寺や神社などで油のような液体がまかれている事件で、奈良県での液体を鑑定した結果、4種類に分けられることがわかりました。警察は、模倣犯も含まれている可能性があるとみて調べています。JNNの調べではこれまで、奈良県では19の神社仏閣が被害にあっていることがわかっています。このうち14か所でまかれた液体を鑑定した結果、4つの種類に分けられることが警察への取材でわかりました。うち1つは、長谷寺や當麻寺など7つの寺社にまかれ、同じ種類の可能性が高いとされているもので、新たに信貴山朝護孫子寺もこの種類に入っています。長谷寺では、かんきつ類のようなにおいがしたということです。
ただし、4種類とも油性かどうかも含めて成分を特定するまでには至っておらず、残る5か所の液体とともに鑑定を進める方針です。奈良県警は、同一人物による犯行のほか模倣犯も含まれている可能性があるとみて調べています。
そして15日、新たに神戸市東灘区の山中にある保久良神社でも被害が明らかになりました。「神社を取り囲む廊下には、至る所に液体の染み込んだ跡があります」(記者)警察によりますと14日午後4時ごろ、掃除をしていた氏子が、境内の本殿など少なくとも20か所以上に油のようなものがまかれているのを見つけたということです。警察は、器物損壊の疑いで捜査する方針です。
JNNの調べでは、全国で油のようなものがまかれる被害は7府県31か所になりました。
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007410.shtml
保久良神社(ほくらじんじゃ)は、兵庫県神戸市東灘区本山町の保久良山(金鳥山中腹)に鎮座する神社である。旧社格は式内社。
須佐之男命、大国主命、大歳御祖命、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)を配祀する。
歴史
保久良神社由緒書によると「社名の起因も1、椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る 2、三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、元来の主祭神は神武東征時速吸門(明石海峡)に現れて軍勢を先導した椎根津彦命であり、現在の主祭神須佐之男命は元禄時代に祇園信仰の影響で牛頭天王が合祀されたと考えられる[2] 。
椎根津彦命は保久良神社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に青亀(おうぎ)の背にのってこの浜に漂着したという伝承があり、それが青木(おうぎ)の地名の由来となった[3]。
吉井良隆は当社を「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であったとされ、西宮夷の奥夷社の元宮」と推測している[4]。 また、「住吉大社神社記」には布久呂布山の名が見え、「攝津志」には建長二年重修の棟札を所持せる事が記載されている。
社頭の灯明台の神火は「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯である。その言われは、日本武命が熊襲遠征の帰途、夜に航路がわからなくなった時、保久良神社の灯火が見え無事に難波へ帰りつけた事にあり、以来「沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや」の古謡通り、広く崇敬され、航海者の一針路となっていた[5]。
孫太郎 - Wikipedia via kwout
、、、(爆wwwwwwwwwwww
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