2016.8.29 15:29更新
「新演」会長の広瀬光康氏が死去
クラシック音楽事務所「新演」会長の広瀬光康氏(ひろせ・みつやす、本名・清=きよし)が28日、肺がんのため死去、80歳。通夜は9月2日午後6時、葬儀・告別式は同3日午前11時、東京都練馬区豊玉北2の8の7、豊玉ホールで。喪主は長女、渡辺朗子(わたなべ・あきこ)さん。
岐阜県出身。国立音楽大卒。クラシック音楽事務所「新演奏家協会」(現・新演)の代表取締役を約30年間務めた後、会長に就任。NPO法人「日本青少年音楽芸能協会」の理事長も務めた。
http://www.sankei.com/entertainments/news/160829/ent1608290006-n1.html
日本でのクラシック音楽事務所の草分け的存在である新演は、1941年帰国間もないピアニスト、安川加壽子の第1回独奏会をマネジメント、活動を開始しました。1950年新演を設立(1961年法人化)。
優れたアーティストの提供と共に、何よりも世界の財産であるクラシック音楽及びバレエをとおして、心から感動できる場づくりに邁進してまいります。また、リサイタル・マネジメントでは、丁寧な仕事が演奏家から高い信頼を得ています。2016年6月27日「有限会社 新演奏家協会」を社名変更し「株式会社 新演」に移行いたしました。
安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 2007年1月14日)は、国文学者、中央大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。
祖父は安川財閥創立者の安川敬一郎。父は安川電機創立者の安川第五郎[2]。母・松子は杉村陽太郎の妻・花子の妹。妻はピアニストの安川加壽子。外交官の安川荘と安川電機第4代社長の安川敬二はともに兄[2]、医師で幾島家の養子となった幾島明は弟[2]。地球物理学者の坪井忠二は幾島明の義父[2]。
安川 加壽子(やすかわ かずこ、1922年2月24日 - 1996年7月12日)は、1940年代から活躍した日本のピアニスト。旧姓、草間。独身時代は草間 加壽子(くさま かずこ)として活動していた[1]。
兵庫県武庫郡深江(現・兵庫県神戸市東灘区深江)生まれ[2]。父、草間志亨は国際連盟事務局などに勤めた外交官、母は世良[3]。1923年からパリで育ち[4]、当時のフランスで最も新しい流儀を身に付け、帰国後は日本の楽壇の中心人物として演奏活動、教育活動を行った。
略歴
- 1923年 - 一家で渡仏[4]。
- 1934年 - パリ国立高等音楽院ピアノ科本科入学、ラザール・レヴィに師事。
- 1937年 - 音楽院一等賞卒業。
- 1939年 - 国際情勢悪化のため帰国。1940年国内でのデビューリサイタル。
- 1944年 - 国文学者・安川定男と結婚[5]。二男一女をもうける。
- 1983年 - リウマチの悪化により引退。
受賞歴
- 1937年 - パリUFAM国際婦人コンクール名誉賞
- 1947年 - 芸術祭文部大臣賞
- 1953年 - 毎日音楽賞
- 1959年 - 学術シュバリエ勲章(フランス政府)
- 1960年 - 文芸オフィシェ勲章(フランス政府)
- 1967年 - レジオン・ドヌール・シュバリエ勲章(フランス政府)
- 1970年 - 第21回放送文化賞
- 1972年 - 第13回毎日芸術賞
- 1975年 - 第31回日本芸術院賞[6]
- 1984年 - ポーランド国家功労金章
- 1986年 - 第2回東京都文化賞受賞、有馬賞(NHK交響楽団)
- 1993年 - 勲二等瑞宝章「春の叙勲」
- 1994年 - 文化功労者顕彰
審査員歴
- 1971年 - ロン=ティボー国際音楽コンクール審査員
- 1973年 - ジュネーヴ国際音楽コンクール審査員
- 1975年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール審査員
- 1976年 - ハエン国際音楽コンクール審査員
- 1977年 - クリーブランド国際音楽コンクール審査員、ロベール・カサドシュ国際ピアノコンクール審査員
- 1978年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール審査員
- 1980年 - ショパン国際ピアノコンクール審査員、日本国際音楽コンクール運営委員および審査員
- 1981年 - ロン=ティボー国際音楽コンクール審査員
- 1982年 - サンタンデール国際ピアノコンクール審査員
- 1983年 - 日本国際音楽コンクール運営委員および審査員
- 1985年 - シドニー国際ピアノコンクール審査員、クリーブランド国際音楽コンクール審査員
- 1986年 - 日本国際音楽コンクール運営委員長
- 1987年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール審査員
- 1988年 - モントリオール国際音楽コンクール審査員
- 1991年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール審査員、浜松国際ピアノコンクール運営委員および審査員長
役職歴
日本芸術院会員、芸術家会議会長、日本演奏連盟理事長、日本ピアノ教育連盟会長、日仏音楽協会会長、フランス語教育振興協会会長、NHK交響楽団評議員、日本フィルハーモニー交響楽団理事、日本ショパン協会会長、日本フォーレ協会会長、日本音楽コンクール委員・審査員、日本国際音楽コンクール運営委員長、ABC音楽振興財団審査員長、シンフォニーホール賞委員、日本芸術文化振興財団委員、芸術研究振興財団理事。三菱文化振興財団理事、日本ユニセフ協会評議員、東京文化会館運営審議会委員、東京芸術劇場運営審議会委員、東京藝術大学名誉教授、桐朋学園大学客員名誉教授、大阪音楽大学客員教授教育版
戦後、ドビュッシーの楽譜の輸入版が高価すぎることや、フランス直伝の教えを受けられない人々のために、ドビュッシーピアノ独奏作品全集を分冊の形で音楽之友社から出版した。運指やペダリングは独自のものが書かれており、現在でも使えると主張するピアニスト[誰?]も少なくない。安川の没後に欠番であった連弾・2台ピアノのための曲集も出版された。評伝
門弟の青柳いづみこが、『翼の生えた指 評伝安川加壽子』(白水社、1999年(第9回吉田秀和賞受賞)/白水Uブックス、2008年)を著している。日本で社畜以外の比較的自由な職業でメシを食っていけてる上級国民はおいらのようなごく少数の例外以外はみんなひも付きのアレなんですよ。(爆wwwwwww
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安川加寿子 ピアノの練習ABC
安川加壽子 ピアノのテクニック
上野学園 石橋 安川
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