独ボンへの「少女像」設置計画 日本総領事館が抗議
ドイツの韓国系住民らがボンの女性博物館に旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「少女像」の設置を進めていることについて、在デュッセルドルフ日本総領事館が博物館側に抗議していたことが韓国系住民らでつくる市民団体への取材でこのほど分かった。
団体の代表によると、先月30日に同博物館への少女像設置計画を聯合ニュースが報じたところ、その5日後に日本総領事館の関係者が博物館を訪問し、館長に抗議した。
同関係者は慰安婦被害者の数が正確に分かっておらず、被害者は自発的に慰安婦になったなどと主張したという。
これに対し館長は「実際にあった歴史の時計は戻せない」と抗議を退けた。
団体は韓国政府が今年から「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」と定めた8月14日に合わせ、少女像を館内に立てることで博物館側と合意しており、現在、像の設置や慰安婦問題の国際シンポジウムにかかる費用の募金活動を実施している。
総費用は7万ユーロ(914万円)。設置を予定している少女像はソウルの日本大使館前のものと同じものだという。
設置されれば、欧州で二つ目の少女像になる。
一つ目はドイツ南部のバイエルン州ウィーゼントに昨年3月に設置された。
像には慰安婦の歴史的な背景や少女像に関する詳しい説明などが書かれた碑を添えるはずだったが、日本の抗議により実現できなかった。
このためドイツの韓国系らは同像を「未完成」だと残念がり、昨年末に今回のボンへの少女像設置などを推進している市民団体を発足させたという。
ライブドアニュース(聯合ニュース) 2018年5月13日 10時38分
http://news.livedoor.com/article/detail/14707608/
The Bonn Women's Museum (German: Frauenmuseum Bonn) is a women's museum in Bonn, Germany. It was founded in 1981 by Marianne Pitzen (the current director) and an interdisciplinary group of working women, and claims to be the first museum of its kind in the world.[1] It hosts temporary exhibitions (over 500 since its founding) and accompanying events, and is run by the society "Women's Museum – Art, Culture, Research".[1]The Women's Museum promotes female artists (both German and international) through a changing program of exhibitions, and examines their work in the context of art history. According to the museum, a number of artists who were first exhibited there have since established themselves on the world market.[2] Female artists and academics work together on the large thematic exhibitions. Furthermore, women's history is examined in the context of new experimental art and through the events which accompany the exhibitions.[1]The museum's own collection includes works by Käthe Kollwitz, Katharina Sieverding, Valie Export, Maria Lassnig, and Yoko Ono. It also includes a library with an archive on specialist topics: women in art, history and politics; feminism; cultural politics; art of the 20th and 21st centuries; art since 1945; concrete and constructive art; and architecture and design.
The museum's academy organises meetings, seminars, workshops and advice services on topics of interest to female artists. Other research themes include the women's movement and gender politics. The work of the Bonn Women's Museum has led to the founding of women's museums elsewhere, for example in Merano, Switzerland and Hittisau, Austria (see Hittisau Women's Museum).
The museum is involved with the Gabriele Münter Prize for female artists. It also hosts art and design fairs, and has its own gallery, studios and publishing house.[3] The Frauenmuseum Haus in Berlin is also connected with the Bonn Women's Museum.[4]
大桃珠生ちゃん@青山浄水場 via kwout
加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日[1] - )は、日本の外交評論家。助川 明(すけがわ あきら)の名前も使用[2]。
人物父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはジョン・レノンの妻オノ・ヨーコがいる[3]。自由社社長。同名の別会社・自由社(石原萠記社長)の取締役。元月刊『自由』編集委員会代表。加瀬英明事務所所長。日本躾の会評議員。教育における体罰条項を考える会会長。日本・イスラエル親善協会副会長[要出典]。公益社団法人全日本きものコンサルタント協会理事。
経歴東京生まれ[1]。慶應義塾大学卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ百科事典の初代編集長を務める[1]。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育った事などがきっかけで、評論・執筆活動をおこなうようになる。世界各国での講演活動も多く、シカゴ大学・ペンシルベニア大学などで講演している。政財界でも活動し、福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任している[要出典]。
日本会議代表委員[4]・東京都本部会長[5]、史実を世界に発信する会代表を務める[6]。新しい歴史教科書をつくる会の賛同者でもあり、歴史論争、歴史教科書問題にも積極的にコミットしている。同会の分裂で、八木秀次らが設立した「日本教育再生機構」の代表委員となったが、一方で、つくる会の新たな教科書発行元として自らが役員を務める自由社をつくる会に紹介。2008年9月、同名の別会社・自由社の社長に就任し、つくる会支持を鮮明にした[要出典]。
体罰を容認する著名人で作る「体罰の会」会長[7]。「慰安婦の真実」国民運動代表[要出典]。
主張1993年3月に出版された朴泰赫著『醜い韓国人』(光文社刊)は、“元新聞記者の韓国人ジャーナリストが自国の歴史認識を反省し日本による朝鮮半島植民地支配(韓国併合)を肯定した”(=親日派の)本として話題を呼び、ベストセラーとなった。後書きを加瀬が執筆していたことから、発売直後から韓国内では黄民基や統一日報の申東薫記者らが「著者の肩書きは偽名であり、加瀬によって書かれた物ではないか」と非難の声が上がった[8][9]。加瀬はそれを否定し、1995年に朴との共著として『醜い韓国人 歴史検証編』(光文社刊)を出した。一方、申の側は非難を続けた[10][11]。
第二次世界大戦に関して日本は責めを受ける立場にないと主張している[12]。慰安婦問題では日本の責任を否定する立場であり、アメリカ合衆国下院121号決議に反対している。日本文化チャンネル桜が中心となって在日アメリカ大使館に手渡した抗議書にも賛同者として名を連ねた[13]。
2007年12月6日には東京千代田区の九段会館で行われた「南京陥落70年 国民の集い 参戦勇士の語る『南京事件』の真実」(南京事件の真実を検証する会主催)の冒頭挨拶で改めて南京事件の虚構性を主張した[14][15]。
編集委員会代表を務める月刊誌「自由」2007年10月号の「巻頭言」では、終戦時の昭和天皇の態度について「要は天皇以下、当時の指導者たちには、国民に対する責任感が全くなかった。この無責任な人間としての心を失った姿が、戦後日本の狂いの初めであると思う。苦境に際して、己の責任を回避して、他に責任を転嫁、己の生き残りを優先する。迷惑をかけた人々に対し、何らの責任を取ろうとしない。この無責任体制が、今日の日本をもたらしたと言えないか」、「先の参議院選挙で、戦後最強の保守勢力・自民党が歴史的大敗北をした。その時とった、安倍総理の姿勢をみて、思わず敗戦時の昭和天皇のことを想い出した。安倍総理も彼を支える側近の人たちも、終戦時の天皇同様、責任を回避する言動に終始し、党・支持者に対し、責任を取る発言をしなかった。そして世論の過半数が辞めるべきだというなか、総理は内閣続投の意思表示をするだけだった。敗戦時に天皇や側近者たちが、敗戦の責任を国民に詫びることなく、天皇制度の維持画策に狂奔したのと全く同じである」と書いた。
1979年2月24日に結成された民間団体スパイ防止法制定促進国民会議[16]の発起人に名を連ねている。
天皇の譲位に関して「畏(おそ)れ多くも、陛下はご存在自体が尊いというお役目を理解されていないのではないか」「天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ、法律が変わることは、あってはならない」と述べた[17]。
、、、(爆wwwwwwwwwwww
3 件のコメント:
昭和史の舞台「九段会館」解体へ着手 遺族会減少 建て替え後も戦争語り継ぐ場に
国の検討会で建物の一部を保存して土地利用を図る方針が決まり、入札を経て東急不動産がオフィスや店舗が入る複合ビルを建設することになった。城郭風の外観のほか、玄関ホールや昭和天皇が休息したとされる応接室などは保存する。
・・・
昨年には戦没者の孫やひ孫らが参加する青年部を発足させた。
http://www.sankei.com/politics/news/180513/plt1805130005-n2.html
国民の中の不満は小さい方が良いですね。。。。
飢餓状態にある時、私ならどんなものでも食べようとすると思いますが、そうはしたくない、そんなことをする位なら、死を選ぶという選択もあると思います。
生きて帰った後トラウマに悩まされたとしても、治療と回復とリカバーの方法はあると思いますし、責任の果たし様もあるのではと思います。
ただ極限の状態を経験したことがありませんので、想像でしかなく、実際の重みに比べると、軽い戯れ言かも知れません。生きてこそ。。。。
人間側のお話です。
コラム:黒田日銀に「白」化の懸念、オセロの行き着く先=嶋津洋樹氏
5月11日、MCPのチーフストラテジスト、嶋津洋樹氏は、日銀の政策を「オセロゲーム」に例えると、黒田体制の「黒」から白川前体制の「白」に再び塗り替わりつつあるようにみえると指摘。
https://jp.mobile.reuters.com/article/jp_column/idJPKBN1IC0O0
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