一般財団法人院友会(いんゆうかい)とは、國學院大學の卒業生の同窓会のことである。 明治15年9月に國學院大學の前身である皇典講究所が開校し、明治20年にその卒業生が「水穂(みずほ)会」を結成したのが創始。その後、明治23年に「國學院」が皇典講究所の教育機関として設置され、明治27年にその卒業生によって「水穂会」とは別に「院友会」が組織された。
神道界や教育界やマスコミ界などにおいて影響力とコネクションを有する。 同窓会本部である院友会館は、東京都渋谷区の國學院大學に隣接地に所在す
歴代理事長
代 | 氏名 | 任期 | 備考 |
---|---|---|---|
初代 | 宮西惟助 | 1931年 - 1939年 | 国学院大学教授、日枝神社宮司 |
2代 | 鳥野幸次 | 1939年 - 1943年 | 国学院大学教授、御歌所寄人 |
3代 | 佐左木行忠 | 1943年 - 1946年 | 神社本庁統理、國學院大學学長、貴族院副議長 |
4代 | 石川岩吉 | 1946年 - 1959年 | 教育者、國學院大學名誉学長 |
5代 | 佐左木行忠 | 1959年 - 1970年 | 三代に同じ |
6代 | 富岡盛彦 | 1970年 - 1974年 | 神社本庁元総長 |
7代 | 今泉忠義 | 1974年 - 1976年 | 国語学者、文学博士、國學院大學名誉教授 |
8代 | 近藤薫明 | 1976年 - 1978年 | 城北中学校・高等学校2代校長,城北埼玉高等学校創設者 |
9代 | 小林武治 | 1978年 - 1987年 | 國學院高等学校元校長 |
10代 | 高宮行男 | 1987年 - 1993年 | 代々木ゼミナール理事長 |
11代 | 海林澣一郎 | 1993年 - 2000年 | 日本放送協会専務理事 |
12代 | 外山勝志 | 2000年 - 2011年 | 明治神宮宮司 |
13代 | 吉田茂穗[1] | 2011年 - | 鶴岡八幡宮宮司 |
、、、(爆wwwwwwwwww
おまけ
号外NO.15 開祖・谷口雅春先生の一大お覚悟!
日本の国のためにならない生長の家なら潰れてしまってもよい!
(1)今を去ること四十年以上の昔、其の頃の生長の家青年会は燃えに燃えていた。毎年五月初旬、東京で開かれていた連続三日間の全国大会には、北は北海道から南は沖縄まで全国津々浦々から列車やバスを連ねて集まった愛国心に燃えた男女青年五千人以上、往復の車中でも聖歌を歌い真理を語り合い、その沸騰するような情熱の雰囲気にバスの運転手さんまで感激・感化されてしまうほどでした。全国大会の御講話の中で開祖・谷口雅春先生はハッキリと<日本の国のためにならない生長の家なら潰れてしまってもよい!>と話されたのであります。この御言葉は今でも私たちの心の中に滲みこんでいるのであります。「無の関門」を超えられた最高にハイレベルのお悟りから、雅春先生にとっては実相日本国家が第一に重要でその実相顕現を常に祈願され、そのための生長の家の存在であると思っておられたのであります。
(2)<日本の国のためにならない生長の家なら潰れてしまってもよい!>
この御言葉は後年にいたっても決して変わる事はなかったのでした。次の様なことがあったのでした。(これは確かな事であります)
<< 開祖・谷口雅春先生の憂国の至誠、皇室尊崇の思いは、昭和四十九年に於ける「日本を守る会」の結成となって具体化していったのであります。その結成の事情は、円覚寺の朝比奈宗源管長、富岡八幡宮の富岡盛彦宮司が、原宿の「生長の家」本部に谷口雅春先生を訪ねられて、結成の事が決定したのであります。その席に同席した澤渡盛房氏(富岡八幡宮権宮司)がいつも語られていた事であるとのことですが、その時に谷口雅春先生はお二人の説明を真剣に聴かれた上で、次の如く決意を述べられたのでした。
「生長の家の二つや三つが潰れても、祖国日本が本来の姿に立ち戻るためには、それもやむを得ない。協力を惜しまぬどころか生長の家の活動そのものが目指すところはそこにある。」
と言い切られたのであります。>>
この『日本を守る会』は会の名称の如く、日本を守ることを目的とした宗教界を横断する組織で、事務所を明治神宮に置き活動を開始、その実働部隊として昭和五十六年に「日本を守る国民会議」が発足、正しい憲法制定を最終目的とした日本国家再建の主流として活動を開始したのであります。そしてその中心をなしたのが生長の家でありました。(「日本を守る国民会議」は現在「日本会議」となっております。)
然るにその後、昭和六十年六月十七日、開祖・谷口雅春先生が九十一歳の天寿を全うされて御昇天されましたが、わずか三ヵ月後に「生長の家政治連合」が解散されたのであります。昭和六十一年一月二日の国民参賀に際しても“日の丸の小旗の配布はしない”と一方的通告をなしたのでした。かくして次は第三代目・谷口雅宣先生は平成三年から四年にかけて「大東亜戦争の侵略戦争観」を御展開され、この時を境にして開祖・谷口雅春先生の『本来の生長の家の御教え』は換骨奪胎されて行き社民党的路線へと急旋回左傾化して今日に至っているのであります。
以上のような推移を冷静に観察致しますと・・・
第三代目・谷口雅宣先生は開祖・谷口雅春先生の御創始された本来の正しい『生長の家』を完全に崩壊して行かれつつある。第三代目・谷口雅宣先生の「平成時代・生長の家」は日本の為にならない社民党的セレブ志向の単なる教養団体のひとつにしか過ぎないのであります。“『生長の家』と言う看板”は是非とも我々に返却していただかねばならないのであります。全国の信徒の皆様、如何でございましょうか?
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