家族に12日入った連絡によると、音楽評論家の山崎睦(やまざき・むつ)氏が、ウィーンの自宅で死去しているのが見つかった。
71歳。40年以上、ウィーンを拠点に欧州各地のクラシック音楽事情について執筆活動を続けた。
今月上旬から日本の家族と連絡がとれず、家主が亡くなっているのを発見したという。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150714-OYT1T50097.html
とか書いたとたんとはこれまたタイムリーですなあ・・・(爆wwwwwww
山崎睦 - Google 検索 via kwout
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オーストリア日本人会の50年
大いなる世話人 ― 小熊節子さんのこと
元日本人会会長(ジェトロウィーンセンター所長) 藤井 清司
1) 歴代のウイーン日本人会会長の誰しもがそうであったように、小生も小熊節子さんには大変にお世話になった。小生の場合その手始めは、小熊さんが、彷徨える日本人会の事務所を、御自宅へ受け入れて下さったことであった。
清滝前会長から事務の引継ぎを受けた際、日本人会の事務所を何とかしなくてはならない、との申し送りを受けた。現地を訪れてみると、19区とは言っても場末で、貧相な住宅の屋根裏部屋が事務所であった。交通の便は悪く、何よりも保安が心配された。
清滝さんから紹介されていた小熊さんに相談したところ、御自宅の一室を開放してもよい、との願ってもない申し出で。早速事務局の女性共々、ウイーン中央駅の近くに所在する豪邸を訪問した。小熊さんは、玄関を入って直ぐの一室を提供して下さるとのこと。天井は高く、机、戸棚等の調度品も立派で、しかも格安の家賃で貸して下さるという。交通の便が良く、小熊邸の従業員も居るので安全性は高い。事務局の女性も大喜びで、ここに事務所の移転という難問は解決した。
2) 当時の日本人会会報、「ウイーンの風」の誌面は、会員から寄せられた生活情報(○○売りたし。求む借間。等々)が主なものであった。小生は、ウイーンならではの記事も必要ではないかと考え、小熊さんに相談した。小生の希望は、① ウイーンの毎月の音楽会情報、② ヨーロッパの音楽あるいは音楽界にまつわるエピソードを紹介する記事、であった。特に後者の場合は、学識豊かで、且つ薄謝でも寄稿して頂けるという奇特な方が、果たして居るのかどうか心配だったが、小熊さんのお蔭で
全て解決した。
小熊さんは、音楽会情報についてはウイーン在住の音楽評論家、山崎睦氏の名前を挙げ、また後者についてはウイーン音楽大学助教授で、ピアニストの今井顕氏が適任であると推薦され、お二方に対する紹介の労まで取って下さった。
山崎氏にお会いして、毎月の「ウイーンの風」に、翌月の音楽会(国立オペラ劇場、楽友協会ホール、コンツェルトハウスが主体)の開催予告と、それらの中の主な見所や聴きどころを纏めた記事をお願いした。薄謝にも拘らず、山崎氏は快く了承して下さった。
今井氏にもお会いしたところ、既に同氏は「音楽雑学帳」という副題まで考えておられ、快く連載を承諾して下さった。「書くネタは沢山ある。」とのことだったが、雑学帳については隔月の執筆でお願いしたように記憶している。
音楽会情報と音楽雑学帳は、‘83年の秋から「ウイーンの風」に掲載された。その第一号を目の当たりにして、会報の誌面が一新された喜びに浸ったことを記憶している。小生がネタのことを心配していた雑学帳も、今井氏が言っていた通り、次から次へとエピソードが飛び出し、毎号会員を楽しませてくれた。
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オーストリア日本人会の50年
個人的なエピソードその1
徳仁親王殿下とキュッヒルさんの共演
‘85年の夏、当時英国に留学しておられた現皇太子徳仁親王殿下が、休暇を利用されてウイーンを非公式に訪問された。ヴィオラ奏者でもある親王殿下のご希望もあってか、キュッヒル弦楽四重奏団のメンバーとの共演が実現し、19区のベートーヴェンハウスで、小生も拝聴する栄に浴した。
会場が狭くて椅子を並べられないこともあって、大使館から招待された聴衆は僅か十数人。思い思いに部屋の隅に佇んで、四重奏に聴き入った。演奏された曲目は、モーツアルトのセレナーデ・他であったと記憶する。
個人的なエピソードその2
吉永小百合に会い損ねた?話
’86年に入って、クーデンホーフ光子の伝記が、日本でドラマ化されることになり、主演の吉永小百合が近く訪墺するとのニュースが伝わり、ウイーンの日本人社会
自らが会長に納まり、彼女に会うべくアピールした程である(小百合も早大出)。この熱気を受けて、大使館側は対応に苦慮しているようであったが、そのうちに小生は、急病のため病院へ担ぎ込まれ、退院した時には小百合の訪墺は既に終わっていた。彼女に会えた一般の日本人は、誰もいなかったという。人づてに聞いたところによれば、大使館側は、日本人会の会長には会わせてもよいと考えていたが、ご本人が入院してしまったので取りやめにした、とのことである。もしそれが本当の話であったとすれ
ば、まことに惜しいことであった。
<藤井 清司(ふじい・せいじ)>
('83 年 6 月~'86 年 7 月)
現在は勿論年金生活。一向に上達しない囲碁を、懲りずに楽しんでいる。
“音楽雑学帳”(1990 年出版)
、、、(爆wwwwwwwwwww
1 件のコメント:
>クーデンホーフ
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