson 1992:137-52) で、世界の英語教育の欧州型(モノリンガル型)教育モデルが確立し、英文教科書・教員育成・指導理論および方法(応用言語学)が非西洋地域にまったく適さないにもかかわらず、近代化・民主化を合言葉に英語は西洋型教育によって推し進められた。
結果
近年、英語以外の国語と地域語の権利を無視して「英語オンリー」の方へ無理に持っていこうとする勢力に対する非難の声が[5]、以前よりは聞かれるようになった。しかし、英語は「最も役に立つ」言語だと答える欧州連合の市民は 69% もいて[6] (Phillipson 2003: 136)、公式多言語使用[7]が特に奨励されていると推定される欧州連合でも、実は口先だけの理想論に留まっている現状が垣間見られる。
国際社会のほとんどすべての分野(政治・学問・商業・財政・航空[8]、そして軍事でさえ)で「英語支配」は着実に進行し、完全に多言語使用をユートピアの類へ追いやって、もはや後戻りができない事態に陥っているといえる。そこまで言わないにしても、少なくとも感じられることは、知的好奇心や必要に駆られて英語から多くを学ぼうとする人は幾多といる。
日本における議論
19世紀後半に、「欧米=近代」史観から単純化して言われてきた「開国」現象の中で経済圏の拡張に踏み切った日本は、「国語」問題に直面した。後の初代文部大臣になる森有礼は、1873年に米国で出版した著書 Education in Japan [9] の中で、単純化した英語を国語として採用する「国語英語化論」を主張した。森の主張は、馬場辰猪や米国の言語学者ウィリアム・ドワイト・ホイットニーのような反対論[10]も含めて、様々な反応を巻き起こした [11]。
現代では、国際理解教育 [12]の一環で、総合的な学習の時間 [13]が設けられていて、「国際的」な対話には英語が必須だなどということで、日本では小学校から英語を義務付けられる(学習指導要領改訂版)[14]。また、外国語青年招致事業(JETプログラム)を通して国際交流の活動も採り入れられている[15]。
また、社会経済上の要請もあって、実用的な語学が求められるようになり、いわゆる「英会話」を主流とした対話能力の育成が期待されていることもある。例えば小渕内閣は2000年に「英語の第二公用語化」を提言し、小泉内閣下の文部科学省は2003年に「英語が使える日本人」の育成のための行動計画の策定について』を発表した。
- 大学における教育内容等の改革状況について 1.カリキュラム改革の実施状況-文部科学省
- 高等学校における外国語教育多様化推進地域事業
中国・香港
この節の加筆が望まれています。中国では2001年の9月から英語の義務教育化が11歳から9歳に引き下げられた。民間の英語教育産業の興隆も目覚しい。大学へ入るときに英語はかなりのウェートを占めている。
中国の小学校から高校までの基礎教育の段階で、特に中学校の段階では必修科目としての外国語は90%以上が英語になっている。1980年代後半から1990年代前半の期間、各段階別に外国語必修科目課程である英語が目標水準に達しているかを評価するため全日制の一般の大学で初めて英語の習熟度テストの実施が開始された。
1960年代半ばは、ソビエト連邦とのかなり親密な関係の影響で、主な第一外国語はロシア語になったが、1960年中頃以降、特に1978年と1983年に、英語(外国語)が大学入試に他の科目と同等に取り入れられた。これに伴って、中国の中等教育、特に中学校の外国語教育で英語が必修になって、高校の場合は90%以上が英語を必修科目に取り入れた。一般的に全日制の大学では、英語が必修科目になっている一方で、他の外国語の授業は選択枠になっている。
大学入試のおかげで英語の地位がかなり高くなっており、英語を過剰に教育し大多数の国民の本来の母語である筈の中国語の能力を軽視しているなどといった批判が近年高まりを見せている。多くの学生が英語の学習に時間を取られ、それが専攻分野の学習に悪影響を及ぼすし、中国文化離れを促進する、といったものだ。しかしその一方で、英語は「普遍言語」という地位にあるので、グローバル化が進む中で英語に秀でた人材の不足は悪い影響をもたらすといった立場もある[要出典]。
事実、香港の政界や経済界では英語能力の優劣が香港の国際的地位に多大な影響を及ぼすといった危機感が渦巻いている。英語教育は6歳から義務化されている。en:Hong Kong Englishも参照。 [16]
- (英語)Current Issues in Language Planning Vol 8:2, 2007 pp 148-160
- (英語)JSTOR: TESOL Quarterly, Vol. 35, No. 1 (Spring, 2001), pp. 194-198
- (英語)Ministry of Education The People's Republic of China
- (英語)English Language Education in China: Policies, Progress, and Problems
台湾
この節の加筆が望まれています。台湾では英語教育の義務化の対象が9歳から7歳(または、8歳から6歳)に引き下げられた。[16]
- (英語)Exhibition of International Volunteer Services Provided In 2006 by Taiwan College Students
- (英語)Challenge 2008: National Development Plan
- Higher Education
- (繁体中国語)技術學院應用外語系的定位與發展
- (繁体中国語) 今日文藻
韓国
この節の加筆が望まれています。韓国では最近13歳から9歳にまで英語の義務教育の対象が下げられた。多くの資金が英語教育に投じられている。英語の早期教育がナショナル・アイデンティティの衰退につながるのではないかといった危惧が韓国国内にはある。コングリッシュも参照。 [16]
現象の反面
ロマンス諸語(特にラテン語と古フランス語)とドイツ語それから北ゲルマン語群(スウェーデン語やデンマーク語などの古ノルド語の従姉妹のゲルマン語派)を組み合わせた起源を持っている英語は、「ヨーロッパの自然言語の寄せ集め」であると考える人もいる[要出典]。よりまじめな話では、英語を現在の地位への最有力候補にしたのは、英語圏の経済力とそれに伴って英語を使用する話者の数であるとする考えだ。
英語帝国主義論
言語帝国主義論の特に長所と短所についての論争に相当大きな影響を与えたデンマークの en:Robert Phillipson [17] の Linguistic Imperialism (1992) の出版以来、言語帝国主義論は応用英語学を専門にする学者の間で多くの注目を集めてきた[18]。また、言語帝国主義は、メディア・教育・学問などといった分野を包括する文化帝国主義の文脈で語られることもある。
Phillipson (1992:78-108)は、自身の言語帝国主義論に関する先行研究として、
- 言語拡大 (e.g., Ansre 1975, Cooper 1982, Kachru 1986)
- 言語社会学[19] (e.g., Fishman 1972, 1977)
- 言語計画 (e.g., Neustupny 1983, Pattanayak 1986, Cooper 1988)
- 語学教授法 (e.g., Lightbrown 1987, Spolsky 1989)
- 言語権 (e.g., 世界人権宣言、国際人権規約、ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章、en:Universal Declaration of Linguistic Rights)
- Wardhaugh (1987) と Calvet (1987) のアプローチ[20]
を挙げている。
Phillipsonの英語帝国主義論
言語帝国主義を定義することは、常に困難を伴う。なぜなら、それを定義することは、その人個人の政治的信条や、増大する西側諸国の英語圏の政治的・経済的・軍事的権力との関係に大抵依拠することになるからだ。例えば、en:Gerald Knowles はブリタニカ百科事典の “English language imperialism” の項目で英語帝国主義を以下のように定義している。
- 「言語帝国主義は、ある支配的な言語への乗り換えで必ず他者を巻き込む。基本的にその支配言語への乗り換えは、伝統的に軍事力だけでなく、現代世界においては経済力といった権力の表出であって、支配的文化の面々はたいていその支配言語とともに乗り換えられる。」[21]
一方、Phillipson (1992) は言語帝国主義を以下のように定義する。
Phillipson (ibid) の持論は、国際語としての英語の歴史的拡大に対する強烈な批判と、いかにしてその歴史的拡大が特にインド・パキスタン・ウガンダ・ジンバブエなどのようなポストコロニアル的な文脈だけでなく、大陸ヨーロッパのような新植民地主義的な文脈で現在の「英語支配」が維持し続けられているかを提示している。こうした Phillipson (ibid) の持論は、主に Galtung (1980) の「帝国主義論」や Gramsci (1971) の「社会理論」、特に文化ヘゲモニーの概念に依拠している (Joseph 2006: 52)。
Phillipson (1992)の持論の中心テーマの一つは、今日の世界において、英語が優位を保ち続ける一連の複雑な覇権のプロセスである。Phillipson (ibid: 173-222) は、ブリティッシュ・カウンシル [22] が英語を奨励するために使ったレトリックを分析し、そのレトリックの根底にある主要な応用英語学や英語教授法の言説を論じている。それらは、
- 英語は英語で教えるのが一番良い(単一言語使用虚偽)
- 理想的な英語の教師は英語母語話者だ(母語話者虚偽)
- 英語は早期に学べば学ぶほどより良い結果が得られる(早期教育虚偽)
- 英語を使って学べば学ぶほどより良い結果が得られる(極大受容虚偽)
- 英語以外の言語を使うごとに、その分英語の能力が落ちる(控除虚偽)
Phillipson (1992:271-99)によれば、英語を奨励するブリティッシュ・カウンシル・国際通貨基金・世界銀行といった組織機関の人たちや、英会話学校を経営する個々人は、以下に挙げるような立論タイプを使うという。
- 英語本源論:言語は神から与えられたもので、貴重で高貴で興味深いものだ。通例、これらの主張は英語がそのような特質を持っていて、その他の言語はそうでないと強調する。
- 英語付帯論:英語はしっかりとした基盤を持っている。熟練した教師や多くの教材がある。また、知識や術語といった豊富な無形資源がある。
- 英語機能論:世界への架け橋としての英語の有効性を強調する。
そのほかの英語に関する主張は、
Phillipson (ibid: 109-136) は、英語が母語でない国ではたいてい英語がエリートの言語になっていると報告している。国際連合・世界銀行・欧州中央銀行などといった有能で影響力のある国際機関では、英語で発言できることが管理職に就くための必須条件になっている。そのために、英語圏の出身者が決定事項を思い通りに動かすことができ、英語が持つ民主主義的イメージとの明らかな矛盾が生まれることになる[24]。
批評・批判
熱烈とは言えないが、多くの学者が Phillipson (1992) の主張についての活発な論議に参加してきた。例えば、ウェールズの en:Alan Davies (disambiguation) (1996) は、Phillipson の亡霊がエディンバラ大学の応用言語学部 [25] によく出没するのを心に描いている[26]。
- 「常習犯たち<Phillipsonとその一味>を一斉検挙しろ。」この間ずっと、ただ単に応用言語学を教える振りをしていた人たちだけでなく世界を接収しようとブリティッシュ・カウンシルとともに真剣に企んでいた人たち<Phillipsonとその一味>も追い出そうと、彼は叫ぶ (ibid: 485)。[27]
Davies (ibid: 485) によれば、言語帝国主義には二つの文化が宿っていて、「一つは、自責心の文化(「植民地は二度と生じさせるべきではない」)である。もう一つは、空想的な絶望の文化(「我々がしようとしていることを我々はしていくべきではない」)である。」また、ブラジルの pt:Kanavilli Rajagopalan (1999) は、より一歩進めて Calvet (2006)・言語権研究会 (1999: 95-128)・Phillipson (1992)などが、外国語としての英語を教えている教師たちの間に罪悪感をもたらしたと主張する。
Davies (1996) は、Phillipson (1992) の主張も虚偽ではないと論証する。「もし被支配者が英語を採用し、英語を保有し続けたらどうなるだろう。Phillipson (ibid: 8) の立証できない解答は、彼らは彼らのより良い利益に対して説得せず、説得できず、説得させられるに違いない (Davies 1996: 488)。」それゆえに、発展途上国が自立的な決定、つまり英語教育を採用するか否かを自立的に決定する余地があると見なせない点で、Phillipson (1992) の持論は恩着せがましいと議論されてきた。
en:Joseph Bisong (1995) はナイジェリアの文脈において、いわゆる周辺に置かれている人々は実用的に英語を使っていると考えている。彼らは子供たちを英語が使われている学校に行かせる。理由は当然子供たちを多言語使用話者に育てたいからだ。Bisong (ibid) は Phillipson (1992: 127) の持論に関して、予想していた命題に無理やりふさわしくするために社会言語学的な証拠を歪曲しようとしたもので、中心にいる人々からにじみ出てくる言語帝国主義の犠牲者への解釈だと主張する (Bisong 1995: 125)。そして、もし英語は異質なので根絶すべきであるとするのならば、ナイジェリアそのものも植民地主義的な構造と考えられるので解体されるべきであろう、と Bisong (ibid) は主張する。
さらに、英語そのものが帝国主義的と仮定することも批判を受け続けてきた。オーストリアの en:Henry Widdowson [28] (1998a) は、「英語が独りでに覇権的制御を行使するという考えには根本的な矛盾がある。すなわち、もしそれが本当であるならば、そのような統制力に二度と立ち向かうことができなくなってしまうはずだ (ibid: 398) 」と主張した。
さらに、英語の奨励が地域言語の衰退を必然的に示唆するという考えに対しても、その正当性が疑われてきた。アイルランドの en:Marnie Holborow [29] (1993: 359) は、「中心にある全ての英語の変種が支配的ではわけではないし、周辺にいる全ての英語話者も等しく差別されているわけではない」と指摘する[30]。例えば、アイルランド英語は、被支配的な英語の中心変種と見なされるのだろう。
また、英語学者は、英語の覇権が政治的陰謀の結果であるという Phillipson (2007) の考えに異議を唱える (Crystal 2003: 23-4)。英語学や言語学の権威と言われるウェールズの en:David Crystal [31] (ibid: xiii) は、英語が国際コミュニケーションの言語でなければならないと考える一方で、一種の多言語使用を保つべきだとも考えている。英語圏出身者は、現在の英語の覇権の維持に賛成する。英語の歴史の普及に異議を唱えようとする過激派の態度を言語帝国主義の概念と結びつけることによって、彼ら自身を正当化しようとする[要出典]。それとは対照的に、穏健派は普通、英語帝国主義論に反論する自由主義者であって、Crystal や Widdowson はこの部類に入るだろう (ibid: 24)。
以上、結論として、Phillipson に続く人たちはその言語選択を外部から押し付けられたのだと見る一方で、それに対抗する陣営 (e.g. Davies 1997: 248) はその言語選択を個々人によってなされた決定だと見ているといえる[32]。
批判に対する反論
言語帝国主義論を支持する主張を擁護する人たちは、言語帝国主義論への反対論はしばしば、現在の英語の地位を賛美に値する事実だと見るモノリンガルの英語母語話者によって唱道させられていると主張する[要出典]。
国際連合や世界保健機関の元通訳で心理言語学者でもあるスイスに身を置いていた Claude Piron (1994) は、本当に英語を駆使するためには、10,000時間の訓練、つまり、6年間に匹敵する作業を要求すると示すことで、Phillipson の報告をいっそう効果的にしている。以上のように、欧州連合当局の事実上唯一の公用語である英語の使用は[33]、欧州連合の大多数の非英語話者住民を第二身分の市民 [34] に変えるだけでなく、ヨーロッパとより大きな越境を率いる英語話者階級の資質の愚鈍さも促進することになるだろう[35]。
それとは対照的に、地域言語の地位を置き去りにして、世界で英語の増大拡大を潜在的に文化的な価値観を徐々に衰退させ破壊させる厄介な事態だと見る人たちは、Phillipson の見解に対して格段の受容力があるといえる。
しかし、一般に言語帝国主義論を批判する人々は、非現実的な願いを明確に述べるのを止めて、たとえ彼ら自身が一つの外国語しか話せなくても、より多く外国語の学習を頻繁に促すことにしている。オーストラリアの en:Alastair Pennycook [36] (1995, 1998, 2001)・スリランカの en:Suresh Canagarajah [37] (1999)・英国の en:Adrian Holliday [38] (2005)・en:Julian Edge [39] (2006) らは、「批判的な言語学者」のグループを形成していると考えられることが多い。また、Widdowson (1998b) らの批判的言説分析についての所見も、 Phillipson (1992:321)の言語帝国主義論や批判的応用言語学といったものに当てはまるかもしれない。
- 間違いなく、彼らが支持する論点の妥当性を拒否することなしには、議論は乱雑で、分析には欠点があると言うことが可能であるはずだ。私の見解は、もし問題が正しいとすれば、次に我々は一貫性のある議論によってそれを支える方法を見つけるべきだ・・・そして、それとは別のやり方ですることは、はっきり言って、その論点に対してひどい仕打ちをすることだと私は主張する。都合のよい分析によってイデオロギーの摘発の手順のために・・・もちろん、右翼も左翼もより深いいかなる論点へも取りかかることができる・・・もしあなたが信念と責任を持っていれば、あなたはいつもあなたの魔女を見つけることになるだろう。(Widdowson 1998b: 150)
充当理論
言語帝国主義論を拒絶する人の中には、英語の世界的な拡大の現象は、世界各地でローカルな目的で英語が使われるという充当の枠組みを示すことでより良く理解できるようになると主張する人もいる[40]。上述で引用したナイジェリアの例 (Bisong 1995) に加えて、以下のような例が挙げられる。
- 非英語圏のデモ参加者は、よく世界中のテレビ視聴者へ向けて彼らの要求を伝えるために英語で書かれた標識を使う。時にその人たちは、自分たちが掲げている標識に書かれていることを理解していないことさえありうる。
- Bobda (1997) は、いかにカメルーンが単一文化的・アングロ・サクソン中心的な英語教育の方法から考えを変えてきたか、そして徐々に教材をカメルーンの状況に充当していったかを教えてくれる。取り扱われている非西洋的なトピックの例を挙げれば、アミールの掟、伝統薬や一夫多妻制などがある (ibid: 225)。 Bobda (ibid: 234) は二文化教育に賛成論を唱える。つまり、彼はカメルーンと英米の両方の文化を提示したいのである。
- Kramsch & Sullivan (1996) は、いかに西洋式の教育方法論と教科書がヴェトナムの土地文化に合うように充当していったかを述べている。
- パキスタンの教科書 Primary Stage English は、西洋人の耳にはかなり対外強硬主義的と響きそうな Pakistan My Country・Our Flag・Our Great Leader (Malik 1993: 5, 6, 7) のような学課を含んでいる。しかしながら、土着の文化内で英語教育、愛国心とムスリムの信条との関係を打ち立てることは、英語教育の目的の一つと見て取れる。なぜなら、en:Punjab Textbook Board (PTBB) の議長は、「PTBB はこれらの教科書を通じて生徒にイスラーム的な価値観への愛着や、生徒の祖国のイデオロギーの前線を守るための自覚を植え付けられるように注意している」(Punjab Text Book Board 1997) と率直に述べている[41]。
以上のような英語の国際化も、英語の母語話者に新しい可能性をもたらすかもしれない。McCabe は以下のような文章を練り上げた。
- ・・・二つの世紀にわたって、我々が、新規の市場・・・の熱烈な追跡の中で我らの言語と我らの慣習を輸出してきたという事実から見れば、我々は今、我らの言語と慣習は我々の元に戻されたのだが、他者 [42] が使えるそれらは変わってしまったので・・・だから、我らの言語と文化は新しい可能性、新たな矛盾を発見するのだと分かる (1985: 45)。
英語帝国主義論への問い
Phillipson (2006: 359) は、以下のような問いを投げかけてくれる。
- 英語化[43]は、グローバリゼーションとアメリカニゼーションから自立しているように見えるか。それを評価するために世界英語[44]に関する文献をひねって考えてもよい。
- 流暢な英語使用者に特権を与えることを避ける国際コミュニケーションで不平等を打ち消せる方法があるか。
- 多言語使用者が成功するのに対して、単一言語使用話者が将来失敗するかもしれないならば、均衡した言語能力[45]を目指すことは、有効で現実的な教育的で社会的な目標であるか。
- ヨーロッパで生じている状況が、例えばアメリカ大陸・アフリカ・アジアのような他の文脈で経験されるかどうか考えなさい。
- 全ての言語がまさにそうであるように、グローバリゼーションが本質的に良くもなく凶悪でもないならば、バランスのよい言語の生態系 [46]を維持するために採用されなければいけない言語政策とは何か。
- 英語が現在のグローバリゼーションの段階で演ずる役割を表すのための「言語帝国主義」より好い用語が思いつくか。
Ferguson (2006:202-3) は、以下のような問いを投げかけてくれる。
- 以下の点を熟慮した上で、あなたが特によく知っている国の中で、英語の役割を考慮したい国を特定しなさい。
- 上の質問で特定した国を事例にあなたの意見に照らしながら、以下についてコメントしなさい。
- 「現在、いかなる国民国家でも、国際語としての英語をその国の言語政策の中で考慮しなければならない (Spolsky 2004: 91)。」それでは、どの程度国民国家のレベルで言語計画・言語政策は英語の拡大を制御、もしくは逆らえるのか。民主主義国家の国立学校で英語教育を止めることが政治的に可能であると思うか。
- 発展途上国において、英国や米国の政府機関または非政府組織 (NGO) が英語教育を好意で援助する正当な理由が果たしてあるだろうか。もしそのような理由が存在すると感じるならば、それらは何か。そして、もしあるとすれば、そのような援助供給のために、どのような政治判断の基準を設けなければならないか。
13 件のコメント:
でも世界中から頼られる中国さんは悪の枢軸やらされるより良い役
日本
英語の義務教育を
小学生から始めていれば
義務教育化戦前からならば
GOD派人脈の構築
出来てかもしれないし
重大な決断や選択も
変わってたかもしれない
>2021年2月11日 23:25
それすると今ごろ下手したらイスラムのモスクだらけになってた
外国人に寛容になる=死 の国だから
まわりは政情と経済が不安定な人口多い国ばかり
世界に興味があるか?貧しい地域、戦火にさらされている地域の子供を救うことに関心はあるか?と言われたら「無い」と即答しないことが罪
興味が無いのに興味があると言う事が歪みの根源
講談社学術文庫ということで
あちこちの国語入試問題でも採用されてきましたが
教条的過ぎてアカン。
コトバを、言語学という崇高っぽいものに押し込めた、罪。
異言語に慣れ親しもうとする際の、敷居を勝手に上げましたよね。
自分の権威付けをしたいだけ、、という本性が、学者のなかに少なからず潜んでいることに、
もっと多くの人々が気づくべし。
> 2021年2月12日 1:02
その可能性は高かったでしょね
日本はVOCとのコネばかりだし
大東亜共栄圏構想の選択肢なら
でも上書きされた歴史鵜呑みで
掌で踊る国民ばっかにはならず
せめて戦後に義務教育化をしたら
選択肢はより多くなっていたでしょ
個人の仕事や人生の選択肢のみならず
国の政治の内外への選択肢も少なからず
too lateな話でしたwww
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%B0%8F-%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%A7%E6%AD%BB%E5%8E%BB-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%B7%A8%E5%8C%A0/ar-BB1dC4NI?ocid=msedgdhp
チック・コリア氏、がんで死去 ジャズ界の巨匠
【AFP=時事】(更新)米国のジャズ作曲家で、エレクトリックキーボード奏者の草分けであるチック・コリア(Chick Corea)氏が今月9日にがんで死去していたことが、フェイスブック(Facebook)の公式ページで発表された。79歳だった。
公式ページの発表によると、コリア氏はまれな種類のがんを患っていたことがごく最近になって発覚していた。発表文では、コリア氏が生前に残したメッセージも掲載された。
同氏は「私と旅を共にし、音楽の火を明るくともし続けることに協力してくれたすべての人に感謝したい。私の願いは、演奏や制作、パフォーマンスなどをしたいという気持ちがある人には、それをしてほしいということ。自分のためでなくとも、ほかの人々のために。世界にはもっとアーティストが必要だというだけでなく、単に本当に楽しいものなのだから」とつづっている。
「スペイン(Spain)」や「500マイルズ・ハイ(500 Miles High)」、「ラ・フィエスタ(La Fiesta)」といったジャズの名曲を世に送り出したコリア氏は、ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)氏やキース・ジャレット(Keith Jarrett)氏と並んで20世紀を代表するピアニストの一人となった。米グラミー賞(Grammy Awards)受賞歴は計23回に上る。
だっておwwwww
英語初め他言語達者な日本人より
日本語上手な外国人の方が
優しいです!
体感的にそう思います!えへっ
>2021年2月12日 9:12
すごい名前だと思った
言葉は経済と権力に従う
英語圏が経済の実権を握れば英語優勢になる
同じ儒教圏でも、中国朝鮮日本では
左脳右脳の機能が違い(純粋?日本人の場合と比較して)母語が違う
英語を身につけたとしても思考回路が違うから
母国の痕跡を捨てきれない
英語のできる日本人が冷たく感じられ
日本語を使用する外国人がやさしく見えるのは
英語は明確な意識で自己の要求をまず求める(構造)から
日本語は相手の意向を取りこみながら婉曲に語るから
聞くほうも最初は緊張しない。やさしく聞こえる……が中身はどうでしょうか?
そこで
何言ってるのかはっきりしない日本人という評価になる。
とはいえ
大江健三郎あたりからごつごつした翻訳日本語で小説が作られるようになり
村上春樹は今の若者にピッタリ合わせてる。(若者が合わせてるということもある)
日常描写は日本(ビックリするほどダサイ!)できれいどころは欧米の文化をちりばめる
(これも欧米の伝統文化ー音楽文学学術他ーが日本へ移植された受容過程をなぞっている
日本文化を抹殺したい連中は喜んでいるでしょう)
日本語使っても日本の個性はあるのか?まァ 日本文化ってなあに?ですが。
日本語にガンコにしがみついている日本人は徐々に美しき少数民族になるでしょう
https://dustyoldthing.com › fascinati...
The Fascinating History of the Silver Spoon | Dusty Old Thing
Place settings weren't popularized until the 1700s when the money coming in from the colonies increased the standard of living for merchants merchants and other classes. Via/ Wellcome Collection. Cotton, coffee, sugar ...
好奇心を言語の違いによって極端に制約されるのは、長いようで短いかもしれない人生にとって、もったいない
批判されることも承知で言っちゃうが、英語だけに限らず、自分の母国語とは異なる言語で表現される世界も、単純におもしろく、いろいろな角度からのデキゴトの見方が豊富で、それだけが正しいということでもなく、錯覚や先入観や誤解によって、現実の色彩がいかようにも変容して、不思議だわ
日本における英語 - Wikipedia
一方、海軍兵学校においては、井上成美校長の信念で英語教育は継続されていたという。また、諜報員養成を行っていた陸軍中野学校でもその目的上、英語をはじめ敵国語の学習・使用はむしろ推奨され ...
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