2016年7月18日月曜日

バトンルージュ

米ルイジアナ州で警官ら撃たれ3人死亡…CNN
2016年07月18日 00時56分

【クリーブランド(米オハイオ州)=田原徳容】米CNNテレビが当局者の話として報じたところによると、米南部ルイジアナ州の州都バトンルージュの警察庁舎付近で17日、警官ら7人が撃たれ、警官3人が死亡した。

銃撃犯は逃走中で、周辺が閉鎖された模様だ。

目撃者が地元テレビに語った話によると、銃撃犯は1人。黒っぽい服装で顔は隠されていたという。

バトンルージュでは今月5日、白人警官が黒人男性(37)を射殺。警官が男性を押さえ付け、至近距離から発砲した動画がインターネット上で公開されたことから、警官の黒人に対する過剰対応に抗議するデモが拡大。7日には、南部テキサス州ダラスで行われた抗議デモの最中に警官らが狙撃され、14人が死傷。その後もデモが各地で頻発している。
2016年07月18日 00時56分 Copyright © The Yomiuri Shimbun


日本人留学生射殺事件(にほんじんりゅうがくせいしゃさつじけん)とは、1992年10月17日アメリカ合衆国ルイジアナ州バトンルージュで日本人留学生が射殺された事件である。
1992年10月17日夜の8時半、ルイジアナ州バトンルージュに交換留学 (AFS)を通じて留学していた愛知県立旭丘高等学校3年生の、服部剛丈(はっとり よしひろ、1975年11月22日生まれ、当時16歳)が、ハロウィンの衣装を着用し[1]、寄宿先のホストブラザーのヘイメーカーとともにハロウィンのパーティに出かけた。しかし、訪問しようとした家と間違えてロドニー・ピアーズ家の敷地に足を踏み入れてしまった。ピアーズの妻は敷地内に侵入してきた変装した二人の男を発見し驚き、急いで屋内に逃げ込みドアのカギを閉め、夫に銃を持ってくるように叫んだ[2]。ピァーズの証言によれば、「このときヨシ(服部剛丈)はドアを激しく蹴り、罵声を発したとされる[3]。妻の叫びを聞いて夫のピアーズ(当時30歳)は護身用のスミス&ウェッソン社製の.44マグナム(機種は不明)を持ち出し、二人を不法侵入者と判断し銃を向けて、「フリーズ(Freeze「動くな」の意)」と警告した[3]
これに対し服部は誤解を晴らすために[4]「パーティに来たんです (We're here for the party.)」と微笑みながら片言の英語で説明したものの、警告を受けた場合の米国での対処のルールを知らず、立ち止まらずそのままピアーズの方に歩み続けた[5]。これに対してピアーズは服部に対して4回「ストップ (Stop!)」と叫んだとしている[3]。このとき米国人のヘイメーカーは状況が極めて危険であることが理解できたので、服部に大声で動かないように注意している。
ピアーズの側は、暗闇の中、自宅の敷地に侵入してきたハロウィンの服装をした男が、銃口を向けられ、警告を受けてもまったくそれに動ぜず、なお自分のほうに凶器[6]を手にして速度を緩めず近づいてくるのを見て非常に驚き恐怖を感じた[3]。そして男が玄関先約2.5mの近距離まで近づいてきたので威嚇射撃をする余裕もなくで彼の胸部に向けて拳銃を発砲した[7]。弾丸は服部の左肺の上部と下部を貫き、第7肋骨のあたりから抜け出た。救急車が呼ばれたが、服部は出血多量により、車中で息絶えた[8][9][10]

しかしながら、撃たれたとき服部は敷地内に侵入したものの、屋内へ立ち入ったわけではなかった。また服部が暗闇で手に持っていたのはピアーズが誤認した凶器ではなく、実際はカメラであったことが後に判明している。






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団体種類 公益財団法人
設立 1980年4月17日(創立1955年2011年1月4日公益財団法人移行)
所在地 日本の旗 日本 東京都港区虎ノ門1-22-14 ミツヤ虎ノ門ビル7F



































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