東条英機ら「A級戦犯」7人の処刑に、日本人でただ一人立ち会った教誨師花山信勝(1898~1995)の生家で、7人が最期に残した署名などを保管している金沢市の宗林寺が、戦後70年を機に遺品を一般公開している。
信勝の孫で住職の勝澄さん(59)は「戦後の始まりを振り返り、平和を考えるきっかけにしてほしい」と話している。
公開されているのは、A級戦犯として絞首刑となった7人の署名や遺書の写しのほか、処刑直前に飲んだワインの瓶や、戦犯が拝んだ仏像など。これまで檀家や研究者、報道機関など以外に公開されていなかった。
東条の遺書は、処刑の約1か月前に信勝に託したもので「刑罰は私に関する限りは当然である」「ただ戦禍を受けた同胞のことを思う時、私の死刑によっても責任は果(た)されない。全く相済まぬと思っている」などと記されている。
金沢市武蔵町の浄土真宗本願寺派・宗林寺で生まれた信勝は東京帝大教授を務めた仏教学者。1946年2月、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の教誨師に任命されて戦犯らと交流し、極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた戦犯の処刑に立ち会った。
巣鴨拘置所で東条英機(元首相)、広田弘毅(同)、板垣征四郎(元陸相)、木村兵太郎(元ビルマ方面軍司令官)、土肥原賢二(元奉天特務機関長)、松井石根(元中支那方面軍司令官)、武藤章(元陸軍省軍務局長)の7人の処刑が執行されたのは、48年12月23日未明。信勝の著書「平和の発見」によると最期の酒としてワインが出され「悲しみも動揺もなく、平常心そのまま、『念仏』とともに死についた」とある。信勝は執行の間際に署名を求め、7人は手錠をかけられたまま揮毫した。その絶筆は、同寺の石碑に刻まれている。
勝澄さんは「歴史として冷静に振り返ってもらうには長い時間が必要で、一般公開は戦後70年を節目と考えた」と話す。
拝観には予約が必要で、拝観料500円。問い合わせは宗林寺(076・221・8650)へ。
2015年07月25日 17時57分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150725-OYT1T50078.html
、、、(爆wwwwwwwwww
2 件のコメント:
ワ、ワイン~(笑)
金沢市、ってのも重要かとw
コメントを投稿