2015.8.19 07:02更新
特攻機「桜花」の比叡山中秘密訓練基地の映像発見 宇佐市の市民団体
終戦間際、旧海軍が開発を進めていた航空機型特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地を撮影した映像が残されていることが18日、明らかになった。さきの大戦の映像や文献を収集している大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」(塾頭、平田崇英氏)が、米国立公文書館で見つけた。地上発射型桜花四三乙型の出撃基地に関する映像は珍しく、専門家は「衝撃的だ」と一様に驚いている。(九州総局 村上智博)
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映像は7分44秒のモノクロで、基地は滋賀県と京都府にまたがる比叡山(848メートル)で建設途上のものだった。まず、「LAUNCHER」(発射装置)と題し、昭和20年10月23日の撮影だと紹介する。
映像は米軍が撮影したもので、比叡山の東側、琵琶湖に面した山肌を、比叡山鉄道のケーブルカーで米軍関係者らが登る様子を映し出した。
やがて、カメラは山頂付近で建設途上だった基地の撮影に移る。搭乗員養成用の練習機を運び上げるレールや丸太、クレーンなどの建築資材が写っていた。
約800キロの重い弾頭を積んだ桜花は自力で飛び上がれず、陸上からカタパルト(射出機)で発射させる。発射後は搭乗員が操作し、ターボ・ジェットエンジンで、目標に向かう仕組みだ。
機体をカタパルトに搭載するための装置や、射出方向の琵琶湖に向け、機体を方向転換させるための回転台も映っていた。
カタパルトの映像の向こうには湖面が映り込む。傾斜のある山肌に隠すように作られた格納庫の入り口も撮影していた。7分44秒の間、桜花や練習機の機体は写っていなかった。
比叡山の訓練基地は、横須賀鎮守府所属の第725海軍航空隊が、大阪湾に襲来する敵艦を水際で迎え撃つ目的で、終戦直前に秘密裏に開発を進めた。搭乗員40人を含む約130人が訓練に参加した。昭和20年8月15日に正式な完成式を行う予定だった。
旧海軍は本土決戦を想定し、和歌山県田辺市や神奈川県横須賀市、千葉県の房総半島南部や茨城県つくば市、静岡県の熱海峠など、比叡山を含めると最終的には全国約50基のカタパルト設置を目指していた。
映像撮影後、比叡山の訓練基地は米軍が破壊した。
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桜花四三乙型は、機首部分に約800キロの大型爆弾を装着した特攻兵器。
海上自衛隊の元一佐、川村巌氏(77)らによると、昭和20年3月、宮崎県最南端の都井岬沖で、「桜花一一型」が初めて実戦投入された。旧海軍の「一式陸上攻撃機」につるされ、目標近くで分離して固体燃料を噴射し、搭乗員が操縦しながら目標への体当たりを試みた。
ただ、航続距離が短く母機の一式陸攻が目標に接近せざるを得なかったことから犠牲が大きく、代わって地上発射型の四三乙型が開発された。
全長約8.2メートルで、ジェット・エンジンを搭載。約100メートルの滑走路からカタパルト(射出機)で離陸し、敵輸送艦船や上陸用支援母艦への体当たりを想定していた。飛行時間は約30分で、約280キロ航続できる設計だった。
量産準備に入った時点で終戦を迎えたが、この時の設計思想と技術は、現代の地対艦巡航ミサイルの原型となった。訓練基地は、横須賀鎮守府所属の第725海軍航空隊などが建設・配備する計画を立てていた。
桜花の発射基地をめぐっては、千葉県南房総市下滝田地区(旧三芳村)の知恩院近くに、コンクリート製の滑走路跡が残されているのが知られている。
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■軍事評論家の兵頭二十八(にそはち)氏の話 「旧日本軍は、ドイツ軍が開発したミサイル兵器『V1』を、コピーしようと、米軍と開発競争を繰り広げた。このミサイル開発は頓挫したが、この過程で、旧日本軍が開発したのが桜花だった。
戦況が悪化し、本土決戦を目前に、旧海軍は全国各地に基地を作ろうと急いだが、終戦までに本格的に作ったのは比叡山などごくわずかだった。それだけに映像が残っていたのは衝撃的で、希少価値がある。
桜花は地上から敵艦に気付かれず攻撃する点で、戦後、陸上自衛隊が開発した地対艦誘導弾にも通じる戦術思想が現れている。
http://www.sankei.com/region/news/150819/rgn1508190032-n1.html
大日本帝国軍部式洗脳済みサマナ(aka馬鹿)入りクルーズミサイルとはなかなか鬼畜な兵器ですなあ・・・(爆wwwwwwww
12 件のコメント:
でっかく”BAKA”とタイトルされていて大草原不可避
末端サマナまでこの有様ではバカ呼ばわりされても仕方がない
【悲報】 比叡山、負けた腹いせに仏罰を下す
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51914582.html
富永恭二:航空部隊の指揮官として息子を特攻死させたが本人は最前線のフィリピンから台湾に逃亡、シベリアに抑留されるが天寿を全うする。
菅原道大:後で自分も行くからとか言って特攻隊を送り出し、終戦時に部下から行きましょうって言われたら「特攻隊の慰霊するからやっぱ行かない」と却下、養鶏やりながら天寿を全う
倉澤清忠:菅原の部下として特攻隊を送り出す。飛行機のトラブルなどで帰ってきたパイロットを監禁するスパルタ施設を運営。
戦後は印刷会社経営、特攻隊の生き残りからの報復を恐れ常に拳銃を携帯。勿論天寿を全ry
黒島亀人:「変人参謀」と言われ数々のキチガイ作戦とキチガイ特攻兵器を立案。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。なお、宇垣纒の手記(後に「戦藻録」として出版)を遺族から借り出し、自分に都合の悪い部分を破棄、「電車に置き忘れた」などと言い逃れる。当然天寿をまry
源田実:自分の指揮する部隊でも特攻やりたいからよろしくと部下に命じたところ、部下から「私が操縦するから貴方は後席に乗ってください」と言われソッコーで沙汰止みに。
戦後は航空自衛隊に入り航空幕僚長、自民党から参議院議員に。議員時代、日本全土を無差別爆撃したカーチス・ルメイに勲一等を授与する工作する。
言うまでもなく天寿をry
太田正一:米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。自分が乗るから開発させてくれと上層部に頼み込んだ癖に「適性なし(笑)」とやらで出撃せず。
終戦直後逃亡、名前と戸籍を変えて暮らす。至極当然に天寿ry
海軍 福留繁:
敵軍に一時捕虜となり重要作戦指令所を奪われるが
自分の責任を問われることを恐れて黙っていたため、後にマリアナ沖海戦の大惨敗の原因となる
もちろん、天寿を全(ry
花谷 正:
第二次アキャブ作戦で部下に突撃を命じるばかりで壊滅的打撃を受けるもお咎めなし。
第55師団長時代は部下の将校を殴り、自決を強要することで悪評が高かった。
また、日頃から陸大卒のキャリアを鼻にかけ、無天(陸大非卒業者)や専科あがりの将校を執拗にいじめ抜き、
上は少将から下は兵卒まで自殺者や精神疾患を起こした者を多数出すなどしたため、部下から強い侮蔑と憎悪を買っていた。
反面小心でもあり、行軍中も小休止の度に自分専用の防空壕を掘らせていた。
勿論、天寿を全(ry
中島正:現地で全軍特攻を唱え、目を合わせると特攻に行かされると噂される。私も後に続くと言って特攻を送り出したかと思えば、私は内地に戻って君たちの活躍を後世に残すと言って内地に帰り、戦後は特攻を自分に都合がいい美談に変えた著書を発表。天寿を全うする。
真鍋正人:特攻隊員の前で「俺は成績が良かったから早く参謀になれる。だからここでは死ねねえんだよなぁ」と言いながら特攻へ送り出していた。天寿を全うする。
永仮良行:現地で特攻隊員を殴りながら「そんなに命が惜しいか!命のいらない搭乗員は内地にいくらでもいるんだ!」と言って特攻へ送り出す。天寿を全うする。
坂井三郎:特攻隊員に対し「私も後に続く。遅いか早いか!ごちゃごちゃ言うな!」と言って特攻へ送り出す。戦後は自分に都合がいい話を作り著作活動で有名に。ねずみ講で荒稼ぎしたり原爆投下を賞賛したりと。天寿を全うする。
鹿山正:久米島で日本住民をスパイと決めつけて勝手に虐殺。戦後も正当な行為だったと主張する。天寿を全うする。
神風特攻隊の零戦、桜花
下っ端にやらせまくって自身はのうのう…佐野も見事に体現していて苦笑
人間魚雷の回天も一緒か?と思ったけれど、開発者の黒木博司[事故で殉職]・仁科関夫[特攻し戦死]とも二十歳過ぎでしかないから軍部にいいように使われただけ…結局は軍部の構図
対比するとなお一層、上記の天寿全うリストは「なんで罰を受けてないの?」の一点に収束せざるを得ません
在日・帰化人のお掃除はまだ簡単でしょうが、
この軍部人脈がのうのうとしたままであればキチガイ国・日本のままですよね
軍部人脈のお掃除方法もぱっと思い浮かばなくて、まともな日本という未来が想像できない
>軍部人脈のお掃除方法
ロリコン・ワイセツ・不正献金・脱税・暴力etcいくらでもしょっぴけるネタがあると思いますよ
司法もお仲間が多いからスルーされてるだけの話で(爆w
>ロリコン・ワイセツ・不正献金・脱税・暴力etcいくらでもしょっぴけるネタがあると思いますよ
挙げられたネタ、キムチの十八番だと思ってたのですけど軍部人脈もなのですか(あ、そういえば過去エントリで触れられていましたね)
挙げられたネタで真っ先にPope Francisが浮かんだのは何故なのかわからないけれど、すごいお方
日本もあのお方ぐらいの積極さで啓発していけば…なのか
ありがとうございます
東京帝大卒の特攻隊員がいた事を知った時、凄くもったいないなあと思ってた。
やっぱり日本の軍部のトップが日本を滅ぼしたかったのかなあ。
将来の日本のブレーンとなる人材であると自負している人達とその親を、どうやって鉄砲玉になるよう洗脳したのか気になるな。
比叡山戒壇院 釈迦如来像 ダイヤモンド
「秋水」燃料庫は大規模で堅ろう
Fri, 28 Jul 2017 06:32:07 +0900
千葉県柏市には、太平洋戦争末期に開発された日本初のロケット戦闘機、「秋水」の燃料貯蔵庫が、全国で唯一、残っています。地元の市民グループなどがこの貯蔵庫を調査したところ、全長55メートルの地下の空間をコンクリートで覆った大規模で堅ろうな構造だったことがわかりました。「秋水」は、アメリカ軍の爆撃機、B29を迎え撃つために開発された日本初のロケット戦闘機で、開発中に終戦を迎えたため、実戦には使われませんでした。柏市には、「秋水」の燃料の過酸化水素を保管する貯蔵庫が全国で唯一、残っていて、去年11月から地元の市民グループや研究者が、市の協力を得て調査を行いました。その結果、貯蔵庫は全長55メートルの地下の空間をコンクリートで覆った大規模で堅ろうな構造で、当時としては、あまり例のない規模だったことがわかったということです。市民グループは、爆発の危険がある高濃度の過酸化水素を保管するため、こうした構造になったと見ています。調査をした國學院大学の上山和雄名誉教授は「戦争末期にこれほどの規模の貯蔵庫が整備されていたのは驚きだ。あまり知られていない『秋水』の実態を知る重要な手がかりだ」と話しています。
20170728/5510131.html
NHKBS1 8月13日(日) 午後10時00分
BS1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”~」
http://www4.nhk.or.jp/bs1sp/x/2017-08-13/11/3628/2409266/
あわせて、なぜ日本は大東亜共栄圏という着想のもとに、罪のないアジアの方々を殺すことになっていったのか、終戦工作に繋がることはなかった特攻作戦の競い合い、旧日本軍、大日本帝国中枢部の方々が語った“真相”の記録、皇族の内部での暗闘など、もっと広く誰にでも簡便に自由にアクセスできる環境を整えてほしい
戦争が終わっても血に飢えた余剰武器、技術革新によって古くなった装備の在庫処分、開発経費の合理化等、戦争ビジネスのショーマンシップは人間の野心の縮図
戦後73年、いまだに日本は
「ロジスティクス イコール 気合い」ですね
大和も佐川も然り
気合いの人海戦術による高頻度小口かつ安価な配送を、これまた受益者側も大歓迎
自ら労働価値を貶めデフレ作ってることに気づかない、桜花者!?
戦時中とかわらんやん。
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