2017年2月15日水曜日

チンコミサイル教徒・金正男の処刑を命じたのはブルース・リーを殺したラインかもね。(爆wwwwww


























風間 健(かざま けん、1944年(昭和19年)10月6日 - )は愛知県出身の日本の元キックボクサー俳優。本名は筒井 稔(つつい みのる)
1961年(昭和36年)、17歳で、名古屋で空手入門。12月に空手選手権大会優勝。
1962年(昭和37年)、聖道会師範代理となる。木下師範から棒術、遠藤剣峰・北辰神明流日本修道館館長より詩吟、大木警察学校剣道師範より剣道、警視庁柔道師範・田代道場館長より柔道を伝授される。
1964年(昭和39年)、翌年にかけ全国武道修行の旅に出る。

1965年(昭和40年)、香川県多度津町にある少林寺拳法宗道臣)師家のもと、宗教法人金剛禅総本山少林寺に入僧、武道専門学校に入学。同年、少林寺拳法全国大会にて最優秀賞(第1位)を得る。










、、、(爆wwwwwwwww

5 件のコメント:

GABRIEL さんのコメント...

金正男サンが
日本に出入り
しまくり時点で
日本が東キムチ
だとバレテーラ

彼がマカオやら彼方此方
往来出来た資金源は一体
何処からdeathカネ(笑)

匿名 さんのコメント...

wearing 'LOL' T-shirt

匿名 さんのコメント...

誰の代わりでしょうかね



1 :タイガースープレックス(岐阜県) [US]2017/02/18(土) 15:28:16.20 ID:8oPFxgwg0 BE:723460949-PLT(13000) ポイント特典

金正男が激白「北朝鮮を解放する!」(4) 「常に警護されている」真意
Posted on 2012年2月3日 10:56

(以下抜粋)
ところでこの本の出版が与える影響が小さくないことは、当然、予想されるところだ。
五味氏が出版を打診したところ、正男氏は、
〈ご理解をお願いします。北朝鮮の政権が、私に危険をもたらす可能性もあります〉
 と、今回の時期での出版について断っている。昨年大みそかのメールだった。
 それでも出版に踏み切った真意について、五味氏はこう話す。
「彼の立場ならそうでしょう。ただ、北朝鮮が17年間統治した指導者を失い、どの方向に
向かうかはっきりしない中で、長男の意見を広く世間に伝えるほうが意味があると考え
ました。さらにこの本を通じ、正男氏のイメージが変わり、多くの人が関心を持つように
なれば、逆に正男氏にうかつなことはできなくなると思います」
「父・金正日と─」は発売前後から大反響を呼んだ。日本、韓国はもちろん、米国や英国、
豪州など世界中のメディアから取材依頼が殺到しているという。
 ところで今、正男氏は、どこでどうしているのか。
「本を出すなら、われわれの関係は終わりだ、と言っていました。本への反応はありませんが、
たぶんどこかで入手して読むでしょう。そしてまた連絡してくれることを願います」(五味氏)
 五味氏のメッセージに、正男氏が再び応えてくれることを期待したい。
http://www.asagei.com/excerpt/3582





【全文】金正男氏殺害を受け、東京新聞・五味洋治氏が会見 - ログミー
http://logmi.jp/189361


金正男氏がマレーシアで暗殺されたとの報道を受け、『父・金正日と私 金正男独占告白』の著者である東京新聞編集員、五味洋治氏が、外国人特派員協会で会見を開きました。

シリーズ
五味洋治 記者会見 日本外国特派員協会
2017年2月17日のログ

スピーカー
東京新聞 編集委員 五味洋治 氏

参照動画
【北朝鮮 金正男氏とその死について】五味洋治 東京新聞編集員 記者会見 主催:日本外国特派員協会

いま1/2記事目を読んでいます

金正男氏毒殺を受け「非常にショック」

スクリーンショット 2017-02-17 15.25.24 五味洋治氏(以下、五味) 今回の金正男さんの毒殺については、個人的にも非常にショックを受けております。私だけではなくて、私の妻も非常にショックを受けていて、昨日も、夜、何回も泣いておりました。 先ほどより、本の話がありましたが、本の出版を一番反対したのは、私の妻です。それは、2011年1月に金正男さんと会ったときに、妻が同行してくれたからです。 当時、私は子供がいませんでしたので、もし、金正男さんと取材してトラブルに巻き込まれたときに、私だけ行方不明になるのはまずいと思って、妻に率直に話をして、一緒に行ってくれと頼みました。彼女は同意し、私が取材しているところを写真に撮ってくれました。 会社には取材のことは言わず、机の中に、手紙を置いていきました。万が一、私の行方がわからなくなったら、ここのホテルに泊まる予定だったと、この飛行機の便に乗る予定で、ここに行く予定だと、いろいろな日程を書いておきました。金正男氏が来ない可能性もあったので、来ない場合は、2人で観光旅行をしようと思っていました。 私が、なぜ、そんなリスクを冒してまで、マカオに行って、彼に会ったのでしょうか。それは、私が長年携わっていた北朝鮮報道に対する考え方からです。ご存知の通り、北朝鮮と日本は最も敵対している関係の国です。しかし、うわさ話や政府当局者の話が先行し、直接実名で語ってくれる人が、ほとんどおりません。 そのため、私は彼に、実名で写真を撮って、ビデオも撮っていいかと、きちんと確認した上で、取材をし、それを本人にも事前に原稿を見せて、東京新聞で記事にしました。そのあと、金正男氏はいろいろなところから、勇気のある発言をして嬉しかったと、とくに韓国からそういう連絡を受けたと言っていました。 その記事が出たあと、みなさんご関心があると思いますが、金正男氏からEメールが来て、「北朝鮮本国から警告があった」と、メールがありました。「ですから、これからは政治に関することはしばらく話しません」と。「でも、あなたとの交流は続けましょう」と言っていました。

北朝鮮の体制に批判的だった

その年の5月に北京で再開し、その前後も継続してEメールのやり取りをしました。その年の12月に、金正日総書記が亡くなり、北朝鮮の将来に対する懸念、不安が高まりました。 金正男氏には、私がこれまで積み重ねてきた取材、Eメールについて、本にしてもいいかということについては許可を受けています。ただし、「タイミングが、今は悪い、ちょっと待ってほしい」と言われたのは事実です。 私はタイミング的には非常に微妙な時期ではありましたが、彼の思想や北朝鮮に関する考え方、人間性を伝えることこそ、北朝鮮に関する関心を高め、理解が進み日本だけでなく他の国との関係が改善されるという信念のもとに、本を出版いたしました。 彼の主張を簡単に要約すれば、北朝鮮の体制のあり方に批判的だったということです。最初には「権力の世襲は社会主義体制と合わず、指導者は民主的な方法で選ばれるべきだ」と言っていました。 「北朝鮮は経済の改革開放、中国式の改革開放しか生きる道はない」とも言っていました.。この発言を報道したり、本にしたことで彼が暗殺されたとみなさまがお考えなら、むしろこういう発言で1人の人間を抹殺するという、そちらの方法に焦点が当てられるべきでしょう。 この3日間英語圏、中国圏、韓国語圏、数百件の電話をいただきました。私はみなさまがたにお勧めします。私に対してすべての答えを得ようとせず、ご自分で直接ソースにあたって、取材をしてみてください。それが北朝鮮を変える力になります。

知的で、礼儀正しく、ユーモアがあった

もともと私が金正男氏に関心を持ったのは、2001年北京の空港で取材の途中偶然出くわしたことからです(注:正しくは2004年)。 遊び人で、女性関係も複雑で、ギャンブル狂でいろんな噂がありましたが、私が合った印象では非常にインテレクチュアル、知的な方で、礼儀も正しく、ユーモアもあって、非常に楽さを感じました。 彼は金ファミリーの一員です。ですから現在の北朝鮮の情勢について、率直に話してくれるのではないかと期待し、それから7年間私なりの努力を続けて彼と接触しようとしてきました。 私もかなりのリスクを冒して彼と会いましたが、今、私が称賛したいのは彼の勇気です。彼がたとえそのあと、命乞いの手紙を出したとしても、彼は彼なりの決心で現在の北朝鮮の体制に関する批判をしたんだと思います。
金正男氏は少なくとも日本に5回来ている

批判ばかりではなくて、私が彼と会って、一番記憶に残っている言葉をひとつ紹介します。彼は、日本に少なくとも5回来ています。東京の高級な飲食店でお酒を飲むのが好きだと言っていました。 そこには、韓国系、北朝鮮系、一般の日本人もいて、一緒に歌を歌い、酒を飲んで楽しんでいた。「いつか、こういうふうに世界に壁がなくなればいいと思ったものです」と話しました。 私は、今、日本の外交関係の記事を書くことがありますが、ときどき、彼の言葉を思い出しながら記事を書いています。できれば、彼の言葉をより多くの人に知ってもらい、現在の北朝鮮を変えていく力につながればいいなと希望しております。 最後に、今回の事件についての見方に関する質問をたくさん受けます。正直に言うと、私がコメントする十分な材料がありません。推測でいろんな可能性を話すことは、私が最も避けたいことです。 昨日、妻とも話しましたが、私が今やることは、彼の死を深く悼み、彼の思い出を妻と共有し、さらに世界のあちこちにいる彼の友達と共有したいということです。 たくさんの取材の申し込みをいただきましたが、私の思いは今の言葉で尽きております。昔から関係のあるいくつかのメディアの方には、これからもお話しますが、取材は基本的にはお受けすることはしません。ご了解いただきたいと思います。個人的な時間もありませんし、まだ、私は心が非常に混乱していまして、まとまったお話ができません。 では、そろそろ時間になりましたので、このくらいにして、質問を受けさせていただきます。

匿名 さんのコメント...

金正男毒殺 過去に単独取材した記者が北朝鮮の内情を語る - ログミー
http://logmi.jp/189405

いま2/2記事目を読んでいます

金正男氏について各国の記者より質疑応答

記者1
 五味さん、再びお目にかかれて光栄です。金正男氏が、日本に旅行したからといって、後継者から外されたという疑惑について、私はいつも疑問に感じていました。奇妙な印象を受けます。なぜなら、彼らの家族すべてが、偽造パスポートや偽名を使っています。 そのため、彼が偽造パスポートを使ったことがそこまで恥ずべき行為であるとは思えません。あなたが、金正男氏と接触した際、彼ははっきりと証言したのでしょうか? 日本に行ったことが、彼が後継者から外された原因であると? そとれも元々後継者ではなかったのでしょうか? ディズニーランドでの事件について、この辺りはどのようにご覧になりますか?
五味洋治氏(以下、五味)
 この点については、本人に聞いたことがあります。「日本に来たことが、直接世襲から外れる原因になったとは思わない」と言っていました。 私の本にも書きましたが、彼はむしろ偽造パスポートで入国したことを、「非常に恥ずかしいことだ」と言っていました。あの事件以降北朝鮮はシステムを変え、偽名であっても基本的に北朝鮮パスポートを使うことになったと、私に説明していました。 今回彼が使っていたパスポートは、北朝鮮のパスポートで偽名だったそうですが、非常に悲しいことですが、彼が言っていたことは守られていたようです。
記者2
 五味さん、お疲れ様です。お久しぶりです。ジャーナリストのタカハシと申します。 今、内外の報道を見ていて一番私が違和感があるのが、金正男は、金正日が亡くなった後の後継者の1人として名前が挙がった云々というそれがあって、その影響で、金正恩が不安に思って彼を暗殺したのではないかと。 ただ、私は藤本健二さんという金正日の専属料理人の方にインタビューすると、金正恩は正妻ではない奥さんから生まれた子供であって、日本語でちょっと悪い言い方ですと、妾の子供であるという。それで、もともと、ぜんぜん後継者になる可能性はなかったと。 でも、そういうのを無視して、今、なんとなくサクセッション(後継者)の問題で、金正恩がそれを不安に思って殺したとかクーデターとか、いろいろな話がありますけど、そのあたり、みんなが議論しているもともとの土台がどうだったのか、ちょっとうかがいたいなと思って質問しました。
五味
 私の聞いた範囲でお答えします。彼は9歳から10年間留学し、20歳になる前に一旦帰国しました。その時に、お父さんの金正日さんと全国を歩き、経済的な開発の状態を視察したそうです。 しかし、ヨーロッパで見てきた社会のあり方と北朝鮮のあり方があまりにも違うため意見が合わず、仲違いし、彼の生活は荒れ、最終的に北朝鮮を去ることになったと聞いています。その話からして、一時的にせよ、お父さんから後継者として見られていたと私は判断しています。

最後に連絡を取ったのは2012年1月3日

記者3
 金正男氏と最後に接触したのはいつか、明確に教えていただけますか? そして、その時、彼は自身の身の危険に対する恐れ、つまり北朝鮮から暗殺の対象になっていると、口にしたのでしょうか?
五味
 最後にEメールの更新をしたのは、2012年1月3日のことです。その後も私は彼が目撃された場所に取材に行きましたが、(金正男氏は)1人で、もしくは2人で街を歩いたり食事をしたり、強く警戒をしている感じはなかったとまわりの人は言っていました。
記者4
 現時点において、金正男氏の暗殺に関する捜査については、容疑者は北朝鮮関係者ではないと言われています。もし、この暗殺を遂行したのが北朝鮮関係者ではないとすると、疑問があります。あなたと金正男氏の会話においては、彼が人生において抱えている問題、北朝鮮関係者以外で彼が恐れている人物について、話はありましたか?
五味
 私は彼に何回も、どんな仕事をして生きているのかと聞きました。彼はそのたびに答えを、はっきり答えませんでした。「投資の仕事をしている」と言うだけでした。ですから、それ以上の手掛かりはありません。
記者5
 お越し頂きありがとうございます、五味さん。この数日でいくつかの報道がありました。北朝鮮の一般人の多くは、金正男氏という存在を知らない、そのため、今週前半にクアラルンプールで起きた事件について、公式のコメントが無いと。 彼との接触において、彼は自身が北朝鮮の人々に知られているかどうか発言はありましたか? もしくは、北朝鮮の人々の彼に対する印象など知っていますか? 私が話した人物によると、彼は大変有名人で、一般的な北朝鮮の人々にも知られている、と言っていました。 彼が自由な人物であるので、若干の嫉妬と同時に、尊敬が混じっているそうです。また、金正日氏と彼が北朝鮮の経済視察に同行したのは、明確にいつのことか、再度教えてください。
五味
 金正男さんの存在というのは、北朝鮮では忘れ去られています。ただ最近は携帯電話の普及や国境地帯での行き来を通じて、彼の存在や彼の発言について知る人が増えているそうです。 日本で会ったある脱北者の方がこう言っていました。「噂話で、金正日総書記の長男が北朝鮮のことを批判している。なにか北朝鮮が変わるきっかけになるかもしれない。北朝鮮でその噂を聞いた時に希望を持った」と言っていました。 ただ、それが反体制運動につながっていたかというのはわかりません。たぶんなかったでしょう。それほど重要な地位にあるなら、1人で空港に出かけたり、海外にあちこち行くような行動はしないと思います。 お父さんと金正男さんが経済視察した時期は、たぶん1990年代前半だと思います。

(続きます)

匿名 さんのコメント...

(続きです)

彼は中国で保護を受けていた

記者6
 より明確にするために質問させてください。あなたは彼と7年間連絡を取り合っていたと言いました。しかし、あなたは最初に彼に会ったのは2001年と言いましたよね? そして最後の連絡は、2012年ということなのですが、具体的にどの期間連絡を取っていたのでしょうか? そして何語で彼と連絡を取っていましたか? そして彼は何ヶ国語話せましたか?
五味
 ちょっと整理してお話します。最初の出会いは2004年、北京国際空港で偶然目撃したことです。2004年ですよね? さっき間違えました? 2001年は成田空港で拘束されたときです。2010年10月に再び彼からメールをもらい、2011年1月にマカオで会い、2011年5月に北京で会い、最後の連絡は2012年1月ということです。 計7時間ほど話を聞き、150通ほどのメールをやり取りしました。言語のことですが、残念ながらイタリア語は話さなかったようですが、フランス語、英語、ロシア語。とくにフランス語は得意だと言っていました。日本語は日常生活程度、中国語はあまり得意でないと言っていました。
記者7
 あなたが彼とやり取りしていたメールから、質問します。北朝鮮は中国をどのように認識していたかということです。以前北朝鮮の専門家にインタビューしたところ、特に金正男氏は中国と非常にいい関係を築いていると言っていました。 このことが北朝鮮のリーダを苛立たせたのかもしれません。そこで、殺害に関する中国の役割と、金正恩が殺害を指示したかという2つの質問にお答えいただけますでしょうか?
五味
 暗殺命令を誰が出したかということについて、私が確実に言える証拠がありません。中国と彼との関係についてお話しいたします。彼は中国に家があり、中国にいる間には中国の公安当局のボディガードがついていると認めていました。 私が会ったときには、中国人ドライバーの車で出迎えを受けていました。本人も、中国から保護を受けていると言っていましたが、ここ数年は、そういう保護が煩わしいというふうに言っていたと、彼の友人から聞きました。 ここ数年、彼が東南アジアを行き来していたというのは、私も確認しております。そのため、中国と金正男氏の関係は、必ずしも順調でなかったのかもしれないというふうに、私は見ております。 まだ、中国はこの事件について正式な反応は見せていませんが、それは戸惑いの証拠だと思います。中国と北朝鮮は、朝鮮戦争を戦った同胞、同盟関係ですが、この事件でますます遠ざかるのではないかと、関係が悪くなるのではないかという感じもしています。

金正男氏はなにを伝えたかったのか

記者8
 最後にあなたが受け取ったメールに関してなのですが、私の計算によると、金正日氏が亡くなって2週間後にメールを受け取ったと思います。そこで父の死に関しどのような悲しみを述べていたかお教えいただけますか? そして最後の連絡で、彼はあなたと再び連絡を取り合う兆候を見せていましたか?
五味
 そうですね、亡くなった直後にもメールで慰労の言葉を送りましたが、何日も返事がありませんでした。それで、私の本の出版計画も進んでいたため、それを連絡したところ、これで連絡は終わりにするというふうに、最後のメールが1月3日に来たため、その後のやり取りはありません。 ですから、彼の心境というか、父を失った悲しみというのは、直接は、私が感じることはできませんでした。
記者9
 朝日新聞のキタノです。金正男氏については、世界中のジャーナリストが彼を追っている中で、五味さんはなぜ自分が選ばれたんだと思いますか? 日本人だからでしょうか? それとも、やっぱり個人的に話したかったんでしょうか? それとも、彼は五味さんを通じて、誰に何を訴えたかったんだとお考えになりますか?
五味
 質問ありがとうございます。それは、非常に簡単なことなんです。金正男さんは、2001年に日本に不法入国しようとして摘発されてから、完全に後継者レースから外れたと、もう政治的意味はない。彼を追いかけても何も意味がないと、ほとんどの人は考えました。 私は2004年に彼と偶然に会ってから、彼の魅力というか、力というか、彼はきっとなにか話してくれる人で、それが現在の北朝鮮に影響を与えるのではないかという予感があって、ずっと自分の時間とお金を使って、彼を取材し続けました。本当にあちこち行きました。香港にも行きました。マカオにも行きました。北京にも行きました。シンガポールにも行きました。自分の時間をほぼそれに割いてきました。 それを、記事にもしてきました。何回も。彼は、平壌で私の記事を翻訳して読んだそうです。私に関心を持っているジャーナリストがいるということで、彼は僕に連絡してきたわけです。たぶん、そのときには、彼に対する真摯な関心を持っているのは、僕だけだったんじゃないでしょうか。それを、彼も感じてくれたんだと思います。 たぶん彼は、自分の危険を感じながらも、私やほかのメディアを通じて、自分の意見を平壌に伝えたと思います。2011年1月、マカオで会ったとき、彼は、私のインタビューを受けるときに、全身に汗をかいて、非常に苦しそうな様子で答えていました。 彼も自分なりに、この発言がどんなふうに受け取られるか感じていたのかもしれないなと、今思うと、なんと言うか、心が痛みます。以上です。

金正男氏は金正恩氏と会ったことがない

記者10
 金正男氏はスイスでの生活についてあなたに何か伝えましたか? また、金正男氏は金正恩氏とスイスで会ったことはあると言っていましたか? また、今まで金正恩氏と北朝鮮や他の国で一度でも会ったことがあると言っていましたか?
五味
 わかりました。ありがとうございます。金正男氏は、「金正恩さんとは会ったことがない」と言っていました。金正哲氏とは、海外で会ったことがあると話していました。金正哲、2番目の息子ですね。 「会ったことがないので、金正恩さんの性格についてコメントできない」と言っていました。これは、私は当初信じられませんでしたが、多くの脱北者の人たちが会っていないんじゃないかという話はしていました。 スイスでは、いろんな国籍の人と付き合って楽しかったと。あとは、ヨーロッパのいろんな国に行って、自分の見聞を広めたというふうに言っていました。