2017年5月2日火曜日

大分中村病院@日本パラリンピックの父の病院

病院ロビーに車突っ込む=13人けが、76歳女性運転-大分

病院に突っ込んだ車=2日、大分市(通行人提供)

 2日午前10時40分ごろ、大分市大手町の大分中村病院1階の待合ロビーに軽乗用車が突っ込んだ。大分県警などによると、車を運転していた同県宇佐市安心院町の無職女性(76)を含む男女13人がけがをしたが、命に別条はないという。病院の話では、うち4人が骨折などで入院した。

 女性は車を止めようとした際に運転操作を誤ったとみられ、県警は自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)の疑いも視野に、回復を待って事情を聴く。
 県警や病院によると、軽乗用車はロビーの自動ドアの隣にある大型医療機器搬入用のガラス戸を突き破り、椅子などをなぎ倒しながら20メートルほど直進して止まった。女性は助手席に知人男性(81)を乗せて運転。ガラス戸の脇にある身体障害者用の駐車場に停車しようとして事故を起こしたとみられ、県警が詳しい状況を調べている。
 当時ロビーには100人以上の患者らがおり、周辺には割れたガラスが散乱した。ゴールデンウイークで病院前の実家に帰省していた30代女性は、車の衝突音に驚き、自宅の窓から外をのぞいた。病院入り口に突っ込んだ車の後部と、医師らがけが人の手当てをしている光景が見えたという。近所で働く50代女性は「何が起きたのかと思った。本当にびっくりした」と驚いた様子で話した。 
 大分中村病院は大分県庁の東側に位置する。同病院によると、病床数は260床で、内科や整形外科など22の診療科目がある。(2017/05/02-18:17) 
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017050200485&g=soc






大分中村病院(おおいたなかむらびょういん)は、大分県大分市大手町にある病院。第二次救急指定病院
日本における医学的リハビリテーションの草分け的存在である中村裕によって、リハビリテーションを積極的に実施する施設として、1966年(昭和41年)12月10日に設立された。中村は、1964年(昭和39年)の東京パラリンピックに選手団長として参加したり、1981年(昭和56年)からの大分国際車いすマラソン大会の開催に貢献するなど、障害者スポーツの発展に大きな役割を果たしたことで知られており、本病院は日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会から全国で3箇所指定されているメディカルチェック医療機関のひとつになっている[1]

現在の病院施設は大分市中心部の大分県庁の東隣に位置するが、大分駅府内中央口(北口)前の大分パルコ跡地への移転が計画されている。




中村 裕(なかむら ゆたか、1927年3月30日 - 1984年7月23日)は、日本の医学者整形外科医。身体障害者のスポーツ振興をはかった。日本パラリンピックの父と呼ばれる。
大分県別府市出身。九州大学医学部卒業後、九州大学病院整形外科に医師として勤務。
1958年から大分県の国立別府病院整形外科医長。1966年、大分中村病院を設立。1979年-1983年国際パラプレジア医学会副会長、1979年-1980年日本パラプレジア医学会会長。
1965年に障害者の自立のための施設「太陽の家」を創設。また、障害者スポーツ振興に情熱を傾け、1964年東京パラリンピックで選手団長を務め、第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)開催に尽力。さらに「大分国際車いすマラソン」を提唱し、その実現に尽力した。
1975年吉川英治文化賞を受賞。

年表


  • 1951年 - 九州大学医学部を卒業し、同大学整形外科医局に入局(医学的リハビリテーションを研究)。
  • 1958年 - 大分県の国立別府病院整形外科医長。
  • 1960年 - 英国のストーク・マンデビル病院に留学(ルートヴィヒ・グットマンに師事)。
  • 1961年 - 第1回大分県身体障害者体育大会の開催に尽力。
  • 1964年 - 東京パラリンピックの選手団長を務める(以降、1980年までの全ての夏季パラリンピックの団長を務めた)。
  • 1965年 - 身体障害者の職業的自立を目指す「社会福祉法人太陽の家」を別府市に創設。「保護より機会を」「世に身心(しんしん)障害者はあっても仕事に障害はあり得ない」をモットーとした。
  • 1966年 - 大分県大分市に大分中村病院を設立。
  • 1975年 - 第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)開催。
  • 1981年 - 第1回大分国際車いすマラソン大会開催。。
  • 1984年7月23日 - 死去。57歳没。

ストーク・マンデヴィル・ホスピタル(Stoke Mandeville Hospital)は、バッキンガムシャーアイルズベリーにある公共病院。国民保健サービスにより管理されている。
この地で1948年7月28日ロンドンオリンピック開会式と同日)に行われた「ストーク・マンデビル競技大会」(障害者による最初の国際的な競技会)は、パラリンピックのルーツとなった。
















http://tokumei10.blogspot.com/2017/05/badge.html





、、、(爆wwwwwwwwwwwwwww

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

2015年10月4日日曜日
日本パラリンピックの父@毒油ぺドライン
http://tokumei10.blogspot.jp/2015/10/blog-post_49.html



2015年10月5日月曜日
天皇陛下と宿野部拓海選手@太陽の家
http://tokumei10.blogspot.com/2015/10/blog-post_68.html

匿名 さんのコメント...

76歳テロリストの氏名本名国籍等は出ないんですね

共謀罪が三度も廃案に追い込まれた国ならでは?



と強引にこじつけてみる



メッセンジャー役をこなしたのだから出ないか

匿名 さんのコメント...

大分中村病院 新病院建設再検討
05月23日 21時12分
大分市の大分中村病院が新しい病院をJR大分駅前に建設する予定でしたが、建設コストが高騰しているとして、この場所での建設を取りやめることになりました。

これは、大分中村病院を経営面で支援することになった政府系ファンドの「地域経済活性化支援機構」が23日夕方、県庁で記者会見を開いて明らかにしたものです。
それによりますと、大分中村病院は、大分市大手町にある病院の建物が老朽化したことから病院を新築する方針を決め、金融機関から資金を借り入れたうえで、JR大分駅前の土地を購入していました。
しかし、最近の建築資材の高騰などで病院の建物の建設費がかさむ見通しとなり、建設が難しくなったということです。
大分中村病院は、新病院の建設を今後、円滑に進めるため、「地域経済活性化支援機構」に事業再生の支援を申し込み、23日、支援が行われることが決まったということです。
大分中村病院は、1年以内をめどに大分駅前の土地を売却し、今後、新病院の建設場所を再検討することにしています。
www3.nhk.or.jp/lnews/oita/5073611001.html