2016年4月1日金曜日

『ガリガリ君』値上げ謝罪CMソングに高田渡(洗礼名パウロ)の「値上げ」を使用



氷菓「ガリガリ君を始めとした赤城乳業の製品が4月1日から値上げすることに伴い、本日4月1日と4月2日の2日間限定のテレビCMをオンエア。
このCMで高田渡の楽曲「値上げ」がCMソングとして使用されている。

「ガリガリ君」は1981年の発売当時は50円で、1991年に10円値上げし60円になったが、そこから25年間価格を据え置いてきた。
CMの内容は、赤城乳業の本社工場で神妙な面持ちで整列する同社社員たちを映したもの。映像の最後に字幕で「25年間踏ん張りましたが、60→70」と10円値上げすることを伝えつつ、社員たちが頭を下げている。

「値上げ」は1971年に発売された高田渡のアルバム「ごあいさつ」の収録曲。
「値上げは全然考えぬ」という言葉が少しずつ変更されて最終的に「値上げに踏み切ろう」になるという、政治家の答弁を思わせる歌詞になっている。

http://natalie.mu/music/news/182003









高田(たかだ わたる、1949年1月1日 - 2005年4月16日)は、1960年代から2000年代にかけて活躍したフォークシンガー
父親は、詩人・活動家・元共産党員の高田豊。 マルチ弦楽器奏者の高田漣は息子。

岐阜県北方町出身、材木商の実父は資産家で篤志家でもあったが破産し、東京都深川の援護施設で父子生活をする。少年時代の一時期、佐賀県鹿島市で育てられた。 東京都立市ヶ谷商業高等学校卒。
山之口貘金子光晴草野心平らの現代詩にフォークのスタンダードを組み合わせ全く別物をつくり上げる作業を得意とし、添田唖蝉坊の流れを汲み時事の話題を辛辣に滑稽に取り上げ、皮肉たっぷりの作風は大いに客を惹きつけた。「人間は、なにかコンプレックスがあると、ほかの方法でそれを乗り越えようとする。その方法というのが僕にとっては歌だったのかもしれない」という[1]

岡林らとの「三億円強奪事件の唄」「自衛隊に入ろう」、「転身」「しらみの旅」「生活の柄」「長屋の路地に」「鉱夫の祈り」など数多くのアメリカ民謡に詞を乗せた曲を生み出している(上記の曲、全て原曲はアメリカ楽曲)。「自衛隊に入ろう」は、1968年の第3回関西フォークキャンプ1969年の第4回関西フォークキャンプのコンサートのライブ録音が有名。


フォーク集団「アゴラ」

1960年代後半に、遠藤賢司南正人金子章平(後に音楽プロデューサーとして活躍)、真崎義博(ボロディラン)らと東京でアマチュアシンガーの集団「アゴラ」として活動。
1968年第3回関西フォークキャンプ(8月9日-11日、京都・山崎「宝寺」)に参加。「自衛隊に入ろう」を唄い、観客に衝撃を与える。

関西時代

1960年代末、京都に拠点を移す。高石ともや岡林信康中川五郎早川義夫加川良岩井宏らと関西フォーク・ムーブメントの中心的存在となる。
1969年URCレコードから五つの赤い風船とのカップリングアルバムでデビュー。また後に、京都ひがしのひとし古川豪らと親交を深める。全日本フォークジャンボリーには第1回から参加。また第2回ではURC関連の出版社にいた加川良をステージ上に引っぱり出し、フォークシンガーとしてデビューさせる (後にステージ上に引っぱり出したのは演出であり、フォークジャンボリーで加川をデビューさせるのは予定されていたことだと加川によって明かされる)。
弾き語りと対話形式の『汽車が田舎を通るそのとき』をリリース。キングから、はっぴいえんどを従えた『ごあいさつ』をリリース。この『ごあいさつ』には、高田の代表曲でシングルカットもされ、後に真心ブラザーズがカバーした「自転車にのって」が収録されている。

吉祥寺フォーク」の仲間たちと

1970年代初頭、東京に拠点を移し、シバ友部正人いとうたかおなぎら健壱佐藤GWAN博林ヒロシ林亭佐久間順平大江田信)らを率い、「吉祥寺フォーク」の第一人者的存在に。
1971年第3回全日本フォークジャンボリージャグ・バンド武蔵野タンポポ団を編成。吉祥寺派に加えて中川イサト山本コウタローが参加。また、シバいとうたかおが武蔵野タンポポ団により人気者に。そのときの模様は、『武蔵野タンポポ団の伝説』『もうひとつの伝説』としてベルウッドからリリース。
系図』では、タンポポ団を従えてレコーディング。いとうたかおの唄う「あしたはきっと」が収録され、それが好評で、いとうのアルバムデビューの布石となる。 1970年代半ば、カントリーブルーグラス色をより深める。
1973年薗田憲一薗田憲一とディキシーキングス)、柳田ヒロを従えた『』をリリース。
1976年細野晴臣中川イサトヴァン・ダイク・パークスらをバックに、『FISHIN' ON SUNDAY』をリリース。春一番コンサート、ホーボーズコンサートなどに参加。
1977年、佐久間順平らとヒルトップ・ストリングスバンド結成。フォーライフ・レコードから『バーボンストリート・ブルース』を発表。
1983年、『ねこのねごと』リリース。
1993年、『』リリース。
1999年、ライヴアルバム『ベストライブ』発表。

晩年

2001年、『日本に来た外国詩…。』リリース。
2004年、彼の日常のドキュメント映画『タカダワタル的』が発表され注目を集める。監督タナダユキ
2005年4月3日北海道白糠町でのライブの後に倒れて入院4月16日午前1時22分、入院先の北海道釧路市病院心不全により死去。56歳没。死の直前に病院でカトリックの洗礼を受け(洗礼名パウロ)、葬儀ミサはカトリック吉祥寺教会で執り行われた。

2008年、『タカダワタル的』に続くドキュメント映画『タカダワタル的ゼロ』が公開。


、、、(爆wwwwwwwwwwwwww

4 件のコメント:

ご近所 さんのコメント...

倅www
鬱陶しいんで放流しますたw

匿名 さんのコメント...

大阪の日雇いから豊田の一般市民と盗撮癖は直らんな

ご近所 さんのコメント...



山ニダひーちゃんのロリコンの方の垢に画像投げたのそんなに気に触った?w
嫌なら引きこもっとけば?w
で、わざわざ正解判定コメント入れにきたの?荷物はまとまった?(爆wwwwww

匿名 さんのコメント...

確かにどう見てもガリガリ君ではない