2015年12月5日土曜日

Yellow Flag@富光寺@大阪市淀川区加島4-10-8

 4日午前3時半ごろ、大阪市淀川区加島4丁目の山陽新幹線高架下の橋脚塗装工事の現場で、「足場が崩れ、けが人がいる」と現場監督の男性から119番通報があった。大阪府警によると高さ約7メートルの足場から作業員9人が転落。30代の男性が頭蓋骨(ずがいこつ)骨折の重傷を負ったほか、20~40代の男性7人も打撲などの軽いけがをしたという。

淀川署によると、現場は神崎川河川敷の新幹線高架下。作業員13人が3日午後11時ごろから工事のため足場を組み立てていたところ、高架の側面と足場のパネルをつなぐチェーン4本が切れ、パネルが縦約3・8メートル、横約7・2メートルにわたって垂れ下がった。パネル上では9人が作業しており、全員が河川敷のコンクリート上に転落したという。うち1人はけがはなかった。

http://www.asahi.com/articles/ASHD423L4HD4PTIL005.html





富光寺(ふっこうじ)は大阪市淀川区にある高野山真言宗仏教寺院
天正19年(1591年)奥付の「富光寺縁起」によると、大化年間(645年 - 650年天竺より飛来した法道仙人が、播州の法華山に住み真言宗を広めた。 ある時、紫雲に乗っていると加島に霊光あるを気づき、その辺りの木から阿弥陀仏を刻み、一宇を建立したのが富光寺の起源と伝える。 大化5年(649年)には孝徳天皇が病気平癒を祈祷させ、寺領と勅願を下賜したという。 また、四天王寺参詣途中の比丘尼が夢に聖徳太子が現れ、加島に行くよう告げられ、訪れてみると放光の仏舎利を発見し、当寺へ奉納したという。

建永2年(1207年)には法然上人が土佐に配流される途中、当寺に泊まり、その夜神崎遊女に念仏の法話を聞かせたと伝える。 香具波志神社に参詣した執権北条時頼が大梵鐘を寄進。延元元年(1336年)には足利尊氏を追う楠木正成神崎橋上から富光寺の本尊に戦勝祈願したといわれる。 三好長慶も願を掛け本陣にしており、山号長慶山はこれに因む。 豊臣秀吉朱印地を寄進。 慶長年間(1596年頃)僧実印が再興。 現在の本堂は昭和58年(1983年)の新築。


法道ほうどう)は、インド仙人。鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢(くはつ-)、空鉢仙人(からはちせんにん)とも呼ばれる。
6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へと渡ってきたとされる。播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺す、数多くの勅願寺を含む所縁の寺がみられる。

また、日本に渡るときに牛頭天王と共に渡ったとされその牛頭天王は姫路市にある広峰神社に祭られ、その後現在は八坂神社中の座に祭られたとされている。 法道仙人が六甲山雲ヶ岩(紫雲賀岩)で修業中、紫雲に乗って出現した毘沙門天を感得する。雲ヶ岩、六甲比命大善神、心経岩を奥ノ院とする吉祥院多聞寺(神戸市北区唐櫃)を創建する。 関東でも鉢山町神泉町など地名が法道由来とされる。







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