2015年9月10日木曜日

インドネシア生まれのロビー和田こと和田良知は半分オーストリア人








皇族ともオトモダチのようで・・・(爆wwwwwwwwww
















これぞ芸能界!の華麗なる遍歴

和田アキ子の『笑って許して』(1970年)、西城秀樹の『傷だらけのローラ』(74年)、松崎しげるの『愛のメモリー』(77年)……。こうした70年代の大ヒット曲を制作したのが“伝説のプロデューサー”と呼ばれるロビー和田こと和田良知氏(70)だ。

芸能界ではバイオリニストの葉加瀬太郎を見出したことでも知られる存在だが、そのロビー氏が今年3月18日、一昨年まで取締役だった芸能プロダクション「SL-Company」から特別背任の罪で刑事告訴され、今月9日に会社法違反で逮捕されたのだ。

まさに「天国から地獄」へ。往年の敏腕プロデューサーに何があったのか?

まずはロビー氏の華麗なる遍歴を振り返ろう。

ロビー氏は終戦直前の45年8月12日、インドネシアのスラバヤ大学助教授を務める歯科医の父(日本人)と看護師の母(オーストリア人)の一粒種としてインドネシアで生まれた。

戦後のどさくさの中で父親と生き別れて、母親と一緒にシンガポール、オランダと移り住んだあと、48年に日本に定住。こうした出自で子供の頃から英語など数か国語に堪能だったことが、ロビー氏の将来を大きく左右することになる。

高校時代からフォーク歌手として活動していたロビー氏は、日本のフォーク歌手の草分け的存在であるマイク眞木らを世に送り出した「道徳再武装運動」(MRA、国際的な文化交流を名目とする反共的運動)の中で、眞木の後継者の地位を獲得。

66年にはMRAのフォークグループを糾合して5百人もの大グループ「レッツ・ゴー・66」を創設する。そして同年11月に日本武道館で開いたコンサートでは、5ヵ月前のザ・ビートルズと同様に、集まった1万人の若者を熱狂させ、ギョーカイ人の度肝を抜いた。

さらにはアジア諸国やアメリカに演奏ツアーに出掛けるなど、語学に堪能だったロビー氏の行動力は60年代の日本人の常識を遥かに超えていた。

ロビー氏のフォークグループ「ニュー・フォークス」のレコードジャケットに解説文を寄せた音楽評論家は「ロビー和田なら必ず大成するに違いない。それだけのものを持っている青年である」とベタ褒めした。

しかし「プレイするよりも作る側に回った方が面白い」と考えていたロビー氏は67年、「ビクター音楽産業」(現ビクターエンタテインメント)に契約ディレクターとして入社。

和田アキ子のデビュー曲『星空の孤独』(68年)を作曲・制作したのをはじめ、同社の事業部の一つであるRCAレコードの最年少ディレクターとしてめきめきと頭角を現した。

ビクター音産時代の12年間に手掛けた楽曲は前記の大ヒット曲のほか、日本人の女性フォークデュオ「シモンズ」の『恋人もいないのに』(71年)、イスラエル出身の「ヘドバとダビデ」の『ナオミの夢』(同)、西城秀樹の『ちぎれた愛』(73年)など、50代以上の日本人なら誰でも知っている往年の大ヒット曲ばかりだ。

当時を知る芸能関係者は「あの時代の芸能界で音楽と英語の両方に通じた人材は極めて稀で、多才なロビーさんはビクター音産にスカウトされて入社した期待の星でした。

しかも『社員ではシビアにものを作れない』と、あえて契約ディレクターの道を選んだ。当時そうしたケースは珍しく、誰もが驚いたものです」と振り返る。

「うーん、マンダム…」の生みの親!?

若き日のロビー氏は自ら作詞・作曲を手がけ、CMや映画の音楽も積極的にプロデュースした。

例えばハリウッドの名優チャールズ・ブロンソンが「うーん、マンダム…」と渋い声でつぶやく、70年のマンダム化粧品の懐かしいテレビCM。そこに流れるCMソング『マンダム~男の世界』は米国のカントリー歌手、ジェリー・ウォレスが歌って120万枚の大ヒットとなった。

ジャケットに作詞者マット・ケイン、作曲者ハワード・ケインとクレジットされているこの楽曲、実はロビー氏の作品だという。

「あのCMはホリプロが手掛けたもので、ロビー氏は関係者から『君の楽曲はボツになった』と言われていたそうです。ところが蓋を開けてみると自分の楽曲が使われていた。

ロビー氏は提訴まで考えましたが、ビクター音産の幹部から『うちはホリプロ所属の歌手のレコードも制作しているのに、そのホリプロと訴訟沙汰なんてとんでもない』と窘められて断念したそうです」(前出の芸能関係者)
松崎しげる『愛のメモリー』

最終的に『マンダム~男の世界』の著作権や印税(著作権使用料)の問題はホリプロとの話し合いで解決されたものの、ロビー氏は本来なら受け取れたはずの巨額の印税を手にすることができなかったという。

一方で、ロビー氏には若い頃からカネに無頓着なところがあったようだ。別の芸能関係者は「ビクター音産にいた頃、同僚から『この間貸したカネ、返して』と言われたロビー氏は、実際にはその同僚から一文も借りていないのに、借りていたと思い込んで数万円のカネを渡してしまうようなことがよくあったそうです」と証言する。

70年代末にフリーの音楽プロデューサーとして独立したロビー氏は、81年に松本伊代の『センチメンタル・ジャーニー』を大ヒットさせた。だが華々しい活躍はこの辺りまでしか続かなかった。

84年にはシンガーソングライターの麗美、90年には東京藝大の学生だった葉加瀬を中心とするインストゥルメンタル・バンド「クライズラー&カンパニー」をプロデュースするものの、いずれも大ブレイクには至らない。

95年にクライズラー&カンパニーと“世界の歌姫”セリーヌ・ディオンの共演を実現させた頃から、ロビー氏の名前は浮き沈みの激しい芸能界の中でフェードアウトしていった。

ロビー氏の全盛期だった70年代は、ミリオンセラーが次々と誕生した歌謡曲の黄金期と重なる。“大物”と称されるギョーカイ人が幅を利かせ、テレビ局が主催する歌謡賞の受賞をめぐって札束が飛び交っていた時代だ。

「大ヒットを連発させたギョーカイ人のご多分に漏れず、ロビー氏もカネ使いが荒いことで有名でした。ピーク時の年収は3億円と言われていましたが、ヒット曲につながるプロジェクトを創り出せなくなっても派手な暮らしが止められなかった。

そのため、自分の事務所の所属タレントに入るべき出演料や印税(著作権使用料)を勝手に使ってしまい、トラブルが絶えませんでした。葉加瀬がロビー氏と決別して独立したのも、彼に入る1億円の印税にロビーさんが手を着けたためです」(芸能プロダクション元社長)

15階建ての超高級マンション暮らし

いくら伝説のプロデューサーとはいえ、こんな事態が続けば実入りが悪くなるのは当然だ。ところがすっかり“過去の人”になっていたはずのロビー氏は、2004年から東京・九段の千鳥ヶ淵に面した地上15階、地下3階建ての超高級マンションに住んでいた。

著名財界人が居を構え、警備がことのほか厳しいこの“億ション”は、賃貸物件の家賃さえ毎月2百万円を軽く超える。ここにロビー氏は04年7月、13階(155平方㍍)と3階(51平方㍍)の2部屋を合計6億円で購入したのである。

実はロビー氏には和子(通称エミ)夫人が経営するセレブ御用達の「カフェ・ペーパームーン」(東京・南麻布)という“打ち出の小槌”があった。ロビー氏のフォークグループのヴォーカルだったエミ夫人が78年に開店したペーパームーンは、日本発祥のスイーツ「ミルクレープ」の元祖として知られていた。

90年代後半には折からのカフェブームに乗って人気沸騰。芸能人や文化人、政治家らセレブが集まる一大サロンとなり、ピーク時の年商は12億円を超えていたという。

ペーパームーンが繁盛したことで、夫妻の暮らしは以前にも増して派手なものになった。良妻賢母タイプだったエミ夫人は毛皮のコートや5カラットのダイヤの指環を身に付け、高級シャンパン「ドン・ペリニヨン」とキャビアが好物になる。さらには千鳥ヶ淵の超高級マンションの購入など、夫妻はそれこそ湯水のようにカネを使った。

だが好事魔多し。エミ夫人がレシピを変えようとしなかった結果、ペーパームーンのスイーツの味は次第に流行から取り残され、エミ夫人が社長を務めるペーパームーンの運営会社「ピー・エムファクトリー」の業績は00年代後半になると悪化の一途をたどった。

それにもかかわらずピー・エム社は07年10月、東京・新宿の大手百貨店に新たなカフェを出店した。

その設備購入資金として米国系の投資ファンドから5千万円の融資を受けたものの、この資金が全く違う用途に使われていることに気づいた投資ファンドは、ピー・エム社の刑事告訴を検討。ロビー氏夫妻のセレブ生活も命運尽きたかに思われた。

そこに“救いの神”が登場する。80年代後半からロビー氏と交流がある東京の不動産会社社長のN氏と、葉加瀬が所属するレコード会社社長のO氏だ。N氏が証言する。

「ロビー氏に『カネを借りているファンドから刑事告訴されそうだ。何とか助けてほしい』と泣きつかれ、ファンドからの融資金を返済する資金として5千万円を無担保で貸しました。

これを契機にロビー氏からは、ファンド以外のところから借りて返済が滞っている資金の一部の肩代わりや、融資の返済資金を借り入れる際の連帯保証人を依頼されました」

N氏とO氏は07年以降、それぞれの関係会社を通じてロビー氏に合計約11億4千8百万円を無担保で貸し付けた。だが、ロビー氏は返済期限が来ても元本を返済しないばかりか、利息さえ一度たりとも支払おうとしなかった。結果、ピー・エム社は09年8月に破産し、代表者のエミ夫人も自己破産した。

教祖並みのプレゼン力でだます

だが「ロビー氏夫妻の収入源のペーパームーンがなくなるとこれまでに融資した資金を回収できなくなる」と懸念したN氏は、夫妻の息子が経営する飲食店運営会社「デコール」をペーパームーンの運営会社として傘下に置き、運転資金として合計3億円を貸し付けた。ところが夫妻はこれさえも生活費や遊興費として使ってしまったという。

店の運営も引き続きエミ夫人に任せたものの、業績が一向に好転しない。N氏はついに資金援助を打ち切り、ペーパームーンを13年7月末で閉店させた。もちろん融資した3億円は利息ともども返済されないままだ。

それにしても常識的なビジネスマンのN氏やO氏がなぜ、これほど巨額の資金をロビー氏に無担保で貸したのか。その背景には「新興宗教の教祖並み」(前出の芸能プロ元社長)と言われる、ロビー氏の天才的なプレゼンテーション能力があるという。N氏本人が明かす。

「ロビー氏は70歳近いのに、未だに恥ずかしげもなく人前で涙を流せる人。ロビー氏が涙ながらに『おカネがないので助けてほしい』と訴えると、ブランド物で身を固めたエミ夫人が脇から『泣くんじゃないわよ』と夫を叱るんです。

これで同情を買ったロビー氏は実に壮大な事業プランを語り始めますが、その際には栄光に包まれた自分の経歴や、著名人だらけの華麗な人脈を持ち出すのです。そしてそれが決して嘘ではないだけに、芸能界に疎い私などはすっかり信用してカネを貸してしまうんです」

ロビー氏が仲間として持ち出す芸能関係者はセリーヌ・ディオンや著名なプロデューサーのデイヴィット・フォスター、ロック歌手の矢沢永吉など内外のビッグネームばかり。自分がプロデュースした葉加瀬や新進のボーカルグループ「LE VELVETS(ル・ヴェルヴェッツ)」ももちろん登場する。

さらに日産自動車のカルロス・ゴーン会長といった著名財界人や皇族まで出てくるが、ロビー氏は実際にこうした著名人を連れてきて紹介することもあった

ヴェルヴェッツは、東京藝大などで本格的な声楽の教育を受けた長身でイケメンの5人組。コンサートには安倍晋三首相の昭恵夫人や実母の洋子さんをはじめ、作詞家の湯川れい子氏やファッションデザイナーのコシノジュンコ氏など中高年の著名人女性が数多く足を運ぶ人気ぶりだ。

ところがロビー氏は、自分のプロダクションで管理・育成したこの“金の卵”を借金返済の手段として利用した。

タレントのギャラを着服!

N氏が明かす。

「ロビー氏から『芸能プロダクションを立ち上げてもらえればヴェルヴェッツのビジネスを譲渡します。葉加瀬の場合は年間4、5億円の売り上げがあった。

ヴェルヴェッツもブレイクすれば、これまで私に貸したカネを短期間で回収できます』と持ち掛けられ、10年10月にSL-Companyを設立しました。私が自ら社長に就任し、ロビー氏を代表権のない取締役会長に据えたのです」

ところが、ロビー氏はヴェルヴェッツが出演したイベントの出演料を「ご祝儀」として現金で受け取ったり、N氏の後継社長が保有する会社の銀行口座に振り込ませたりなどして、13年7月までの2年8ヵ月間で約2千8百万円を着服していたのだ。

渋谷税務署の税務調査でこれに気づいたSL社は、同年12月にロビー氏を解任。着服に協力していた社長も昨年8月に解任した。SL社は前社長の口座に振り込まれた合計約200万円について、特別背任の罪で刑事告訴。結局、これが原因となって、ロビー氏は逮捕されることとなったのだ。

ロビー氏に数千万円から数億円のカネを貸したままの関係者はN氏以外にも複数いると言われる。だが、SL社の関係者によると、一昨年7月に渋谷税務署の調査が入ったあと、ロビー氏は「もう70歳近いんだから借金なんて返せないよ」とこぼしていたという。 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45226?page=5


、、、(爆wwwwwwww

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

これはどう読み解けばいいのでしょうか…。

時事ドットコム:日本公館への攻撃呼び掛け=インドネシアなどで-「イスラム国」
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2015091000939&j4

 【ジャカルタ時事】過激派組織「イスラム国」がインターネット上に公開した英字機関誌「ダビク」の中で、インドネシアやマレーシアなどの日本公館を攻撃するよう呼び掛けたことが10日、分かった。

 ダビクはイラクやシリアでの戦闘に参加できない支持者に対し、攻撃の対象として、インドネシア、マレーシア、ボスニア・ヘルツェゴビナにある日本公館のほか、アルバニアにいるサウジアラビア外交官なども例として挙げた。
 イスラム専門家によると、日本公館が対象となった3カ国はいずれも、同組織支援のため若者らがシリアなどに渡航したとみられている。
 ダビクはこれまでも、日本人人質殺害に関連して、日本はイラクやアフガニスタンの戦争以来「十字軍に参加している」と非難していた。(2015/09/10-22:02)