文化人類学者の加藤九祚さん死去 ウズベキスタンで
9月12日 16時56分
シベリアや中央アジアのシルクロードを中心に歴史や民族の調査を続けてきた文化人類学者の加藤九祚さんが、発掘のため訪れていたウズベキスタンで日本時間の12日未明、亡くなりました。94歳でした。
加藤さんは大正11年に朝鮮半島で生まれ、上智大学の予科に在学中に徴兵されて、終戦後、ソ連軍の捕虜になり、昭和25年までシベリアに抑留されます。
帰国後に上智大学を卒業すると、シベリア抑留中に学んだロシア語を使ってシベリアの歴史や民族の研究を始めました。
昭和50年には国立民族学博物館の教授になり、翌年、アイヌ民族の研究者として知られるニコライ・ネフスキーの生涯を書いた「天の蛇」で大佛次郎賞を受賞しました。
また、中央アジアのシルクロードの研究も手がけ、地域の情勢が安定しないことから発掘調査が進んでいなかったウズベキスタンの仏教遺跡などの調査にあたったほか、一般向けの著作も数多く出版しました。
平成11年に南方熊楠賞に選ばれ、平成23年には瑞宝小綬章を受章しています。
加藤さんは立正大学がウズベキスタンのテルメズで行っている発掘調査に同行していましたが、大学によりますと調査中に倒れて現地の病院に入院し、日本時間の12日未明、亡くなったということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160912/k10010682321000.html
加藤 九祚(かとう きゅうぞう、1922年5月18日 - 2016年9月11日)は、日本の人類学者。アジア文化史。創価大学、国立民族学博物館名誉教授。
経歴
朝鮮慶尚北道生まれ、山口県に育つ。鉄工所工員・小学校代用教員を経て、上智大学予科入学。1944年に応召し、満洲へ出征。1945年敗戦により、ソ連軍に捕らえられ、シベリア抑留。1950年帰国、1953年に上智大学文学部独文科卒業、平凡社入社。ユーラシア大陸の考古学等の研究・翻訳紹介を始め、1963年、最初の著作『シベリアの歴史』を刊行。
- 1975年、国立民族学博物館教授。
- 1976年、ロシアの日本学者ニコライ・ネフスキーの評伝『天の蛇』で大佛次郎賞受賞。
- 1983年、「北東アジア民族学史の研究」で大阪大学学術博士。
- 1986年、民博退官後、相愛大学教授、創価大学教授。
- 1991年、大阪市民表彰。
- 1992年、ロシア科学アカデミー名誉歴史学博士。
- 1994年、大同生命地域研究賞受賞。
- 1999年、南方熊楠賞受賞。
- 2009年、個人雑誌『アイハヌム』でパピルス賞受賞。
- 2011年、秋の叙勲で瑞宝小綬章受章。
2001年より単独編集誌『アイハヌム 加藤九祚一人雑誌』を秋から冬にかけ、毎年1冊東海大学出版会で刊行している(2010年版は、他の著作が重なり翌年刊)。
2016年9月、ウズベキスタンで発掘調査中に倒れ、搬送されたテルメズの病院で死去。享年94[1]。
→平凡社
、、、(爆wwwwwwwww
2 件のコメント:
ロシア語ペラペラで上智大出身の上坂すみれさんを思い出すw
叙勲 OR 除菌
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