1月13日、女優・秋吉久美子(60)の長男A氏が東京都港区にある大学病院の敷地内で、遺体となって発見されたことが「週刊文春」の取材により明らかとなった。転落による事故死と見られている。防犯カメラの映像などから、事故が起きたのは1月10日の深夜。
現場は病院建物裏の、地下へ降りる非常階段下だった。この場所は、夜になると懐中電灯なしには歩けないほど真っ暗になるが、普段、非常階段の入口は施錠されている。
A氏は当時、この病院付近の工事現場の作業員の所有している鞄を持って逃げていたようだ。
「(A氏は)暗がりのなかで柵を乗り越え、階段に飛び移ろうとして転落したのだろう」(捜査関係者)遺体はしばらく発見されず、3日後に病院の警備員が見つけたという。
A氏は、秋吉とフォークグループ・青い三角定規の岩久茂氏(65)の長男。1979年の結婚報告会見で、子供を「卵で産みたい」と発言した秋吉が、その後に出産したのがA氏だった。岩久氏との結婚生活は10年で終止符が打たれたが、秋吉は“枯れない女優”として奔放にも見える恋多き人生を歩む。
昨年10月には26歳年下の日系2世の映像クリエーターと離婚したばかりだ。
突然の訃報に、秋吉の所属事務所は「たった一人の息子を亡くし憔悴しきっている」とコメント。岩久氏にも関係者を通じて取材を申し込んだが、期日までに連絡は来なかった。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4827
フラグだらけの秋吉さんですな。(爆wwwwwwww
秋吉 久美子(あきよし くみこ、1954年7月29日 - )は、日本の女優。静岡県富士宮市生まれ、徳島県日和佐町(現・美波町)、福島県いわき市育ち。本名は小野寺 久美子(おのでら くみこ)。身長162cm。最終学歴は早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程公共経営学専攻修了。学位は公共経営修士(専門職)。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。
アジア映画祭主演女優賞、日本アカデミー賞優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞などを受賞している。2013年「「わたし」の人生(みち)〜我が命のタンゴ」でモナコ国際映画祭主演女優賞を受賞。そのほかは#受賞歴を参照。
北海道函館市の出身で研究者だった父親が戦後結核を患い、静岡県富士宮市の療養所に入り、地元出身の看護師だった母親と結婚し当地で生まれた[1][2]。その後、父が徳島県日和佐町(現・美波町)の高等学校に化学教師として赴任したため家族で移り住む[1]。しかし高温多湿の気候が体の弱い父には辛く、本人が小学校入学直前に福島県いわき市に移り、6歳から18歳までいわき市で暮らす[1]。父は小名浜の福島県水産試験場に勤務し、アクアマリンふくしまの立ち上げにも尽力した[1]。福島県いわき市小名浜第一中学校、福島県立磐城女子高等学校(現・福島県立磐城桜が丘高等学校)卒業[1]。高校時代は文学部の部長をしていた。あちこちの雑誌やテレビなどでもらした言葉を集めた「つかのまの久美子」(1977年、青春出版社)ではユニークで鋭い感性が光っており、五木寛之も「静かな平凡を夢見る卓抜な個性」と帯に感想を書いている。
1972年高校三年生の時、受験勉強中に聞いたラジオの深夜放送、吉田拓郎の『パックインミュージック』で、吉田が音楽を担当した松竹映画『旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けたのが芸能界入りしたきっかけ[3][4][5][6]。
、、、(爆wwwwwwwww
1 件のコメント:
B-1グランプリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/B-1%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA
ホルモンとかモツとかなんかキムチくさいよなぁと
ずっと思ってましたが本当にただのステマだったんですね(爆w
流石相撲を代表とする八百長国家日本wwww
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