2015年12月12日土曜日

「モランボン楽団」北京初公演ドタキャン

 【北京・西岡省二】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が結成した女性音楽集団「モランボン楽団」が、12日夜に予定されていた北京での初公演を土壇場でキャンセルし、同日午後、帰国した。原因は不明。中朝双方が公演を機に関係改善ムードを演出してきただけに両国間に再び暗雲が垂れこめそうだ。

関係者によると、メンバーは10日に朝鮮人民軍の「功勲(コンフン)国家合唱団」とともに北京入りし、11日には市内参観やリハーサルをこなした。ところが、12日午後になって北朝鮮の池在竜(チ・ジェリョン)駐中国大使とともに北京首都国際空港に向かい、高麗航空便で帰国の途に就いた。

今回の公演は中国共産党と朝鮮労働党との党間交流の一環で、共産党対外連絡部が招請。12〜14日に国家大劇院で予定され、党指導部のメンバーが観覧するとみられていた。楽団の帰国を受け、王家瑞・前共産党対外連絡部長が12日午後、北朝鮮側の宿泊先を訪問。終了後は無言で立ち去った。功勲国家合唱団は北京に残ったが、公演を行うかは不明だ。

モランボン楽団の帰国について、北京の外交関係者は「金第1書記の水爆保有発言が中国側を刺激したのが背景にあるのでは」と推測する。北朝鮮国営報道機関が楽団到着の当日、金第1書記の「わが国は自衛の核爆弾、水素爆弾の巨大な爆音を響かせることができる強大な核保有国になった」という発言を報じていた。この発言を受け、中国側が党指導部の出席取りやめなどの措置を取り、北朝鮮側が楽団撤収で応じたという見方だ。

また、楽団の玄松月(ヒョン・ソンウォル)団長と金第1書記の過去の親密な関係や、楽団のリハーサルの様子がメディアに報じられたことに北朝鮮側が反発したとの観測もある。

モランボン楽団にとって、今回は結成3年9カ月で初めての外国公演で、中国との関係改善ムードを演出する予定だった。訪中団一行は100人以上で、朝鮮労働党宣伝扇動部の崔輝(チェ・フィ)第1副部長が引率していた。
http://mainichi.jp/articles/20151213/k00/00m/030/061000c






このままじゃ北シンパ全員シベリアの農場で肉体強化合宿ですなあ・・・(爆wwwwwwwwwwwwwwww



















、、、(爆wwwwwwwwwwww

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

チンコミサイラー
http://livedoor.blogimg.jp/kininaru1616/imgs/f/8/f8a5bb11.jpg

匿名 さんのコメント...

モランボンといえば庶民には焼肉のたれなんですが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%B3

1972年、さくらグループの子会社として焼肉のたれの製造・販売を行う
「モランボンインターナショナル」として設立される。1976年に社名を「さくら物産」に変更。

何故「さくら」?(笑

ご近所 さんのコメント...

またリンク先のkwout必死に消してる馬鹿が湧いてますねwww

匿名 さんのコメント...

さくらコマース

会社の生みの親である全演植(ジョン・ヨンシュク)・鎭植(ジンシク)兄弟は朝鮮全羅南道出身。1941年に日本に渡り、太平洋戦争後にヤミ市での麦芽飴の製造販売を皮切りにして北多摩郡府中町(現:府中市)を拠点に各種事業を展開。1951年3月、弟・鎭植は父と兄・演植の3人で「さくら遊技場」というパチンコ店を、また1958年3月には、さくらコマース(当時・さくら食品デパート)1号店をオープンした。

全兄弟が朝鮮半島から日本に渡ったのが、桜が咲き始める3月であった。

wikiより。