2018年6月12日火曜日

トランプ大統領と将軍様 「牛肉と豚肉とタラとタコとチョコレートとハーゲンダッツ」を食らう





http://www.dailymail.co.uk/news/article-5833369/Cheese-Hennesey-obsessed-Kim-gets-served-prawns-stuffed-cucumber-Haagen-Dazs.html


日本赤軍とパヨク左派他サマナの皆さま全員なみだ目!(爆wwwwwwwww




【午前詳報】昼食会にハーゲンダッツ 米朝首脳会談
2018年6月12日13時08分

トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長は12日、シンガポールで初めて対面しました。史上初となる米朝首脳会談の模様をタイムラインで追います。米国や朝鮮半島に詳しい記者の解説もお届けします。

(表記は日本時間)
星条旗と北朝鮮旗が交錯 米記者は困惑「殺人的独裁者と…」(解説)

12日の米朝首脳会談で、トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が歩み寄って歴史的な握手を交わした背後には、米国の星条旗と北朝鮮の国旗が交互に何本も並んでいた。この光景を目の当たりにした米国の記者たちは、ツイッターで複雑な気持ちを吐露した。

CBSのホワイトハウス担当記者のマーク・ノラーさんは、両国の国旗が並ぶ写真とともに、「米朝両国の国旗がこんな風に並ぶ光景を見たことはなかった」とツイート。MSNBCのプロデューサーのカイル・グリフィンさんも「米国旗と北朝鮮の国旗が隣同士に並ぶとは、すごい光景だ」とツイートした。

CNBCのホワイトハウス担当記者クリスティーナ・ウィルキーさんは「米国と北朝鮮の国旗が並べられていること自体、金(正恩氏)にとっては驚くべきプロパガンダの勝利だ」と指摘した。

また、NBCの人気テレビ番組のプロデューサー、アンディ・ラスナーさんは「なんであれ(米朝首脳会談で)歴史が作られた。我々の国旗が北朝鮮の国旗と絡み合う前で、合衆国大統領が、自分の親族まで殺した殺人的独裁者と握手をしたのだから」と皮肉った。

(ワシントン=宮地ゆう)
拡大会合終了、昼食会へ(12:35)

トランプ氏、金正恩氏らが、高官を交えた拡大会合が行われていた部屋から廊下に出た。会合が終わり、昼食会に向かった模様だ。

米ホワイトハウスが発表した昼食のメニューは以下の通り。世界各地の料理が選ばれたようだ。



【前菜】

伝統的なエビとアボカドのカクテルサラダ

「グリーンマンゴーケラブ」(東南アジア料理)のはちみつライムドレッシングがけ、生ダコと共に

「オイソン」(朝鮮半島料理のキュウリのキムチ)

【メイン】

ビーフショートリブのコンフィ、ジャガイモのグラタン、蒸しブロッコリー、赤ワインソースを添えて

クリスピーポークの甘酢かけ、家庭風XOチリソースをかけた揚州チャーハン

「テグジョリム」(朝鮮半島料理の大根、野菜、タラのしょうゆ煮)

【デザート】

ダークチョコレートタルトガナッシュ

ハーゲンダッツアイスクリーム

トロペジェンヌ(フランスの伝統菓子)

正恩氏、笑顔と緊張 「最高指導者の威厳」演出(解説)

(牧野愛博・ソウル支局長)

トランプ氏と初めて会った際、笑顔と緊張が入り交じった表情を見せた正恩氏。北朝鮮にとって会談の最大の目的は、「最高指導者の偶像化作業」(元労働党幹部)です。トランプ氏に位負けしないように、対等な立場の演出に努めました。握手も、お互いが自然に手を差し出す格好を取りました。

朝鮮中央通信は11日、米朝首脳会談について、「全世界の大きな関心と期待の中で史上、初めて行われる」と説明しました。会談を最大限に政治利用したい思惑が見えます。

正恩氏が首脳外交に乗り出したのは、2011年12月の権力継承から6年以上経った今年3月からです。北朝鮮メディアは、中韓とのそれぞれ2回の首脳会談を大々的に報じ、正恩氏の業績を強調。米朝首脳会談も、正恩氏は自らの最高指導者としての威厳を保つ工夫に努めたといえます。

一方で正恩氏は、緊張した表情ものぞかせました。米国は北朝鮮の安全保障を脅かす最大の存在です。トランプ氏が会談を「この1回限りの機会」と表現したことも、重圧になっていたようです。

外交協議で北朝鮮は、事前に周到に準備した発言のみ行うのが常です。最高指導者だけは自分の考えで語ることが許されてきましたが、12日の冒頭の発言は、事前に準備していた言葉をそのまま使ったとみられます。

韓国の新聞、連日「米朝」一色(解説)

(朝鮮半島に詳しい桜井泉記者)

韓国の新聞は連日、数ページにわたって米朝首脳会談の記事を掲載しています。また地上波3局なども朝から「世紀の談判」などと題して特別放送をくみ、米朝首脳会談一色です。

シンガポールからの中継では、「昼食会では何を食べるのでしょうか」「まさかハンバーガーは食べないでしょう」などと冗談を交え、結果が出てくるまで番組をつないでいました。

人々の関心は高まっています。

ソウル市内の45歳の主婦は、「きょう、どんな結果がでるか、期待している」と朝から興奮した様子でした。また47歳の女性会社員は「統一となれば費用がたくさんかかり、韓国の負担になるけれど、未来の世代のためにいつかしなければならないことです」と話していました。

トランプ氏、過去の大統領との違いを強調(解説)

(元ワシントン特派員の佐藤武嗣編集委員)

トランプ氏は、ポンペオ国務長官らも交えた金正恩氏との拡大会合の冒頭で、「以前には解決できなかった問題を解決しよう」と強調しました。

トランプ氏は一昨年の大統領選から、貿易交渉や外交について、歴代の大統領の対応をことあるごとに批判。今回の米朝会談に踏み切ったのも、過去の大統領が実現できなかったことを自らが実行したと、アピールできると踏んだとみられます。

拡大会合の冒頭発言には、トランプ氏の会談にかける思いと意欲がにじんでいます。
安倍首相「北朝鮮、正しく歩めば明るい未来」(11:38)

安倍晋三首相は、訪日中のマハティール・マレーシア首相との共同記者発表で、北朝鮮について以下のように触れた。

「シンガポールではまさにいま歴史的な米朝首脳会談が行われています。この会議が成功し、核・ミサイル、そして最も重要な拉致問題の解決に向けた前進をもたらすことを期待しています。北朝鮮には豊富な資源と勤勉な労働力があり、正しい道を歩めば北朝鮮は明るい未来を描くことができます」

金正恩氏と親交がある米プロバスケットボールリーグの元スター選手デニス・ロッドマン氏は12日、CNNのインタビューで、米朝会談の実現に感極まって号泣した。

困惑した様子のキャスターに「なぜここまで北朝鮮に入れ込むのか」と聞かれると、ロッドマン氏は「最初は北朝鮮のこともよく知らず、純粋にバスケットボールのためだった。いまも政治のことはよくわからない。でも、北朝鮮が我々と共存できるようにと願っている」「金正恩は大きな子どもだ。でも、バカな男ではない。米国にも来たがっていて、いい人生を送りたがっている」などと語った。

CNNのキャスターは「ロッドマンが北朝鮮の情報源になるとは、なんとおかしな世界なのか」と漏らした。

(ワシントン=宮地ゆう)

正恩氏「トランプ大統領と共にやりとげる」(10:51)

拡大会合の冒頭の主なやりとりは以下の通り。

【トランプ氏】

委員長、お会いできて大変光栄です。私たちは共にすばらしい成功を収めることになるでしょう。私たちが解決しようとしているのは大きな問題です。現時点まで解決されることのなかった大きなジレンマです。共に取り組むことで私たちはきっとこの問題を解決することでしょう。実に光栄です。どうもありがとうございます。

【金正恩氏】

私たちは私たちの肩に重くのしかかっていた過去を払拭(ふっしょく)し、この歴史的な会談に対するあらゆる種類の疑念や臆測を乗り越えてきました。これからも挑戦すべき課題はあるでしょうが、トランプ大統領と共にやりとげることができると信じています。

【トランプ氏】

私たちが解決するのです。皆さんと共に課題に取り組むことを楽しみにしています。きっと成し遂げられるでしょう。ありがとうございます。(報道陣に向かって)皆さん、どうもありがとうございます。
トランプ氏と金正恩氏、一対一の会談を終了(10:51)

トランプ氏と金正恩氏がホテルの廊下に姿を現し、並んで歩いた。通訳を介した一対一の会談を終えて場所を移し、双方の高官を交えた会合を始めた。

世界各地から取材陣、朝食は5口で(解説)

(シンガポールで取材中の野上英文記者)

赤道直下のシンガポール。12日の気温は、午前10時半(現地の同9時半)時点で29度あります。この日は曇り空で日差しは厳しくないものの、取材現場には報道陣が集まり、額や腕は汗びっしょりでした。

現場にいたメディアは確認できただけでも、イラク、フランス、タイ、香港、インドネシア、ドイツ、シンガポール、米国など。特に台湾、韓国、日本が多い印象です。

両首脳が到着すると、カメラのシャッター音が一斉に響き、中継リポーターから何カ国語もの大声が飛び交いました。

シンガポールのテレビ局のクルーは首脳会談が始まったことを同僚からの連絡で確認すると、カバンから菓子パンを取り出して朝食。男性リポーターはチョコパンを5口で食べていました。
金氏「足をひっぱる過去があった」(10:05)

会談場へ移動後、冒頭の様子が報道陣に公開された。トランプ氏は「気持ちがとても良い。我々は素晴らしい協議をこれから行う。(会談は)大成功するだろう。素晴らしい関係を持てることを光栄に思う」と切り出した。

続いて正恩氏が「ここまでくるのは容易ではなかった。我々の足をひっぱる過去があり、誤った偏見と慣行が我々の目と耳をふさぐこともあったが、我々はそのすべてを乗り越えてここまで来た」と述べると、トランプ氏は「その通りだ」と応じ、再度握手した。

ホワイトハウスによると、両首脳はまず通訳を介した一対一の会談を行った後、ポンペオ米国務長官ら幹部らを交えた少人数会合を開き、拡大会合によるワーキングランチを行う。
米メディア速報、カウントダウンも

米朝首脳会談が始まったのは、米東部時間で午後9時すぎという「ゴールデンタイム」だった。米メディアも、両首脳の歴史的な対面を速報した。

CNNとFOXニュースは、会談が始まる前から画面下に開始までのカウントダウンを表示。両首脳が会場のホテルに入ると、CNNは「歴史が始まった。二人が出てくるのを待とう」、FOXニュースは「まだ(この光景が)信じられない」。ABCは「米朝首脳の歴史的会談」とツイッターでライブ中継した。

二人が顔を合わせて握手を交わすと、AP通信は「トランプと北朝鮮の金正恩が握手を交わし、シンガポールでの歴史的な核サミットが幕を開けた」と速報を流した。(ワシントン=宮地ゆう)
韓国もかつて「外国機」に頼った(解説)

(朝鮮半島に詳しい桜井泉記者)金正恩氏は平壌から中国の飛行機に乗り、シンガポールに到着しました。異例と言える事態に、韓国メディアでは推測を交えてあれこれ議論が起きています。

「あの誇り高い北朝鮮の指導者が中国の飛行機を借りたとは驚きだ」「トランプの専用機と同じボーイング747に乗り、同格であることを見せたかったのだろう」「旧ソ連が開発した専用機2機を同行させたのは、長年使ってきた愛機を晴れの舞台で活躍させたかったからだ」などなど。

知人の韓国の元外交官は「そういえば、昔は我が国も貧しく、大統領が乗る飛行機がなかったというからね」とぽつり。

韓国では1961年のクーデターで政権をとった朴正熙(パクチョンヒ)氏が大統領に就任。64年、経済支援を求めて西ドイツ(当時)に行くことになりました。事前に西ドイツを訪れた韓国政府関係者は日程の協議中、こんなことを頼みます。「大統領が乗る飛行機がありません。提供していただけないでしょうか」

なかなか切り出せなかったけれど、勇気を出したそうです。西ドイツ側は即答せず、先遣隊の帰国直前、やっと「提供します」と連絡が。64年12月、経路を変更してソウルに着いたルフトハンザ航空機に乗って、朴大統領は西ドイツに向かいました。一般の旅行客とともに28時間の空の旅。当時の韓国政府の担当者の回顧です。
ソウル駅で拍手(10:05)

ソウル中心部にあるソウル駅内では、トランプ氏と金正恩氏が握手する様子がテレビに映し出されると、待合場所の椅子に座っていた100人前後の中から拍手が起き、「さすが、素晴らしい!」という大きな声も飛んだ。

ドイツ在住で韓国に一時帰国してソウル駅にいた金相秀さん(75)は「統一されたドイツから、分断された祖国をいつももどかしく見ていた。想像もしていなかった米朝首脳会談が実現し、本当にうれしい」と語った。
トランプ氏、「勝負の赤ネクタイ」(解説)

(元ワシントン特派員の佐藤武嗣編集委員)

トランプ氏は赤いネクタイをして、史上初の米朝首脳会談に臨みました。これは「勝負ネクタイ」。2017年1月の大統領就任式でも着用した色です。下半身まで長く垂れ流すのも、いつものスタイルです。

金正恩氏との対面でも、いつも通りという様子でした。先日カナダであった主要7カ国首脳会議(G7サミット)の時よりも、むしろ柔和な表情に見えました。

トランプ氏は、強い力で握手をすることで知られていますが、金正恩氏との握手はとても優しく、紳士的に見えました。平常心で史上初の米朝首脳会談に臨んでいると言えそうです。

米朝首脳が初の対面(10:04)

トランプ氏と金正恩氏が対面し、握手を交わした。米朝の首脳が史上初めて顔を合わせた。ともに笑みは浮かべたが、特に正恩氏は表情が硬い。並んで記念撮影に応じた後、トランプ氏が促し、移動した。

会場のセントーサ島、厳戒態勢(解説)

(シンガポールで取材中の野上英文記者)

12日、米朝首脳会談を目前に控えたシンガポール本島南のセントーサ島では、まだ薄暗い早朝から厳戒態勢が敷かれました。会談場所のカペラホテル周辺には100人超の警官らが目を光らせ、障害物を排除できる大型の特殊車両も行き来。世界各国のメディアが駆けつけ、現場中継を始めました。

シンガポール政府はサミット期間中、ホテル一帯を「特別区域」とし、最も厳重な警備対象にしています。島の入り口からホテル付近まで、歩道と車道の間に高さ約1・8メートルの鉄柵をびっしりと設置。鉄柵には、オレンジの面に「Sentosa」の文字が白抜きされたシートが夜を徹してはり付けられました。

ホテル入り口に向かう車道には、前日の未明まで無かった車両の検問所が新設されました。両首脳が泊まるホテル付近に設置されているのと同様のアーケード型で、すべての車両が一時停止を求められ、身分や通行目的、持ち物のチェックなどを受けます。近くに掲げられた看板には、自動小銃を提げた警察官のイラストと「警察の指示に従え」の太字が記されていました。

午前7時50分ごろには、付近の道路が一時的に封鎖され、白バイに誘導される形で数台の車列が本島からセントーサ島に入り、ホテルに向かいました。会談を控え、準備を急ピッチで進めた模様です。

報道陣は、ホテル入り口から数百メートル先の歩道からのみ撮影が認められています。午前9時時点で、300人近いメディア関係者が待機。「歴史的な会談が開かれる」などと中継しています。全身紺色でベレー帽をかぶった制服警官らが、報道陣に向き合う形で、2メートル間隔で立っています。
金氏の姿に「ワオ!」(9:53)

金正恩氏が車から降りる姿がシンガポールのメディアセンターでライブ中継されると、報道関係者から「ワオ!」という声があがった。
河野太郎外相「北朝鮮のコミットメント引き出しが焦点」(09:40)

河野太郎外相は閣議後の会見で、米朝首脳会談の焦点について、「核兵器を含むすべての大量破壊兵器、ならびにすべての射程のミサイルのCVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)に向けた、北朝鮮の明確なコミットメント(約束)を引き出せるか」だと指摘した。

また、拉致問題については「トランプ大統領から提起していただくことになっているが、最終的には日本と北朝鮮の間で話し合わなければいけない問題だと思うので、今日の会談の状況をしっかり見極めたい」と話した。日朝の直接交渉については「予断を持って申し上げるのは避けたい」とした。
トランプ氏、金正恩氏が会談会場に到着(9:32)

9時20分ごろ、トランプ氏が先んじて会場に着いた。10分あまり遅れて金正恩氏も会場入りした。

米朝首脳会談の舞台「カペラホテル」は、シンガポール本島から約600メートル南のセントーサ島にある。本島とは道路橋とモノレール、ロープウェーの3経路でつながっており、ここを封鎖すれば比較的警備がしやすい。

島名のセントーサは地元の言葉で「平和」を意味する。東西約4キロ、南北約1・5キロの島内には、テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」やビーチ、ゴルフ場などがある屈指のリゾート地だ。

会談場所のカペラホテルは、広さ約12万平方メートルの5つ星で、ゴルフ場や海岸の散策路も備える。英国の植民地時代に英国軍が使用していたコロニアル様式の建物を復元した棟があり、最高級の部屋の宿泊費は1万シンガポールドル(約82万円)程度とみられる。
金正恩氏がホテルを出発(9:13)

金正恩氏が宿泊先のホテル、セントレジスを出発。車両に乗り込み、会談場所に向かった。
トランプ氏がホテルを出発(09:00)

トランプ氏が宿泊先のホテルを出発し、米朝首脳会談の舞台となるセントーサ島に車で向かった。
菅長官「歴史的な会談、期待」

トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による史上初の米朝首脳会談について、菅義偉官房長官は会談前の12日午前の記者会見で、「核、ミサイル、何よりも重要な拉致問題が前進する機会となるよう、北東アジアの平和と安定に向けて大きな一歩を踏み出す歴史的な会談になることを強く期待している」と述べた。その上で「わが国としてもしっかり協力していく」と語った。

日本はトランプ氏に米朝会談で拉致問題を提起するよう要請している。菅氏は「日米の両首脳の間においては先週のワシントンでの会談に続き、昨日の首脳(電話)会談でも本日の米朝首脳会談に向けた緊密なすりあわせを行った」と強調した。

小野寺五典防衛相は閣議後会見で、「歴史的な会談」になることへの期待感を示す一方、「(米朝首脳会談で)一定の約束が仮にあったとしても、具体的な行動がしっかり確認できるまでは決して気を許すべきではない」と述べ、北朝鮮による弾道ミサイル発射などに対する警戒監視を続ける意向を明らかにした。
トランプ氏「本当のディールか間もなくわかる」(6:30)

トランプ米大統領がツイッターに「スタッフと代表団による会談は迅速で順調に進んだ……。でも結局はそれは関係ないんだ。私たちはみんな(今回の首脳会談で)過去とは違って本当のディール(取引)が行われるかどうか、すぐにわかるだろう」と投稿した。

トランプ氏はその後、「私をひどく嫌っている人たちや敗北者たちは、私が首脳会談を行うという事実を米国の大敗北だといっている。(しかし)我々は(北朝鮮から)人質を取り戻したし、(北朝鮮の核)実験、研究開発、すべてのミサイル発射が止まった。私を最初から『間違っている』と言ってきた専門家たちは、ほかに言えることがなくなっている! 我々は気にしていない!」とツイートした。
韓国メディアは「防弾警護団」に注目(解説)

(朝鮮半島に詳しい桜井泉記者)

K―POPの7人組男性グループ、「防弾少年団」(BTS)は日本でも大人気。ハングルで「防弾少年団」と書かれたバッジをかばんにつけた女子高生もよく見ます。最近、米ビルボード・アルバムチャートで1位になりました。韓国の芸能ニュースはBTSの話題で持ちきりで、さらに人気は沸騰しています。

ところで、シンガポールに到着した金正恩党委員長の周囲を固めるのは、平壌から同行した短髪、長身の若い男性たち。韓国メディアは早速、このイケメン?男性たちを「防弾警護団」と呼び、何度も映像を流しています。

トランプ大統領、金正恩委員長の専用車は「防弾車」。韓国メディアではいま「防弾」という言葉が飛び交っています。

https://www.asahi.com/articles/ASL6C5S9QL6CUHBI02Y.html



Reuben and Rose Mattus were Polish Jewish entrepreneurs who founded the Häagen-Dazs ice cream business.[1]Reuben MattusReuben Mattus (1912 – January 27, 1994) was born in Poland of Jewish parents. He arrived at the Port of New York on the SS Vestris with his widowed mother Lea on March 5, 1921, several months before Rose Vesel.[1] He started in the ice cream business as a child of 10, joining his uncle who was in the Italian lemon-ice business in Brooklyn, helping his mother squeeze lemons for the ices. By the late 1920s, the family began making ice pops, and by 1929 chocolate-covered ice cream bars and sandwiches under the name Senator Frozen Products, selling them from a horse-drawn wagon in The Bronx.[2]Rose Mattus (née Vesel)Rose Vesel Mattus (November 23, 1916 – November 28, 2006) was born in Manchester, United Kingdom as Rose Vesel to Jewish parents who had emigrated from Poland. They made theatrical costumes and briefly moved to Belfast with a theatre company and emigrated to New York as steerage passengers on board the SS Berengaria in October 1921 when Rose was five years old.[1]Reuben and Rose MattusReuben and Rose met in Brownsville, Brooklyn, New York. After finishing high school, Rose went to work as a book-keeper at the Senator plant in 1934, and the two married in 1936.[3] Reuben consulted some books and started to make a new heavy kind of ice cream. In 1959, he decided to form a new ice cream company with a foreign-sounding name. He invented the Danish-sounding 'Häagen-Dazs' as a tribute to Denmark's exemplary treatment of its Jews during the Second World War,[2] adding an umlaut which does not exist in Danish, and even put a map of Denmark on the carton.[1]From its launch in 1961, the ice cream was made using cream and natural ingredients for the flavorings, in contrast with competing brands which used often artificial ingredients. It was high in butterfat and had less air, which, according to Rose Mattus' autobiography, was the result of a factory accident, when the air injection pump broke.[4] Reuben developed the flavors and Rose marketed the product.[1] Her first marketing ploy was to dress up elegantly – in keeping with the upmarket positioning of the brand – and give away free samples at local grocers.[5] Another part of her strategy was to market the brand to university students, and she made certain that ice cream parlors near New York University in Greenwich Village carried Häagen-Dazs. The brand, which grew only slowly through the 1960s, was at first distributed nationally by Greyhound Bus deliveries to college towns.[1] By 1973, it was sold throughout the United States, and in 1976 the first Häagen-Dazs store opened in Brooklyn.[6]The business was sold to the Pillsbury Company in 1983 for $70 million. The Mattuses were kept on as consultants after the sale until Pillsbury was bought by Grand Metropolitan.[1] After this, they launched the Mattus Ice Cream Company in 1992, this time specializing in low-fat products, calling them Mattus' Lowfat Ice Cream.[7] Häagen-Dazs is now owned by Nestlé.[1]Personal lifeThe Mattuses lived in Cresskill, New Jersey. They were known as supporters of Israel, founding a school of high technology in Herzliya which bears their name,[8] and supporting the Israeli settlements.[6] They were also staunch admirers of Rabbi Meir Kahane.[9] They had two daughters, Doris Hurley and Natalie Salmore, and five grandchildren.



Meir David HaKohen Kahane (/kəˈhɑːnə/; Hebrew: מאיר דוד כהנא‬; August 1, 1932 – November 5, 1990) was an American-Israeli ordained Orthodox rabbi, writer, and ultra-nationalist politician who served one term in Israel's Knesset.[1] His work is influential on most modern Jewish militant and far-right political groups.[2]Kahane spent years reaching out to Jews through published works, weekly articles, speeches, debates on college campuses and in synagogues throughout the United States, and appearances on various televised programs and radio shows. He was an extreme advocate for Jewish causes, such as organizing defense squads and patrols in Jewish neighborhoods and demanding for the Soviet Union to "release its oppressed Jews".[3] He supported violence against the enemies of the Jewish people, called for immediate Jewish mass migration to Israel to avoid a potential "Holocaust" in the United States, supported the restriction of Israel's democracy to its Jewish citizens, and hoped that Israel would eventually adopt Jewish religious law,[4] and endorsed the annexation of the West Bank and Gaza Strip.[5]Kahane proposed enforcing Jewish law, as codified by Maimonides.[6] Non-Jews wishing to dwell in Israel would have three options: remain as "resident strangers" with limited rights,[7] leave Israel and receive compensation for their property, or be forcibly removed without compensation.[8] While he was serving in the Kesset in the mid-1980s, Kahane proposed numerous laws, none of which passed, to emphasize Judaism in public schools, do away with Israel's bureaucracy, forbid sexual relations between non-Jews and Jews, and end cultural meetings between Jewish and Arab students.[9]In 1968, Kahane was one of the cofounders of the Jewish Defense League (JDL) in the United States. In 1971, he co-founded Kach ("Thus"), a new political party in Israel. The same year, he was convicted in New York for conspiracy to manufacture explosives and received a suspended sentence of five years.[10] In 1984, he became a member of the Kessel, when Kach gained its only-ever seat in parliamentary elections. In 1988, after polls showed Kach gaining popularity, the Israeli government banned Kach for being "racist" and "anti-democratic" under the terms of a law that it had just passed.[9]Kahane was assassinated in a Manhattan hotel by an Arab gunman in November 1990.



要するに世界の宗教利権屋側の大敗北ですな。(爆wwwwwwwwwwwwww


5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

パヨクはヒト版放射性物質なんでイラン

匿名 さんのコメント...

パヨクいらないのは当然なんだけど、パヨクの飼い主はもっといらない

匿名 さんのコメント...

ちょー分かりやすい、饗宴外交!!!

匿名 さんのコメント...

反米サマナはどこからきてどこへゆく?
トランプと将軍様が握手したのよ?w

本日のクロ現、在日一世が黒電話のことあいつはよう分からんって言っててww

匿名 さんのコメント...

チャーハン完成おめw