大阪市阿倍野区の路上で男女を切り付けてけがを負わせたとして、阿倍野署は8日、殺人未遂容疑で被害女性の元夫で会社員の村上徹容疑者(54)=同市阿倍野区松崎町=を逮捕した。
同署によると「元妻に腹が立って切り付けた。2人とも殺すつもりはなかった」と殺意を否認している。
逮捕容疑は8日午前8時10分ごろ、同区松崎町4丁目の路上で、近くに住む元妻で紡績会社の女性会社員35)と上司の男性(40)の頭や首をカッターナイフで切り付け、殺害しようとした疑い。
女性は約1カ月の重傷で、男性は軽傷。女性から「別れた夫が出勤途中に待ち伏せする」と相談を受け、男性が付き添って出勤する途中だった。
村上容疑者は現場から車で逃走したが、同日午後1時45分ごろ、約110キロ離れた京都府与謝野町内で京都府警の捜査員が職務質問し、「元妻を切り付けた」と話したため、殺人未遂容疑で緊急逮捕、大阪府警に身柄を引き渡した。
同日朝に「男同士がけんかをしている」と通行人から110番があり、阿倍野署員が血を流している2人を発見。現場から南に約150メートルの路上で血の付いたカッターナイフが見つかっていた。
配信2017.8.8 21:39更新
産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/170808/wst1708080092-n1.html
→村上
→消防署
トーマス・ディビッド・フランク・エバンス(Thomas David Frank Evans、1917年 - 1996年)は、イギリス、ウェールズ出身で第二次世界大戦中に日本軍によって抑留された連合国軍捕虜の一人。戦後、捕虜体験記をウェールズ語、英語にて出版。
経歴
1917年、ウェールズ、ランペター地区のシャヌーネン生まれ。第二次世界大戦においてイギリス軍の兵士としてイギリス領だった香港に派遣された。1941年12月8日から25日の香港の戦いの結果、日本軍の捕虜となり、当初は香港の捕虜収容所に収容され、後に日本へ移送され、京都府与謝郡岩滝町にあった大阪捕虜収容所大江山分所に収容され、大江山ニッケル鉱山と日本冶金工業製錬工場で太平洋戦争の終結まで強制労働に従事させられた。エバンスを含む大江山捕虜収容所に収容されたイギリス軍、カナダ軍、オーストラリア軍、アメリカ軍などの連合軍捕虜たちは約700名にのぼり、大江山ニッケル鉱山(旧加悦町)、日本冶金工業製錬工場(旧岩滝町および宮津市)、宮津港において過酷な状況の下で働かされた。
連合軍捕虜たちは1945年9月に解放され帰国の途についた。フランク・エバンスはウェールズに帰国し、戦後はケレディギオン郡の役所の度量衡検査官として勤務した。退職後、捕虜時代の経験を1981年にウェールズ語で、1985年には英語で出版した。これらのうち、とくに英語版の『Roll Call at Oeyama - P.O.W. Remembers、大江山の点呼 - 捕虜は思い出す』は日本軍によって抑留された連合軍捕虜の体験を記録した資料として知られている。
『大江山の点呼』は開隆堂出版が発行した日本の高校用英語教科書『English Now』に取り上げられたほか、下嶋哲朗著の『アメリカ国家反逆罪』(講談社)においても多く引用されている。英語での引用は香港の戦いに関連したチャールズ・G・ローランド(Charles G. Roland)著の『Long Night's Journey into Day』(カナダ、オンタリオ州ウィルフリッド・ローリエ大学(en:Wilfrid Laurier University)大学出版会、2001年)、トニー・バンナム(Tony Banham)著の『We Shall Suffer There』(香港大学出版局、2009年3月)などに見られる。
1984年には終戦後初めて再び大江山捕虜収容所を訪ね、京都府与謝郡加悦町(現在の与謝野町の一部)と日本冶金工業などの協力を得て、大江山で死亡した捕虜のための慰霊碑をかつての鉱山の近くに建立した。この訪問がきっかけとなり、1985年に当時の加悦町長細井拓一らがウェールズのアバリスツイスを訪問し、以降、両町は友好関係をもつことになった。その後、1991年には高校生を中心とした相互交流プログラムが開始され、現在に至るまで継続されている。最近では2008年10月から11月にかけて6名の与謝野町の高校生がアバリスツイスを訪問した。
1996年にアバリスツイス(あるいはアベリスツイス、en:Aberystwyth)で逝去。
日本冶金工業株式会社(にっぽんやきんこうぎょう、英文表記:Nippon Yakin Kogyo Co.,Ltd.)は、東京都中央区京橋1丁目に本社をおく、東証1部上場のステンレス素材メーカー(鉄鋼メーカー)である。
概要
NAS(ナス:Nippon-Yakin Austenite Stainless Steelの略称)ブランド(関連会社であった住宅設備メーカーのナスステンレス(現・ナスラック)でも有名)で知られる独立系のステンレス特殊鋼電気炉メーカー。ステンレス専業メーカーで、東京証券取引所市場第1部に上場している。1925年、消火器の製造販売などを行なう「中央理化工業株式会社」として設立。1928年には、火工品・火薬品(軍事兵器など)の製造販売などを行なうようになり「日本火工株式会社」と改称。翌年、ステンレス鋼を初出鋼し、1942年に社名を現在の「日本冶金工業株式会社」と改称した。「東洋のクルップ社(現・ティッセンクルップ)」とも称された。
また、ステンレスメーカーの中で唯一、ニッケル製錬部門(大江山製造所)をもっているため、原料高が続く状況の中では大きな強みとなっている。
なお企業グループとしては、森矗昶が創始した森コンツェルンの中核企業として発展、戦後は日本興業銀行(現みずほ銀行=みずほフィナンシャルグループ)をメインバンクとし、興銀から社長や代表権を持った副社長・専務を受け入れている。
で、ウェールズと言えば・・・
、、、(爆wwwwwwwww
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