2016年5月5日木曜日

佐藤信二・元通産相@三笠宮サイドが死去…日米「密約」を保管

 通産相や運輸相を務めた元自民党衆院議員の佐藤信二(さとう・しんじ)氏が3日、東京都内の病院で死去した。

84歳だった。告別式は12日午後1時、東京都目黒区碑文谷1の26の24カトリック碑文谷教会。喪主は妻、和子さん。

安倍首相の大叔父に当たる佐藤栄作元首相(故人)の次男。1974年の参院選・全国区で初当選し、79年に衆院議員(旧山口2区)に初当選し、計8期務めた。88年に竹下改造内閣で運輸相、96年には第2次橋本内閣で通産相を務めた。

2005年7月、郵政民営化関連法案を採決した衆院本会議を欠席。同年9月の衆院選には出馬せず、政界を引退した。

沖縄返還交渉で有事の際の核持ち込みを巡り、当時の佐藤首相がニクソン米大統領との間で交わした、日米間の「密約」文書を保管していることが09年12月に明らかになり、大きな反響を呼んだ。
2016年05月04日 17時46分
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160504-OYT1T50030.html?from=ytop_ylist







佐藤 信二(さとう しんじ、1932年昭和7年)2月8日 - 2016年平成7年)5月3日[1])は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)。勲等は勲一等。衆議院議員永年在職表彰受彰。第61、62、63代内閣総理大臣佐藤栄作の次男。

山口県熊毛郡田布施出身。東京都立大学附属高等学校を経て慶應義塾大学法学部卒業後、日本鋼管株式会社に入社。
1974年第10回参議院議員通常選挙全国区に出馬し初当選。沖縄開発庁政務次官を務める。1979年第35回衆議院議員総選挙にて、旧山口2区へ出馬し衆議院議員に初当選(当選同期に保利耕輔畑英次郎麻生太郎岸田文武白川勝彦丹羽雄哉亀井静香吹田あきら宮下創平亀井善之船田元など)。
自民党では父が率いた佐藤派の流れを汲む田中派竹下派→小渕派に属した。竹下改造内閣運輸大臣として初入閣。1992年東京佐川急便事件で竹下派が小沢一郎羽田孜支持グループと小渕恵三支持グループに分裂すると、佐藤は村岡兼造中村喜四郎西田司野中広務らとともに小渕恵三を支持した。第2次橋本内閣では通商産業大臣を務めた。1998年自由民主党総裁選挙では領袖の小渕を推す派の意向に反して出馬した梶山静六を支持し派を離脱した。
1994年公職選挙法改正(小選挙区比例代表並立制施行)以降の選挙では、1996年第41回衆議院議員総選挙山口2区に出馬し当選。しかし、2000年2003年の衆院選では民主党平岡秀夫に連敗。2003年総選挙では比例中国ブロックで復活当選した。比例名簿では当選最下位であったため、引退した宮澤喜一が終身比例名簿1位のままであれば落選になっていた。
1997年1月の記者会見で「発電、送電事業の分離はタブーとされてきたが、大いに研究すべき分野だ」と電力業界の競争政策に関して発言したことで、電力の自由化の流れの嚆矢となった。
2005年7月5日郵政国会の衆議院本会議の郵政民営化法案の採決では欠席して造反。同年9月11日第44回衆議院議員総選挙には出馬せず政界を引退した。通算当選8回(参1回)。なお、急な引退表明をする一方で後継者指名をしなかったため、自民党山口県連は早急に山口2区での候補者選定を迫られることになった。自民党の後任候補は公示9日前に福田良彦を擁立することになった。

政界引退後

2008年2月18日台湾陳水扁総統から、日華議員懇談会の前会長として長年・日台友好に寄与した功績として、台湾で外国人議員に贈る最高栄誉の勲章である「大綬景星勲章」を現会長の平沼赳夫とともに授与された[2]
台湾高速鉄道の日本連合受注に大きく貢献した。
2009年12月22日、東京都世田谷区代沢の私邸に保管していた、沖縄返還にあたり有事の際にはアメリカ軍が沖縄に核兵器非核三原則に違反して持ち込む事を容認する、父・栄作と大統領リチャード・ニクソンの秘密合意書(詳細は日米核持ち込み問題を参照)を公開した(なお、機密文書を持ち帰ったのは栄作である)[3]
座右の銘を「愚公移山」としていた。
2016年5月3日死去[1]。84歳没。

栄典

家族・親族




陳水扁 マネーロンダリング


陳水扁 9月11日

site:tokumei10.blogspot.com 陳水扁 チャーチル



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