第2次世界大戦中に中国から福島県猪苗代町に強制連行され、重労働を課せられた末、死亡した25人の中国人労働者を追悼するための慰霊式が5日午前、同町の「中国人殉難烈士慰霊碑」の前で行われました。
慰霊式は厳かな雰囲気の中で行われ、日本駐在の程永華中国大使は猪苗代町長、福島日中友好協会の代表ら数十人と共に慰霊碑の前で、犠牲になった中国人労働者に哀悼の意を表しました。
太平洋戦争の末期、約4万人の中国人労働者が日本各地に強制連行され、過酷な労働を強いられました。記録によりますと、6830人の中国人労働者が命を落としました。福島県沼倉や宮下水力発電所の建築工事で重労働に従事させられた人は約1000人で、このうち25人が亡くなりました。
1970年10月末、「福島中国人殉難烈士慰霊碑」が落成しました。その後は毎年7月7日前後に、福島日中友好協会が欠かさずここで慰霊式を行っています。2006年の年初には、慰霊碑の管理と保存を強めるため、「中国人殉難烈士慰霊碑保存会」が福島県で発足しました。
今年は慰霊式が終わった後、保存会発足10周年の記念行事も行われました。程大使は席上で行われた記念講演の中で、「強制連行された被害者の悲惨な体験は、近代、日本軍国主義が侵略戦争を起こし、中国などのアジア諸国の人民にもたらした深い災難の縮図そのものだ。日本軍国主義の侵略の歴史を正しく認識し、それを深く反省することは、日本が戦後、国際社会に戻り、アジアの隣国と友好関係を再構築し、それを発展させていく上で重要な前提と土台だ」と述べました。
さらに「戦後70周年をきっかけに、日本はしかるべき政治的および道義上の責任を担い、強制連行を含めた歴史の懸案課題に真摯に向き合い、それを適切に対処し、実際の行動をもって戦争の被害国との和解実現に向けて誠意を見せていただきたい」と訴えました。
猪苗代町(いなわしろまち)は、福島県のほぼ中央に位置する町。
古代・中世
- 948年(天暦2年) - 小平潟天満宮が建立される。
- 鎌倉時代初期 - 猪苗代経連が猪苗代城を築城。これ以降約400年間、猪苗代の地は猪苗代氏によって支配される。
- 1411年(応永18年) - 観音寺に石造宝篋印塔が造られる。
- 1589年(天正17年) - 伊達政宗が蘆名義広と摺上原で戦い、蘆名氏を滅亡させる。(摺上原の戦い)
近世
- 1590年(天正18年) - 会津が蒲生氏郷の所領となり、氏郷家臣の玉井貞右が猪苗代城に入る。
- 1598年(慶長3年) - 会津は上杉景勝領となり、猪苗代城には水原親憲が入る。
- 1601年(慶長6年) - 会津は再び蒲生領(領主は氏郷の子・秀行)となり、猪苗代城には関一利が入り、後に岡定俊が城代となる。
- 1627年(寛永4年) - 会津は加藤嘉明領となり、その重臣・堀主水が猪苗代城代となる。
- 1643年(寛永20年) - 保科正之が会津領主となる。
- 1672年(寛文12年) - 保科正之死去。見祢山(赤埴山)山麓に葬られる。
- 1673年(延宝元年) -土津神社を造営。
- 1674年(延宝2年) - 土田堰開削。
近現代
- 1868年(明治元年) - 母成峠の戦い。会津藩・新撰組ら東軍が薩摩藩・土佐藩を中心とした西軍に敗れる。
- 1876年(明治9年) - 野口英世が生まれる。
- 1883年(明治16年) - 安積疏水完成。
- 1888年(明治21年) - 磐梯山大爆発。
- 1898年(明治22年) - 町村制施行。現在の猪苗代町域には、猪苗代町、磐瀬村、磐保村、吾妻村、長瀬村、月輪村、千里村、翁島村が成立。
- 1898年(明治32年) - 岩越鉄道(現・磐越西線)郡山~会津若松間が開通。
- 1900年(明治33年)- 安達太良山沼ノ平噴火。
- 1911年(明治40年) - 沼尻鉱山の硫黄採掘をおこなうため、日本硫黄株式会社が発足する。
- 1912年(明治41年) - 有栖川宮威仁親王別邸(天鏡閣)が建設される。
- 1913年(大正2年 - 沼尻軌道が開通。
- 1915年(大正4年) - 沼尻スキー場が開場。1966年
- 1921年(大正10年) - 沼尻温泉が現在地へ移転。
- 1922年(大正11年) - 高松宮宣仁親王別邸(現・福島県迎賓館)が建設される。
- 1941年(昭和16年) - 磐瀬村と磐保村が猪苗代町に編入合併される。
- 1955年(昭和30年)
- 3月1日 - 猪苗代町、翁島村、千里村、月輪村、吾妻村が合併し、改めて猪苗代町となる。(新設合併)
- 7月20日 - 長瀬村を編入合併し、現在の猪苗代町となる。
- 1966年(昭和41年) - 国立磐梯青年の家(現・国立磐梯青少年交流の家)が開設される。
- 1969年(昭和44年) - 磐梯急行電鉄(沼尻鉄道)が廃止される。
- 1989年(平成元年)
- 台風13号の来襲で大倉川が決壊し、11人の死者・行方不明者をだす。
- 土湯トンネルが開通。
- 1991年(平成3年) - 磐越自動車道が猪苗代まで開通する。
小平潟天満宮(こびらがたてんまんぐう)は福島県耶麻郡猪苗代町中小松にある神社。猪苗代湖畔にある。祭神は菅原道真。太宰府天満宮、北野天満宮と並んで日本三大天神とする説がある。
小平潟天満宮の造営については次のような伝承がある。天暦2年(948年)、近江国比良神社の神主・神良種が摂津国須磨で見つけた菅原道真の神像を持って旅をし、猪苗代湖畔に辿り着いた。良種はその地で休み、再び歩き出そうとして立ち上がった。しかし、道真の神像が急に重くなり動かなくなってしまった。よくみるとその地は須磨とよく似た景色であった。そのため良種はこの地を神像の鎮座の地とすることにし、耶麻郡大領上毛野陸奥臣に申し出て天満宮を勧請した。このとき、小出方村という地名だったこの地を摂津国平潟にちなんで小平潟に改めたという。
天満宮はその後、天神信仰が盛んになるにつれ、会津をはじめ、仙道(現在の福島県中通り)諸郡の領主領民より手厚い保護を受けるようになり、大いに繁栄した。また、猪苗代兼載が小平潟天満宮の申し子であったという伝説は、小平潟天満宮をさらに有名にしたといえる。なお、現在の社殿は天和2年(1682年)に会津藩主松平正容によって天満宮がこの地に移された際に造営されたものである。
もう面倒くさいので説明は省略。(爆wwwwwwwwwwww
おまけ
2 件のコメント:
猪苗代町 キリシタン 、、、(w
わーぉ 受験の時この天神様に祈願したとふぐすま親戚に言われたオラの血の呪い記事だゎw
野口英世も縁者でしたデスヨ
地元の人は総じて「湖水」と呼ぶ猪苗代湖 の天神浜はオラも何度か行った記憶あるけど
なんかしょっぼぃ祠みたいな社しか記憶にないんだけど、、こんな立派だったかなぁ。。
多すぎる菱とその近くだけ藻が多くて泳ぎにくいくらいしか記憶になく
やっぱしょぼい印象しかなぃ
みすぼらしいのはなんだからとかで建直したりしたのかねぇ。。
もぅ縁切っちゃったから確かめようがないけど
>猪苗代町 キリシタン 、、、(w
それ本人に昔言った事あるwけどやみくもな完全否定で
自分の都合のいいことしか聞かない民度は日本でも同位は他あっても落ちることなく万年首位でいられてるんじゃないでしょうかね、そんなランキングあったら
ちなみにオカンの一族は 皆狛犬そっくりな顔してるんでオラは「狛犬一族」とか
神社の前を通り過ぎたりすると「ぁ狛犬がついてきちゃった」とかゆってた
特に鼻が狛犬で全員ほぼ寸分違わずな見事な団子っ鼻で揃うと笑いを堪える事はなかなかの試練なんすよ
そういえばこの辺クマザサ地帯だったと思う
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