2017年9月22日金曜日
靖国の「英霊」とは南北朝鮮建国のため戦死した本来は高麗神社に祭られるべき方々
2013年07月11日
【埼玉】高麗神社・聖天院 驚愕・戦慄の調査報告
★驚愕の『高麗神社』『聖天院』レポート
http://blog.livedoor.jp/gaitsui2/archives/1778797.html
聖天院(しょうでんいん)は、埼玉県日高市の真言宗智山派寺院。武蔵野三十三観音霊場二十六番札所。
高麗王若光の菩提寺として創建された。1345年に法相宗から真言宗に改宗。庭園の他、高麗王若光王陵(墓碑は金鍾泌韓国元首相の揮毫)、在日韓民族無縁慰霊塔などが境内に所在している。寺の紋章は菊花紋章。
本来、日本の神道には「英霊」なんてコンセプトは存在しないんですよ。(爆wwwwwwwwwww
で、先の大戦で数百万人日本人何のために犬死したかといふと・・・
「英霊」とは「儒教的には日本の兄」である朝鮮国建国のために無駄死にした、本来は靖国神社にではなく高麗神社に祭られるべき方々なんですよ。(爆wwwwwww
、、、(爆wwwwww
おまけ
金 鍾泌(キム・ジョンピル、1926年(大正15年)1月7日 - )は、大韓民国の政治家。忠清南道扶余郡出身。[1]本貫は、金海金氏。号は雲庭(ウンジョン、운정)。金泳三・金大中とともに韓国政治史上に三金時代を築いた。5・16軍事クーデターの中心人物であり朴正煕政権誕生の立役者だった。以降、朴正煕政権で初代中央情報部長、首相など要職を歴任。朴正煕暗殺以降は議会政党指導者として有力政治家でありつづけた。金大中との連合(DJP連合)により金大中政権を誕生させ、金大中大統領の下でふたたび首相となった。政治姿勢は自らの主義主張を前面に出していくタイプではなく、韓国の政治家としては珍しい和を重視する調整型タイプの政治家であり、内外両面で大きく揺れた1960年代~1980年代の韓国政治において内外面において重鎮として先頭に立ち問題の沈静化に積極的に動いた。
妻は朴正煕の姪・朴栄玉(パク・ヨンオク、박영옥)。愛称はJPK。韓国のマスコミがJFKをもじってつけたもの。
子供のころは、大の読書好きで、特に菊池寛の小説が好きだったという。そのことから、一時は日本の中央大学への進学を志して、1944年に単身日本へ渡ったが、日本は戦況の悪化に伴う深刻な食糧不足に苛まれており「どうせ死ぬなら故郷で死にたい」と朝鮮半島へ戻り、ソウル大学へ進学したというエピソードがある[2]。
首相時代から知日派として知られ、日韓議員連盟の役員を長期間務め、日韓基本条約締結に尽力するなど日韓関係の修繕良化に努めた。日韓基本条約締結の際には、反対運動を展開する学生グループと直接話し合いの場を持ち「今は過去の問題よりこれからの成長の方が重要である。そのためには日本の援助が必要だ」と説いて学生からも一目置かれたという逸話もある[3]。しかし金自身も後年のインタビューで対日請求権の放棄については「やむを得なかった」と述べている。
引退後の講演で「大好きな日本」と韓国の政治家としては異例の「親日」的な発言をしているが、同じ講演で靖国神社参拝を批判してもいる。安易に親日・反日でくくることのできない人物である。在日韓国人問題では「二世、三世は日本国籍を取得すべきだ」と日本の右派の月刊誌である『諸君!』1980年4月号のインタビューで発言し物議を醸した事がある。同記事では「日本は原爆を落とされたからソビエトの牙城にならずに済んだ」という見解を示し、また「朝鮮民主主義人民共和国は自由とは程遠い。日本の人はもし行けば三日と持たないんじゃないか。離散家族にも会わせてもらえない」と当時の日本では異例の北朝鮮批判を行い注目を集めてもいる。
2004年総選挙で落選後、政界を引退した。しかし、2007年大統領選挙では李明博候補支持を表明、ハンナラ党に入党し名誉顧問に就任した[4][5]。2008年12月14日に頭痛の症状を訴えてソウル市内の病院に入院し、12月19日に脳卒中の初期症状と発表された[6]。翌2009年3月12日に退院した[7]。2012年2月15日、ハンナラ党が党名変更して発足したセヌリ党を離党する意向を示した[8]。
青山学院大学から名誉博士号(国際政治学)の称号を授与されている。
2015年5月、金鍾泌は学生時代に慰安婦として朝鮮の妹が強制連行されるのを直接目撃したと中央日報にて証言し、2001年に日本に訪問した際には読売新聞の渡辺恒雄社長、産経新聞に抗議し朝日新聞には日本の歴史歪曲を伝えたと証言している[9]。
2016年、陸軍士官学校総同窓会の「今年の誇らしい陸軍士官学校人賞」を受賞する[10]。
5 件のコメント:
つのだ☆ひろみたく菊の花が入っててほんと笑う
やっぱケツの穴みたいに見える菊が好きでしょうがないんですな
流石大陸からお越しのass holeyで糞食民族だけありますわw
迂闊に近付くとケツ掘られて脳がチーズみたいに穴だらけになっちゃう><
靖国の英霊とは別に犬死となった命は靖国なんぞ知ったことかでありたいでしょう
靖国の英霊どもは狛犬神社に祭られる、、の後というか
経由で半島にみたまを送って差し上げるのがよろしいのではないかと
高麗神社が朝鮮半島を併合するにあたって、内鮮一体の象徴とし政治利用していくことで、当該神社の「格」をあげるためにさまざまな運動が展開されたことについては非常に抑制的に扱われたが
>また、それに先立つ9月に埼玉県日高市にある高麗神社を参拝しました。今から約1300年前に、高句麗からの渡来人がこの地に住み、建てられた神社です。多くの人に迎えられ、我が国と東アジアとの長い交流の歴史に思いを致しました。
こうした感銘が公的な文書として後世に残っていく
併合の記憶の濃淡に、独特の激しさを抱く半島の方々にとって、いささか不思議な礼賛ではないだろうか
民団を含む多くの人に迎えられた、と正確に
平成という時代は、朝鮮半島との関係を回顧し関係性の復古事業によろめく時代で、この運動を牽引したのは、まぎれもなく明仁天皇であった
韓国は日本との関係を、韓国が兄、日本を弟という位置づけの「兄弟関係」になぞらえ、一時期の不幸を兄弟げんか、つまり「鬩牆」とみなして、兄へ許しを乞う弟のふるまいによって、仲直りできるという考え方をするが、戦後賠償ビジネス、つまり、韓国は日本にどういうタイミングで何を融通させるか、このことに日本の裏社会がも政治家も大日本帝国軍部の思想を背景に持った層も狂奔した歴史を抜きに、その「仲」を語れないのも事実だ
朝鮮半島の非核化が優先事項ではない大韓民国に傾斜する明仁天皇
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