2015年7月10日金曜日

大日本帝国大敗北宣言の2回目の録音の原盤を初めて公表 宮内庁


戦後70年に当たり宮内庁が来月1日、終戦の日の昭和天皇の「玉音放送」を録音したレコードの原盤を初めて公表し、併せて音声を公開する。また、終戦前日に昭和天皇が御前会議を開き、終戦の「聖断」を下した皇居内の防空壕(ごう)「御文庫附属庫(おぶんこふぞくこ)」の写真と映像も公表する。同庁はホームページにも掲載する。

同庁によると、玉音放送の原盤は「御物(ぎょぶつ)」(皇室の所蔵品)として缶に入れて保管されていた。天皇、皇后両陛下の意向もあり昨年末、専門家に依頼して針を落とし、デジタル録音した。現在テレビなどで流されている音声は複製されたものだという。

玉音放送は、1945年8月15日正午からラジオ放送された昭和天皇による終戦詔書の朗読(約4分30秒)。前日の14日深夜、当時の宮内省内で録音された。昭和天皇はとり直しを希望して2回読み上げ、2種類の原盤が完成した。今回公表されるのは、実際に放送された2回目の録音の原盤

一方、御文庫附属庫は65年に内部が報道陣に公開されたが、それ以降は朽ちるままだった。今回、写真や映像のほか、位置や構造がわかる図面などの資料も公表する。

古川隆久・日本大教授(日本近代史)は「玉音放送は戦争に負けたことを広く国民に知らせた重要な放送で、地下の防空施設は終戦の決定を下した場所。公表は戦後70年の節目を考えれば非常に意義がある」と話す。

46年5月24日にラジオ放送された「食糧問題の重要性に関する昭和天皇の御言葉」を録音した原盤も新たに見つかり、同時に公表される。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150709-00000074-mai-soci


、、、(爆wwwwwwwwwwwwwww

15 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

宮内庁としては2回目というお知らせで、
末端が気づくのか気づかぬフリをするのか、と推測

匿名 さんのコメント...

「永遠の0(ゼロ)」どころか、
「永遠の敗戦国民であることを忘れるなよ」
という惨めでやりきれない気持ちにさせられます。
日本人はいつになったら
「土人」扱いから「人間」扱いに昇格してもらえるのでしょうか?

匿名 さんのコメント...

>「土人」扱いから「人間」扱いに昇格してもらえるのでしょうか?

TVその他の紙芝居やら三文小説やら人形劇を見てそのまま頭に刷り込む
のをやめて、自分の頭で考えられるようになってからですねぇ(笑)
勿論ネット上の情報も含まれていますよ(爆wwwwww

匿名 さんのコメント...

en.wikipedia.org/wiki/James_F._Byrnes

匿名 さんのコメント...

Having been able to safeguard and maintain the structure of the Imperial State, We are always with ye, Our good and loyal subjects, relying upon your sincerity and integrity. Beware most strictly of any outburst of emotion which may engender needless complications, or any fraternal contention and strife which may create confusion, lead ye astray and cause ye to lose the confidence of the world. Let the entire nation continue as one family from generation to generation, ever firm in its faith of the imperishableness of its divine land, and mindful of its heavy burden of responsibilities, and the long road before it. Unite your total strength to be devoted to the construction for the future. Cultivate the ways of rectitude; foster nobility of spirit; and work with resolution so as ye may enhance the innate glory of the Imperial State and keep pace with the progress of the world.

>and mindful of its heavy burden of responsibilities, and the long road before it

匿名 さんのコメント...

耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、だけが記憶の残るように社会全体が印象操作されていることに疑問を持たずに今ここに至る愚かさの、当然の報い

匿名 さんのコメント...

http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/139.htm

匿名 さんのコメント...

皇室が関わったという終戦工作を時系列に詳細に記録したものを公開していただきたい。
それら一連の経過を国民として共有させていただきたい。
いつ、どこで、どのような人脈と手段で、どのような折衝があって、どのような成果を得たのかを明確にしていただきたい。

ザ・プレミアム 玉音放送を作った男たち(NHK) が放映される予定だが、映像に仕立てることによって一定方向のバイアスが宿り、そこに忘却が生まれる。

ほとんどの国民が戦後70年を経過しても理解することには困難がつきまとう皇室が関わったとされる終戦工作の全貌について、その全面的な開示が置き去りにされることが仮にあるのだとしたら・・・。

音源や御文庫附属庫の資料の公開とは別の次元で、国民の素朴な疑問に対しても真正面から応じてほしい。

そこから犠牲者の方々への本当の追悼がはじまる。
皇室がからむことで疑問が黒塗りにされることが許されるのであれば、それは神話だ。

That most unfortunate war, which I deeply deplore. さんのコメント...

Thanks U.S. for Rebuilding Aid
'Deeply Deplore" WWⅡ, Japan's Hirohito Says
Pittsburgh Post-Gazette - Oct 3, 1975
site:news.google.com/newspapers

Toasts of the President and Emperor Hirohito of Japan.
October 2, 1975
http://www.presidency.ucsb.edu/ws/?pid=5301

終戦の詔勅の原盤や御文庫附属庫の写真の公開が、根源的な問いの「煙幕」になりませんように。

匿名 さんのコメント...

謎の煙幕となりませんように。
あまりにもたくさんの命が失われたのですから。

匿名 さんのコメント...

「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」しか記憶に残らないように操作しつづけた70年から解放されるためにも、てんこもり野郎さんの手による現代語訳の全文を噛みしめる機会があればありがたく存じます。

終戦の詔書成立過程 - 国立公文書館
https://www.digital.archives.go.jp/support/pdf/kaiteiban_kitanomaru28gou.pdf

昭和二十年八月十四日内閣告諭 - Wikisource
ja.wikisource.org/wiki/昭和二十年八月十四日内閣告諭

匿名 さんのコメント...

原盤が公開されたことはそれなりの歴史的な意味合いがあるとはいえ、黙殺の一件のあとに更なる日本各地への空襲、2発の原子爆弾を含めたを地獄を日本国民が経験した後でなければ終戦の詔書が出されなかったことを、歴史の現実として、どのように我々が理解していくのかは、まったく別の問題。
統帥権について論じられるが、原子爆弾投下という地獄を日本国民に経験させなければ、終戦の詔書を出すことができなかったのか、そうではなかったのか、そういった根本的な疑問がスルーされて、原盤の公開という事象とそれにまつわる逸話の紹介に終始するのが予定調和そのままだったことに反吐が出そう。

匿名 さんのコメント...

大日本帝国が耳元で甘く囁かれ、おだてに乗って描いた壮大な誇大妄想を聞かせてください。
たぐいまれな優れた人格者だとみせたいがために、側近集団が金ピカに磨き上げた逸話で修飾し尽くした人物像など、実在しないに等しい。

匿名 さんのコメント...

>玉音放送は戦争に負けたことを広く国民に知らせた重要な放送で、地下の防空施設は終戦の決定を下した場所

公開に歴史的な意義はある。
ただし、当時の一般の国民は空襲で火災が発生したときに、「逃げずに消火」という教えに縛られ立派な地下の防空施設を全員が逃げて命拾いすることなど不可能であったし、制空権を失った証しである東京大空襲によっても、沖縄のみなさんが恐怖の極みに至り、絶望の果てにむごい結末を選び、日本各地の軍需関連施設を中心に爆撃されてたくさんの国民が嘆き苦しみ、走る列車に爆弾を落とされても、種類の異なる原子爆弾を複数落とされても、なぜ、それらのどの時点でも、そのときに生き残っていた日本の国民全員が、玉音放送を生きて聞くことができなかったのか。
この深刻な結果の、理由も原因も過程も、2回目の録音の原盤を復元したものが公開されても、よくわからないのだ。
明らかに戦争に負けてしまっていたにもかかわらず、戦争に負けたことを認めてもらえないことで、さらにたくさんの人間が死んでしまったのであるから、ソ連の侵攻に至るまで玉音放送を国民が聞くチャンスに恵まれなかった理由を、軍部に利用されたに過ぎない善良な皇族方は、和平へとことん尽くした貢献の詳細をわかりやすく国民に改めて解説いただきたいし、果たされた責任と軍部に阻まれた限界を、正直に将来の世代に遺していただきたい。
戦争を終わらせることは、いつの時代も非常に困難であることを承知のうえで、敢えてお願いしたい。
なぜなら、殺傷能力の高い兵器の威力が残酷であることと同様に、国民全員死んでも最期まで死にもの狂いで戦えという号令も極めて残酷であり、1945年8月15日まで玉音放送を聞くことを猶予されてしまった国民と、交戦国の人間の悲劇を、決して軽く見るべきではないからだ。
巨費を投じた原子爆弾の投下の口実を与えることに利用されかねない「黙殺」が、原子爆弾投下を容認することでしか終戦の日を迎えることができない悲哀を背負っていたのか。
この疑問を明確に払拭するために、1945年8月15日の玉音放送の恩恵に浴する幸運を逃した総ての犠牲者に、平和主義者である皇族方のご尽力の詳細を届けてこそ、そこではじめて誠実な慰霊がはじまる。

匿名 さんのコメント...

>「玉音放送は戦争に負けたことを広く国民に知らせた重要な放送で、地下の防空施設は終戦の決定を下した場所。公表は戦後70年の節目を考えれば非常に意義がある」

NHKは何を伝えてきたか 国際放送の80年 国際放送年代史+サービス概要 ...
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/ja/chronology/chrono/1945.html
ポツダム宣言は受諾発表前に国際放送で流された. ここで国際放送はもう一つ、重要な役割を担う。日本政府によるポツダム宣言の受諾が公表される前、8月10日に受諾の決定を放送するのである。これは外務省の発案で、当時の松本俊一外務事務次官が、「敵側将兵に早く報せる要がある」として同盟通信と日本放送協会に命じた。犠牲を少しでも減らしたいという判断だった。 松本の指示を受けた外務省書記官の大田三郎は手記に以下のように記している。 「…Japan accepts Potsdam Declarationとリードを入れ、次に ...

NHKは何を伝えてきたか 国際放送の80年 国際放送年代史+サービス概要 ...
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/ja/chronology/chrono/1945.html
ポツダム宣言は受諾発表前に国際放送で流された. ここで国際放送はもう一つ、重要な役割を担う。日本政府によるポツダム宣言の受諾が公表される前、8月10日に受諾の決定を放送するのである。これは外務省の発案で、当時の松本俊一外務事務次官が、「敵側将兵に早く報せる要がある」として同盟通信と日本放送協会に命じた。犠牲を少しでも減らしたいという判断だった。 松本の指示を受けた外務省書記官の大田三郎は手記に以下のように記している。 「…Japan accepts Potsdam Declarationとリードを入れ、次に ...

第171回 シリーズ1『終戦と放送』 - Biglobe
www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no171.htm
【1】軍部、放送を強要. はじめに. 戦後レジームからの脱却が声高に叫ばれている。その戦後のスタートは1945年夏のポツダム宣言の受諾からはじまった。このとき徹底抗戦派は阿南惟幾(あなみ・これちか)陸軍大臣(当時59歳)を担いでクーデター計画を立て無条件降伏に抵抗した。 このため、最高戦争指導会議、閣議は空転を続け、廣島、長崎に原子爆弾が落とされた後、8月10日午前2時20分、御前会議での天皇の「ご聖断」によって「国体護持」などの条件付でやっとポツダム宣言受諾が決まった。 しかし、それからも ...

2日前に知った「終戦」…ノンフィクション作家 近藤富枝さん 92 : まとめ読み ...
www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150813-OYT8T50088.html
Aug 14, 2015 - 終戦の前年、1944年10月、日本放送協会(NHK)に入局し、ラジオ放送のアナウンスをしていました。22歳でした。 70年前の8月13日の夜、放送会館(東京・内幸町)で宿直をしていて、海外放送を担当する部屋を通りかかり【まとめ読み「NEWS通」】

結果として種類の異なる2発の原子爆弾の投下とソ連の侵攻を許した後に、国民に全面降伏が知らされた形になったが、皇室が早期の終戦に向けて全力を尽くした記録を全面的に公開するように促すことができるのは、今の日本で、どのような方がであるのか教えていただきたい。
終戦工作とそれを阻んだ側の論法を明らかにしてもらいたい。
この点を憶測や希望的観測で推測し続けることが何十年も許されているのは、何かしらのタブーがあると考えるのが妥当だ。

忘れてはならない4つの日から除外された東京大空襲の惨状がどのように評価されたのか
沖縄の悲劇を防ぐことを難しくさせた要因はどこにあるのか

6月23日 沖縄慰霊の日|なるほど統計学園 - 総務省統計局
www.stat.go.jp › なるほど統計学園 › 親しむ › 今日は何の日?
6月23日は「沖縄慰霊の日」です。昭和20年(1945年)6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、沖縄県が記念日に定めました。 沖縄戦は昭和20年3月26日に始まり、約3か月にわたって激しい戦闘となりました。この戦闘で亡くなった日本兵及び一般住民の方々は、一般住民約10万人を含め約20数万人といわれています。 昭和15年(1940年)の国勢調査では沖縄県の人口は約57万5000人でした。つまり、当時の沖縄県民の内、2割弱の人が亡くなったと推測されます。 本土復帰前の昭和36年(1961 ...

当時の日本の選択を、忘れてはならない4つの日を動脈にして考えることには無理がある