2015年6月12日金曜日

Thyssen-Bornemisza








ハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッサHans Heinrich Àgost Gábor Tasso Freiherr Thyssen-Bornemisza de Kászon et Impérfalva, 1921年4月13日 スヘフェニンゲン - 2002年4月27日 サン・フェリウ・ダ・ギシュルス)は、ドイツ人の実業家、美術品収集家。男爵。愛称は「ハイニHeini)」。ティッセン=ボルネミッサ美術館の創設者。

美術品収集家として知られたハインリヒ・ティッセンとその妻でハンガリー人貴族のボルネミッサ男爵夫人マルギト(1887 - 1971年)の間の次男として生まれた。父はドイツの鉱山財閥ティッセン社(現在のティッセンクルップ)の創業者アウグスト・ティッセンの三男であり、母との結婚の際に義父と養子縁組を行い、自身と子供たちに男爵の称号を確保した(両親は1933年に離婚している)。
1940年から1945年にかけ、ベルン大学フリブール大学で法学、経済学および美術史を学んだ。1950年にスイスに帰化し、その際に男爵(Freiherr)の名乗りを法的には放棄した。ティッセン家の相続人の1人として莫大な遺産を受け継ぎ、事業経営のかたわら、父の遺志を継いで高価な美術品の収集を続けた。
生涯に5度結婚した。最初の妻は上級貴族出身のリッペ=ヴァイセンフェルト侯女テレーザ(1925年 - 2008年)で、1946年に結婚し1954年に離婚した。2番目の妻はアングロ・インディアンのファッションモデルのニナ・ダイアー(1930年 - 1965年)で、1954年に結婚し1956年に離婚した。三番目の妻はイギリス人ファッションモデルのフィオナ・キャンベル=ウォルター(1932年 - )で、1956年に結婚し1965年に離婚。4番目の妻はブラジル人銀行家の娘デニーゼ・スホルト(1942年 - )で、1967年に結婚し1984年に離婚した。1985年、スペイン人の元モデル、カルメン(ティタ)・セルべーラと5度目の結婚をした。
5度の結婚で3男1女の4人の子供をもうけた。最初の妻との間に1人(長男)、3番目の妻との間に2人(長女と次男)、4番目の妻との間に1人(三男)である。長女のフランツェスカは1993年、オーストリア皇帝家家長カール・ハプスブルク=ロートリンゲンと結婚した。
ティッセン=ボルネミッサ男爵家の美術コレクションなどの資産に関しては、生前から妻や長男の間でその相続・管理を巡って係争が起きていた。ハンス・ハインリヒはこの問題を解決すべく、1993年に全ての美術コレクションを3億5000万ドルでスペイン政府に売却した。コレクションのほとんどは前年の1992年に開館していたマドリードティッセン=ボルネミッサ美術館に帰属したが、ごく一部はバルセロナペドラルベス修道院に納められた。

2002年に死去し、遺骸はエッセン・ケトヴィヒ地区(Kettwig)にあるティッセン家の墓所に葬られた。





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