財務省の福田淳一事務次官によるセクハラ疑惑を報じた「週刊新潮」編集部は16日、コメントを発表した。コメントは次の通り。
記事は全て事実に基づいたものです。財務省が本日公表した文書に対する週刊新潮の見解は、4月19日発売の次号に掲載いたします。(共同)
2018.4.16 16:59
産経ニュース
https://www.sankei.com/entertainments/news/180416/ent1804160006-n1.html
福田 淳一(ふくだ じゅんいち)は、日本の財務官僚。
岡山県出身[1]。妻は高石邦男元文部事務次官の娘。篠沢恭助の紹介で見合い結婚した[2]。
神奈川県立湘南高等学校卒業[3]。旧司法試験合格[3]。東京大学法学部卒業[3]。1982年大蔵省入省[1]。82年入省組は、渡辺美智雄蔵相の変わり者を採用すべしとの発案で、中島義雄秘書課企画官の裁量で多様な人材が採用されたが、1名の自殺者、1名の病死者、大蔵省接待汚職事件での1名の逮捕者、同事件での処分を受けた退職者1名などが出た。当時の秘書課長を務めた小粥正巳は、後年「人間の評価っていうのは難しいな」と述べている。82年入省同期組には、片山さつき(自民党参議院議員)、迫田英典(元国税庁長官)、佐川宣寿(元国税庁長官)などがいる[4]。
2004年財務省主計局主計官(厚生労働係担当)。
2006年財務省主計局法規課長。
2008年財務省大臣官房総合政策課長。
2009年財務省大臣官房参事官。
2011年財務省主計局次長。
2014年財務省大臣官房長。
2015年財務省主計局長[3]。
2017年7月5日財務事務次官。
森友学園問題では、佐川宣寿の聴取を行った[5]。
青山久志さん(仮名)@岡山県 via kwout
高石 邦男(たかいし くにお、1930年3月3日 - )は日本の官僚。元文部事務次官。福田淳一財務事務次官は娘婿[1]。
福岡県生まれ。福岡県立伝習館高等学校を経て、1953年九州大学法学部卒業、同大大学院法学研究科進学。
略歴
- 1953年 - 国家公務員六級職試験(法律)合格
- 1954年 - 文部省入省
- 1960年 - 岐阜県教育委員会教職員課長
- 1967年 - 北九州市教育長
- 1976年 - 文部省大臣官房総務課長
- 1980年 - 同社会教育局長
- 1981年 - 同体育局長
- 1982年 - 同大臣官房長
- 1983年 - 同初等中等教育局長等を経て
- 1986年から1988年まで - 文部省事務次官
- 1990年の第39回衆議院議員総選挙に福岡3区から無所属で出馬したが落選
高石の長女の夫は福田淳一財務省事務次官である。
篠沢 恭助(しのざわ きょうすけ[1]、1937年(昭和12年)3月1日[2] - )は、日本の官僚。元大蔵事務次官。
東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。
理財局長、大臣官房長、主計局長を経て、1995年(平成7年)大蔵事務次官に就任。斎藤次郎が任期を2ヶ月残して辞任した後を受けて次官に就任したが、中島義雄・田谷廣明ら主計局幹部による過剰接待問題や、大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件における銀行局(西村吉正局長)と国際金融局(榊原英資局長)の米国側への通報が遅れた事で問題とされた件、住専国会を経て住専への公的資金投入など、これら一連の「大蔵スキャンダル」でマスコミや政界、国民などの大きな反発を受けていたため、歴代大蔵次官では最短となる在任7ヶ月での辞任となった(但し、のちに小村武が次官在任6ヶ月で辞任した)。
1996年(平成8年)に退官し、その後1998年(平成10年)海外経済協力基金総裁、1999年(平成11年)国際協力銀行副総裁、2001年(平成13年)国際協力銀行総裁を歴任し、同総裁退任後、2008年(平成20年)から資本市場研究会理事長を務める。
田谷 廣明(たや ひろあき、1944年(昭和19年)12月27日 - )は、投資家、経営コンサルタント。東京都出身の元大蔵官僚。二信組事件関連で、イ・アイ・イ・インターナショナルの高橋治則のプライベートジェットで香港旅行したことなどの過剰接待により辞任した。また主計官時代に整備新幹線着工問題に関して、昭和三大馬鹿査定発言を行い、物議を醸した。
、、、(爆wwwwwwwwwww
3 件のコメント:
鈴木邦男
鳩山邦夫
高石邦男
高(麗)+石(ストーンメイスン)
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
篠沢の時すごかったんだなw
闇すぎる…wm
テレ朝側も、あの感じで、切れのない夜討ち朝駆けレコーダー取材一年半されてても
スクープの1つもとれず
結果としてこうしたオトシしかなかったでしょうな。。。
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