2018年5月5日土曜日

TOKIOで沢田研二のバックバンドを解散させた井上堯之さん死去

井上堯之さん死去 「ザ・スパイダース」で活躍 マッチ「愚か者」作曲

1960年代にグループサウンズ「ザ・スパイダース」で活躍したギタリストの井上堯之(いのうえ・たかゆき)さんが2日に死去したことが4日、分かった。77歳。兵庫県出身。死因は明らかにされていない沢田研二(69)のバックバンドを率い、ドラマ「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」のテーマ曲演奏にも携わるなど、多才なミュージシャンだった。5日に近親者のみで密葬を執り行う。

井上さんは95年に初期の胃がんを手術。09年には肺気腫と診断され、「今後の活動が困難になる」との理由で引退。それでも、病と闘いながらソロライブや楽曲制作、講演などの活動を行っていた。

昨年5月2日には、同3月に亡くなったスパイダースの元メンバー、ムッシュかまやつさん(享年78)のお別れ会に参列。堺正章(71)、井上順(71)ら元メンバーが11年ぶりに集まった場で体調が優れない中、登壇。さすがに往年のプレーを見せることはできなかったが、出席者を笑顔にしていた。

井上さんは16歳でギターを始めた。オーディション番組を契機に音楽の世界に入り、後にスパイダースに加入。リードギタリストとして海外公演も行った。71年の解散後は沢田研二、萩原健一(67)のツインボーカルによるロックバンド「PYG(ピッグ)」を結成。沢田のソロデビュー後は、萩原を除くメンバーで「井上堯之バンド」として活動。「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」などでヒットを飛ばした沢田を、80年の解散までバックバンドとして支えた。

沢田のヒット曲「危険なふたり」のイントロを演奏したのも井上さん。72年に沢田がNHK紅白歌合戦に初出場した際も、専属バンドとして演奏した。これが今では当たり前となった「歌手が専属バンドを率いる」ことの先駆けだった。

ドラマ、映画の劇中音楽でも才能を発揮。俳優として独立した萩原との信頼関係も深く、出演ドラマ「太陽にほえろ!」のテーマ曲と劇中音楽の演奏を同バンドが担当。「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」、映画「青春の蹉跌(さてつ)」などの主演作を音楽で支えた。

クリエーターとしては、作曲した近藤真彦(53)の「愚か者」が87年の日本レコード大賞を受賞。同時期に萩原との競作で「愚か者よ」も手掛け、中島みゆき(66)の名曲「ファイト!」(83年)の編曲も手掛けた。

90年代以降はミュージカルの音楽監督にも挑戦し、新たなバンドでも活動。ギターサウンドの追究をし続けた職人肌のギタリストだった。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180505-00000003-spnannex-ent

ピンポーン♪ピンポーン♪ピンポーン♪(爆wwwww

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4 件のコメント:

ご近所 さんのコメント...

うーん、歌い続けた甲斐があったw
団長、富士山綺麗ですよ)^o^(

匿名 さんのコメント...

世界文化遺産に長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

沢田研二 魔界転生 天草四郎 中曽根尻妾

美輪明宏 前世天草四郎 三島尻妾

ご近所 さんのコメント...

>魔界転生
あと
細川ガラシャ
柳生十兵衛
宮本武蔵
までは覚えてましたが

村正

丹波哲郎さんは
完全に記憶落ちしてましたw

匿名 さんのコメント...

沢田研二自身は「バックバンド」という裏方集団とは考えておらず、当時の作品にJULIE&EXOTICSとクレジットされたものがあったり、沢田研二と同じコンセプトの衣装を纏うなど、「沢田研二がエキゾティクスのリードボーカル」というスタンスであったようだ。また、当時の沢田のレギュラーTV番組「沢田研二ショー」、ラジオ番組「日産ミッドナイトステーション 沢田研二の夜は気ままに」にも出演した。